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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:16
117/231

03・傷

 午前9時。東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部の5階の執務室で、ソファセットに腰掛けた南班チーフの大貫武士は、淹れたての番茶の湯呑みをテーブルに置いた。

 大貫の向かいに座る北班チーフの芥澤丈一が、「おう」と言って読んでいた新聞紙から顔を上げる。

 大貫は菓子入れ用の籐かごに入れた栗まんじゅうを二つ手に取り、一つを差し出して「食べるか?」と勧めたが、芥澤は「いらねぇよ」とすげなく断った。

「それにしても、『イマゴ』のクソ共だ。2日連続で殺人事件を起こしてはしゃぎやがって……」

 反人間組織『イマゴ』の記事が載った新聞紙を置いて、芥澤がうなる。

 大貫は栗まんじゅうの包みをがし、一口齧ってうなずいた。

「ああ。立川も八王子も人目につかない場所を選んではいるが、“人間殺し”に対する強い衝動と高揚が感じられるな。立川支部は二つの現場の捜査はもちろん、都内の巡回体制も強化しなければならないし、人員の調整が大変だろうな」

「…………」

 大貫の言葉に、芥澤は短く沈黙してスラックスのポケットに手を入れる。

 取り出したスマホで電話を発信し、スピーカー状態にしてテーブルに置いた。

『……ああ? 芥澤かぁ? 何の用だよ?』

 3回目の呼び出し音で電話に出た相手──インクルシオ立川支部の支部長である曽我部保が、不機嫌な声で訊ねる。

 芥澤は挨拶を省いて「俺と大貫がいる」と言うと、架電の用件を伝えた。

「曽我部。そっちの人員は足りてるのか? もし十分でないのなら、うちの班の対策官を何人か寄越す。必要であれば、時任を行かせてもいい」

 芥澤は北班に所属する特別対策官の時任直輝ときとうなおきの名前を挙げて申し出をし、大貫がすかさず「南班も対策官の派遣ができるぞ。童子を行かせることも可能だ」と横から付け加えた。

 曽我部は一拍の間を置いて、低く笑った。

『はっ。余計なお世話だ。立川支部には東京本部、大阪支部に次ぐ人数の対策官がいる。足りないなんてことはないから、放っとけよ』

「でも、曽我部。今回は、あの『イマゴ』の事件なんだ。人手はいくつあってもいい。それに、東京本部と立川支部は捜査情報の共有だけではなく、様々な面で協力し合って……」

 大貫が身を乗り出して言うと、曽我部は鬱陶うっとうしそうに吐き捨てた。

『こっちの事件はこっちで対処する。忙しいから、切るぞ』


 午後6時半。

 インクルシオ東京本部の3階にあるオフィスで、南班に所属する「童子班」の5人は、それぞれのデスクに向かっていた。

 黒のツナギ服を着た高校生たちは、溜まった書類の提出を済ませて息をつく。

 塩田渉が椅子に背をもたせ、両手を上に伸ばして言った。

「あー。やっと終わったー。任務関連の書類はまだいいけど、総務部からの各種アンケートや寮生活の改善提案とかもあるもんな。こういうのが、地味に時間がかかるんだよ」

「まぁな。だけど、それも仕事の一つだからな」

 鷹村哲がデスクに置いたペットボトルの緑茶を一口飲んで返す。

 ノートパソコンでインターネットのニュースサイトを開いた最上七葉が、眉根を寄せた。

「どのサイトも、『イマゴ』の事件が大きく報道されているわね……。コメント欄には、一般市民からの不安の声が多く書き込まれているわ」

「……インクルシオは、『イマゴ』という組織の実態をいまだに把握できていない。その事実が、余計に人々の不安を駆り立てているんだと思う……」

 雨瀬眞白が呟くように言い、他の3人が一様に黙り込む。

 無糖の缶コーヒーを手に取った特別対策官の童子将也が、高校生たちに向いた。

「そういった不安を一日も早う取り除く為にも、俺らは一丸となって捜査に取り組まなあかん。『イマゴ』は昨日一昨日と立て続けに事件を起こしとるが、逆に言えば“今”が奴らの尻尾を掴むチャンスでもある。立川支部から応援要請がきた場合はすぐに動けるように、俺らもしっかりと準備をしておくで」

 童子の指示に、高校生4人が「はい!」と表情を引き締めて返事をする。

 そこに、「みんな。お疲れぇ〜」とのんびりとした声がかかった。

 「童子班」の面々が振り向くと、デスク脇に置かれたパーテーションから、中央班に所属する特別対策官の影下一平かげしたいっぺいが顔を覗かせる。

「影下さん! お疲れ様です!」

「お疲れさんです。影下さん」

 高校生たちと童子が挨拶を返し、ジップアップパーカーにジーンズ姿の影下が「どもどもぉ〜」と穏やかに笑った。

「そう言えばさぁ。みんなは、『ミラクルム』の解散公演に行くんだってぇ?」

「……え!? なんで、それを影下さんが知ってるんですか!?」

 目の下にくまを浮かべた影下が訊ね、塩田が驚く。

「ふふふ〜。俺の千里眼は、何だってお見通しなのだよぉ。……というのは、冗談でぇ。こないだ、町田のバイト帰りに巡回中の兼田さんに会ってさぁ。『ミラクルム』のチケットを入手したから、「童子班」のみんなに譲るって話を聞いたんだよぉ」

 デイパックを肩に掛けた影下が説明し、鷹村が「なるほど。そうだったんですね」と納得した。

 すると、最上がデスクに置いたノートパソコンにちらりと視線をやった。

「でも……。せっかく『ミラクルム』の公演を楽しみにしていたのに、『イマゴ』の事件が起こってしまって。こんな状況では、ショーを観ている最中も、どうしても事件のことが気に掛かってしまいそうで……」

 そう言って、最上が目を伏せ、影下が「ああ〜。だったらさぁ〜」と明るい声をあげる。

「その日までに『イマゴ』を壊滅して、すっきりとした気持ちで公演に行けばいいよぉ。俺らインクルシオ対策官に必要なのは、そういう不撓不屈ふとうふくつの気概と闘志だぁ。だから、みんなで頑張って『イマゴ』の捜査をしようぜぇ」

「……!」

 影下の優しいげきに、高校生たちははっと目を見開いた。

「……そ、そうっスよね! よーし! それじゃあ、今から『イマゴ』の過去の事件データを徹底的に洗い直す! みんな、徹夜覚悟でやるぞ!」

 塩田が奮起してデスクに向き直り、鷹村、雨瀬、最上が「おう!」と続く。

「お前ら。そろそろ7時になるけど、晩飯はええんか?」

 童子が笑みを浮かべて訊くと、高校生たちは「やっぱり、夕飯を食べてからにします!」と即答し、全員で笑った。

 その時、クリーム色のドアが開き、低い声が響いた。

「……お前たち。騒がしいぞ。オフィスでは静かにしろ」

 西班に所属する特別対策官の真伏隼人まぶせはやとが姿を現し、眉間にしわを寄せて室内に足を踏み入れる。

「……は、はい! すみませんでした!」

 対策官たちは一斉に背筋を伸ばして謝罪すると、そそくさと仕事に戻った。


 同刻。東京都木賊とくさ区。

 繁華街の路地裏に佇むグラウカ限定入店の『BARロサエ』で、店のママであるリリーは「痛っ」と小さく声を出した。

「……切ったのか? 大丈夫か?」

 開店前の静謐せいひつなホールで、客席のテーブルを拭いていた従業員が振り返る。

 リリーは「ああ。ほんの少しだから、大丈夫だ」と普段のオネエ言葉とは違う口調で言うと、酢漬けのオリーブをカットしていたペティナイフを置き、チリリとした痛みの走る指先に目をやった。

 浅く切れた皮膚から滲んだ血を、静かな眼差しで見つめる。

 そのままゆっくりと手を動かし、シャツの下に隠れたロケットペンダントを取り出した。

 銀製の蓋を開くと、中に忍ばせた写真の人物──左目の下に泣きぼくろのある少年が、こちらに笑顔を向けている。

「………………」

 リリーがそっと蓋を閉じた時、軽快な電子音が耳に届いた。

 カウンターの上に置いたスマホに手を伸ばし、着信したメッセージを読む。

 メッセージは『イマゴ』のNo.2である乾エイジからで、『今夜、店に行く。ビップルームを空けておいてくれ』と記されていた。

 リリーは傷を負った指先を一瞥して、『わかったわ。待ってるわね』と返信を打つ。

 そして、送信ボタンを押し、店を開店するべくドアに向かった。




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