01・ピエロの集団
東京都立川市。
駅前のカラオケ店を出た若い男女は、仲睦まじく手を繋いで路地を歩いた。
繁華街の裏手にあたる細い通りは、まるで都会のエアポケットのようにしんと静まり返っている。
「もうすぐ5時かー。よく歌ったせいか、すげー腹が減ったなー」
「ふふ。声を枯らして熱唱してたものね。夕飯は、うちで何か作ろっか?」
カーキ色のカーゴパンツ姿の男性が腹部を摩り、ニットのカーディガンを羽織った女性が笑って返す。
すると、路地の反対側から、数人の男がこちらに歩いてきた。
パーカーのフードを目深に被った集団を見た男性は、さりげなく手を引いて女性を背中に隠す。
夕方の薄暗がりの路地で、ひと組の男女のカップルと、揃いのパーカーを着た5人の男たちがすれ違った。
「──!」
その時、カーゴパンツの男性が目を見開いた。
間近でちらりと盗み見た男たちのフードの下の容貌は、全員が白塗りの肌に、カラー違いのピエロのメイクを施していた。
(……あれ? 何だっけ? このピエロの集団、どっかで見たことが……)
男性はぴたりと動きを止めて、思考を巡らした。
しかし、その答えを出すことはできなかった。
ピエロの一人がぬっと伸ばした右手が、男性の喉を鷲掴み、そのまま力を込めて握り潰す。
カーゴパンツを履いた下肢が痙攣し、カーキ色の布に大量の尿が滲んだ。
男性の背後にいた女性が、「あ……! あ……!」と顔を引き攣らせて戦慄く。
それぞれに赤色、青色、黄色、緑色とカラフルに顔を塗ったピエロたちの前に、毒々しい紫色を放つピエロがゆったりと立った。
紫色のピエロは、脱力した男性を離し、にんまりと口角を上げて言った。
「こんにちは。お嬢さん。そして、さようなら」
11月初旬。東京都月白区。
『厚生省特殊外郭機関インクルシオ』東京本部の敷地内にあるトレーニング棟で、南班に所属する「童子班」の5人は戦闘訓練を行っていた。
栃木県日光市で実施された強化合宿で鍛えた高校生たちは、黒のジャージに身を包み、指導担当である特別対策官の童子将也に相対する。
12日間の厳しい合宿の成果を見せるべく、4人はインクルシオNo.1に果敢に挑んだが、3セットの結果は全て惨敗に終わった。
「だぁー! ぜんっぜん、勝てねぇー!」
「敵役は童子さん一人なのに、急所を掠ることすらできねぇな……」
塩田渉が多目的室の床に大の字で転がり、鷹村哲が膝に手をついて上がった息を整える。
「少しは追い詰められるかもと思ったけど、甘かったわね」
「先を読む力も、立ち回り方も、まだまだだ……」
最上七葉が額に浮かんだ汗を拭い、雨瀬眞白が悔しそうに呟いた。
高校生たちと同じく黒のジャージを着た童子が、穏やかに言う。
「いや。合宿前と比べると、4人共かなり強なったで。持久力も集中力も格段に上がった。このまま鍛錬を重ねていけば、そのうち俺も負けると思うわ」
童子の褒め言葉に、塩田が「4対1で圧勝しておいて、心にもないことを言わないで下さいよー!」と大仰に拗ねる。
童子は「ほんまやて」と笑うと、ふと後方に目をやった。
壁際のベンチに置いたスマホに歩み寄り、画面をタップして着信したメッセージを読む。
童子はすぐに振り返って、高校生たちに告げた。
「お前ら。戦闘訓練はこれでしまいや。この後は、ファミレスに行くで」
インクルシオ東京本部の近くにある24時間営業のファミリーレストランで、私服に着替えた「童子班」の高校生4人は、明るい声をあげた。
「兼田さん! 上尾さん! お久しぶりです!」
「おう。お前たち。こうして顔を合わせるのは、久しぶりだな」
インクルシオ立川支部に所属する兼田理志と、同じく立川支部の上尾瞬が、テーブル席から笑顔を見せる。
兼田は30歳、上尾は23歳の対策官であった。
午後5時を少し回った店内は程よく混み合っており、対策官たちは飲み物を注文して本題に入った。
「急に呼び出してすまない。実は、商店街の福引きでこれが当たってな。お前たちに譲ろうと思って、こっちまで来たんだ」
そう言って、兼田は5枚のチケットをテーブルに差し出す。
カラフルなデザインのチケットを童子と雨瀬が覗き込み、鷹村、塩田、最上が「あっ!」と大きく反応した。
「これ……! 『ミラクルム』の公演チケットじゃないですか!」
塩田が両手でチケットを持ち上げ、鷹村が「すげぇ」と思わず声を漏らす。
童子が「聞いたことがある名前やな」と言うと、最上が意気揚々と説明した。
「ええ。『ミラクルム』は、若者に人気のパフォーマンス集団です。団員21人の全員がグラウカで、全国を回ってジャグリング・アクロバット・イリュージョンマジック等を披露しているんです。グラウカの身体能力を活かしたパフォーマンスはもちろんのこと、団員たちのファニーなピエロメイクもウケているんですよ」
「そうそう! 更に付け加えるとですね! 『ミラクルム』は、今回の立川ニューアリーナで行われる公演を最後に解散すると発表しているんです! 解散公演は11月1日から11月10日までの10日間で、チケットは入手困難なんですよ!」
最上に続いて塩田が熱弁し、上尾が「おお。詳しいなぁ」と笑う。
童子が「そうなんか」とうなずき、雨瀬が「全然、知らなかった……」と身を縮こめた。
「たまたまだが、最終日のチケットを手に入れることができた。この日は日曜日だから、学生組のお前たちと指導担当の童子は非番だろう? せっかくの機会だし、みんなで行ってくるといい」
兼田がホットコーヒーに砂糖を入れて言う。
鷹村が不意に視線を下げ、「……でも……」と声のトーンを落とした。
「行きたいのは山々ですけど……。こないだの強化合宿で長く任務を空けたし、木賊区で起きた『キルクルス』の事件の捜査だってあるのに、のんきに遊びに行ってもいいのかな……」
鷹村の呟きに、他の3人が「うーん……」と難しい顔で唸る。
ブラックのホットコーヒーを一口啜った童子が、高校生たちに向いた。
「お前ら。オンオフの切り替えは大事やで。任務のことを気に掛けるんはええけど、四六時中そればかりになると却ってようない。非番の日は羽を伸ばしてええんやから、ありがたく行かせていただこう」
童子が優しい声で言い、兼田と上尾が微笑む。
高校生たちは互いの顔を見合わせて、「……はい!」と嬉しそうに返事をした。
午後6時。
インクルシオ東京本部の最上階にある会議室で緊急の幹部会議が開かれた。
楕円形の会議テーブルには、インクルシオ総長の阿諏訪征一郎、本部長の那智明、東班チーフの望月剛志、北班チーフの芥澤丈一、南班チーフの大貫武士、西班チーフの路木怜司、中央班チーフの津之江学が着席している。
チャコールグレーのスーツを纏った那智が、険しい表情で言った。
「つい先ほど、立川支部から連絡が入った。立川駅近くの繁華街の路地裏で、20代の男女の遺体が発見されたそうだ。そして、その二人の遺体の側には、血文字で『イマゴ』と書かれていたとのことだ」
那智の報告を聞いた望月が、「イマゴか……」と言って腕を組む。
芥澤が「クソ共が、また動き出したか」と顔をきつく顰めた。
大貫と津之江が眉根を寄せ、路木が指に挟んだボールペンを回す。
阿諏訪が目の前のチーフたちを見やって口を開いた。
「諸君も知っての通り、立川市では9月に『イマゴ』による大量殺人事件が起こっている。この事件により、立川支部の対策官2名も犠牲となった。『イマゴ』は我々のキルリストの最上位に載る反人間組織だ。今回の事件の管轄は立川支部だが、東京本部も向こうと密に連携を取って、『イマゴ』の捜査に全力を挙げて欲しい」
阿諏訪の重厚な声が会議室に響く。
インクルシオの黒のジャンパーを羽織ったチーフたちは、それぞれに表情を引き締めて、しっかりと首肯した。




