02・ミーティングと計画
午後6時半。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の5人は、この日の巡回任務を終えた後、本部の1階にある『カフェスペース・憩』に立ち寄った。
注文カウンターでそれぞれに飲み物をオーダーし、窓際のテーブルにつく。
黒のツナギ服を纏い、武器を装備した対策官たちは、やや重苦しい雰囲気で口を開いた。
「……昨日の立川の事件、どうなったかな?」
ホットレモネードのグラスを持った塩田渉が、声を潜めて言う。
鷹村哲が黒糖ラテを一口啜り、窓の外を見やって返した。
「まだ捜査は始まったばかりだからな。思わしい進展はないだろ」
鷹村の向かいに座る最上七葉が、ロイヤルミルクティーを飲んで息をつく。
「昨日、こっちに来ていた兼田さんと上尾さんは、緊急連絡を見て急いで戻っていったわね。お二方共、非番だったのに」
「あの『イマゴ』の殺人事件だ。無理もない……」
雨瀬眞白が手にしたほうじ茶ラテに視線を落とし、特別対策官の童子将也がホットコーヒーのカップをテーブルに置いて言った。
「今頃、立川支部の対策官は懸命に捜査をしとるやろう。どないな小さなことでも、『イマゴ』に繋がる何らかの手がかりを掴めればええんやけどな」
童子の言葉に、高校生の新人対策官たちがうなずく。
そこに、『カフェスペース・憩』のアルバイト従業員である穂刈潤が、ひょっこりと顔を出した。
「みなさん。こんばんは。何だか、難しい顔をしていますね」
「あ! 穂刈さん! こんばんは!」
塩田が挨拶を返し、他の4人が「こんばんは」と会釈をする。
店のロゴ入りのエプロンを腰に巻いた穂刈は、丸メガネの奥の双眸を向けて、心配そうに訊ねた。
「もしかして、昨日に起きた『イマゴ』の事件が原因ですか? テレビやインターネットのニュースで、大きく報道されていますよね」
「そうなんスよー。立川の事件だから俺らの管轄とは違うんスけど、やっぱり気になって。それに、何と言っても『イマゴ』はインクルシオのキ……ウブブッ!」
穂刈の問いに答えようとした塩田の口を、童子が片手を回して塞ぐ。
童子はジタバタともがく塩田を押さえて、穂刈に目をやった。
「すみません。事件や捜査に関することは、詳しくは話せへんので」
「ああー。そうですよね。僕こそ、つい気軽に訊いてしまって……すみません」
穂刈が緩やかなウェーブのかかった黒髪を掻いて謝り、童子が「いえ」と言って塩田を解放する。
その時、小さな電子音が鳴った。
童子はツナギ服の尻ポケットからスマホを取り出し、画面をタップする。
着信した一件のメールは東京本部在籍の特別対策官宛てとなっており、その内容を読んだ目が僅かに見開いた。
そこには、八王子市にあるラーメン店の裏に置かれたポリバケツから発見された男性の遺体──反人間組織『イマゴ』による、2日連続となる殺人事件の速報が記されていた。
まもなく午後7時になろうとする時刻、インクルシオ東京本部の7階にある執務室で、本部長の那智明は電話機を睨むように言った。
「八王子の現場には、何人の対策官が行っている?」
『とりあえず、15人ですね。現場の周辺地域を巡回中の対策官も順次到着しているので、最終的には30人ほどになりますよ』
インクルシオ立川支部の支部長である曽我部保が、通話の向こうで回答する。
那智はストライプ柄のネクタイを指で緩めると、「そうか」と一言呟いた。
「『イマゴ』は世間的にも注目度の高い反人間組織だ。立川の事件があったばかりで大変だろうが、捜査の進捗具合はこちらにも逐一報告してくれ」
『ええ。わかりました。じゃあ、また連絡します』
那智の指示を請け負い、曽我部は通話を切った。
間髪入れずに、電話機の内線を示すランプが点滅する。
那智がプラスチックのボタンを押すと、総務部の広報担当が早口に言った。
『那智本部長。お疲れ様です。早速ですが、立川市と八王子市で起こった『イマゴ』の殺人事件について、マスコミの対応は……』
「ああ。その件は、そっちで打ち合わせをしよう。すぐに行く」
そう返して、那智はオフィスチェアから立ち上がる。
緩めたネクタイを再び締め直し、短く息を吐いて、執務室を後にした。
午前0時。東京都木賊区。
繁華街の路地裏にひっそりと佇むグラウカ限定入店の『BARロサエ』は、スチール製のドアに『本日休業』のプレートを下げていた。
厚手の遮光カーテンを閉めた2階のビップルームには、反人間組織『イマゴ』のリーダーの穂刈、右腕である乾エイジ、店のママのリリーが集っている。
ソファセットのテーブルに置いた一台のノートパソコンを見やって、穂刈が言った。
「さて。みんな揃ったね。それじゃあ、ミーティングを始めようか」
モニターの中で5つに区切られた画面から、5人の人物が『オーケー』『うーす』と声を発して反応する。
『イマゴ』は全国に100人を超える構成員を擁しており、各地に潜む構成員たちを束ねる5人の幹部がいた。
5人はいずれも強固な『グラウカ至上主義』の思想の持ち主であり、“この世からの人間の排除”を崇高な目標として、『イマゴ』の活動に邁進していた。
「まずは、うちの大ボスである“あの人”からの要望の件だ。人間たちを殺すついでに、グラウカの“特異体”探しにも力を入れて欲しい」
穂刈が両手の指を組んで言うと、幹部の一人が『あー。それねぇ』と冷めた口調で返した。
『いやさぁ。リーダーの命令とあれば、同族殺しでも何でもやるけどさ。だけど、いい加減、大ボスの“あの人”が誰なのかを教えてくれてもいいんじゃねぇ?』
「……ダメだ。“あの人”の正体を知るのは、僕とエイジだけという約束だ。『イマゴ』の活動を円滑に進める為にも、“あの人”の信頼を裏切ることはできない。悪いけど、理解してくれ」
穂刈は温和な表情を湛えながらもきっぱりと断り、発言をした幹部が『ちぇー。わかったよ』と引き下がる。
他の4人に異論はなく、モニター越しのミーティングは次の話題に移った。
「次は、『ミラクルム』の殺人計画について。これは、樺沢さんから」
穂刈が目を向けた人物──パフォーマンス集団『ミラクルム』の団長である樺沢慶太が、『おー!』と陽気な声をあげる。
『ミラクルム』は27歳の樺沢を始めとした団員21人の全員がグラウカであり、また『イマゴ』の構成員でもあった。
紫色のピエロメイクを施した樺沢が、同色のアフロヘアを揺らして言った。
『えー。ここにいるみんなも知っての通り、俺ら『ミラクルム』は、今回の立川公演を最後に解散する。解散の理由は、「公演の最終日にハコごと観客を殺して、そのまま忽然と姿を消したら面白いんじゃないか?」と考えたからだ。まぁ、このやり方じゃ、人間だけではなくうっかりグラウカも含まれる可能性があるが、“あの人”の要望も満たせるし、結果オーライということで』
樺沢の説明に、穂刈が「うん。いい計画だね」と微笑む。
オネエのママであるリリーが、長い付け睫毛を瞬かせた。
「樺沢君たちは、すでに立川と八王子ではっちゃけちゃってるわね。“遊ぶ”のはいいけれど、くれぐれもインクルシオの捜査には気を付けてね」
『ああ。わかったよ。だが、最終日の計画が楽しみで、血が滾ってしまってな。まだまだ殺し足りないくらいだ』
樺沢が朗らかに返し、リリーは「もう。やんちゃな子ね」と苦笑する。
短髪を燻んだシルバーブルーに染め、裾の長い上着を羽織った乾が、徐に足を組んで言った。
「『ミラクルム』の最終公演日は11月10日だったな。俺は人混みは嫌いだから観に行かないけど、最後のパフォーマンスだ。会場を真っ赤に染め上げるくらい、派手に鏖殺してくれ」
乾が口端を上げ、樺沢が『おう! 任せろ!』と威勢よく応じる。
他の幹部たちが『期待してるぜ!』『やってやれ!』と囃し立てる中、穂刈は満足げに目を細めて、短いミーティングの終了を告げた。




