05・憎しみの矛先
栃木県日光市。
秋晴れの空が広がるこの日、強化合宿の6日目を迎えた70人の参加者たちは、宿泊する旅館の大広間に現れた人物に歓声をあげた。
「みなさん、おはようございます! インクルシオ大阪支部の疋田進之介といいます! 今回は東エリアの強化合宿に指導係として参加するということで、俺自身もワクワクしてやって来ました! 2泊3日の短い滞在ですが、一緒にトレーニングを頑張りましょう!」
大広間の前方に立った人物──インクルシオ大阪支部に所属する特別対策官の疋田進之介が両手を後ろに組んで挨拶し、黒のジャージを着た対策官たちが「はい!!!」と大きく返事をする。
インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の高校生4人は、会場の後方で「マジ!? 疋田さんだ!」「やったぁ!」と顔を見合わせてはしゃいだ。
「初めまして。疋田さん。この強化合宿でお会いできることを、楽しみにしていました。3日間、どうぞよろしくお願いします」
「初めましてやな。速水君。微力ながら指導係を手伝わせてもらうわ。こっちこそ、よろしくな」
強化合宿の指導係を務める名古屋支部の速水至恩が、爽やかな笑顔で右手を差し出し、疋田がその手を握り返す。
しっかりと握手を交わした二人の特別対策官に、会場内はますます盛り上がり、参加者たちは改めて気合いを入れ直した。
「疋田さん! お久しぶりです!」
午前中のトレーニング終了後、昼食をとる為に旅館に戻った「童子班」の高校生4人は、待ちかねたように疋田に駆け寄った。
臙脂色の絨毯が敷かれたロビーで、首にタオルを下げた疋田が振り返る。
「おー。お前ら、久しぶりやなぁ。さっきのトレーニングの最中、4人共がずっとそわそわしとっておもろかったで」
鼻にそばかすを散らした疋田が笑い、鷹村哲が「いやぁ。早く疋田さんに挨拶がしたくて……」と気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「それにしても、強化合宿のシークレットゲストは疋田さんだったんですね。全く知らなかったから、驚きと共にすごく嬉しいです」
「お。てことは、将也はちゃんと黙っとったんやな。お前らには言うてまうかと思てたから、感心やわ」
鷹村の言葉に、疋田が驚いた表情で言う。
塩田渉が「そうなんスよー! 童子さんは、俺らがいくら訊いても教えてくれなかったっス!」と返し、最上七葉が「疋田さんだから、余計に内緒にしたのかもね」と言い、雨瀬眞白が「そうかも」とうなずいた。
疋田は柔和に微笑んで、目の前に立つ高校生たちに言った。
「俺も、こないだの出張捜査以来、またお前らに会えて嬉しいわ。強化合宿の3日間、全力で指導するからよろしくな」
「──はい!! こちらこそ、よろしくお願いします!!」
ジャージ姿の4人の元気な声がロビーに響く。
「………………」
その様子を、インクルシオ東京本部の東班に所属する藤丸遼と湯本広大が、食堂に続く通路の影からちらりと見やった。
午後1時半。
旅館での昼休憩を終えた一行は、午後のトレーニングに臨んだ。
山地に建つ古い山小屋で、疋田と速水が腕を組んで見守る中、参加者たちが対策官役と反人間組織役に分かれて戦闘訓練を行う。
2セット目の交戦の最中、対策官役の目印である白のビブスを着用した雨瀬は、建物の2階部分を囲むウッドデッキで反人間組織役の藤丸と遭遇した。
「……!」
雨瀬は咄嗟に模擬のサバイバルナイフに手をかけ、急所として設定された相手の頭部・胸部・腹部を狙って攻撃をしかける。
しかし、一瞬目の色を変えた藤丸は、雨瀬が繰り出した黒の刃を巧みに避け、力任せに胴体に体当たりをした。
「……うっ!!」
強い衝撃を受けた雨瀬が短く呻き、藤丸と共に板張りの床に倒れる。
藤丸は素早く体勢を立て直し、雨瀬の体を跨いで馬乗りになると、右手に握ったサバイバルナイフを喉元に突き付けた。
鈍く光る刃が、白い肌にギリギリと食い込む。
容赦のない力で気道を圧迫された雨瀬は、ゲホゲホと苦しげに咳き込んだ。
それでも藤丸は構うことなく、両目を血走らせて更に刃を押し付ける。
「……ふ、藤丸君……!」
雨瀬が藤丸の右手を押さえて声を絞り出した時、ウッドデッキの角から鷹村が走り込んできた。
「……おい! 何やってんだ!」
鷹村が声高に怒鳴り、その後ろに塩田と最上が現れる。
藤丸は「……チッ」と低く舌打ちをすると、馬乗りになっていた雨瀬から退き、顔をきつく顰めて言った。
「たとえ訓練でも、俺が反人間組織のグラウカ役なんて冗談じゃねぇよ。人間と同じ面をした悪魔になるなんざ、心底から怖気がするぜ」
「藤丸……! てめぇ、なんてことを……!」
走り寄ってきた鷹村が激昂し、藤丸のTシャツの胸ぐらを掴み上げる。
雨瀬が「哲!」と叫んで立ち上がり、塩田が「た、鷹村! やめろ!」と慌てて制すると、そこに「どないしたぁ?」とのんびりとした声が聞こえた。
「疋田さん!」
ジャージのポケットに両手を入れた疋田が姿を見せ、5人が動きを止める。
藤丸は鷹村の腕を鬱陶しく払い、「……なんでもないです」と言って、その場から歩き去っていった。
「クソ……。藤丸の奴、前から眞白のことを目の敵にしやがって……」
鷹村が苦々しく声を漏らし、疋田が藤丸の消えた方角をじっと見つめる。
すると、ウッドデッキの反対側から、「あの」と湯本が顔を出した。
湯本は訴えかけるような真剣な眼差しで、口を開いた。
「……藤丸のこと、嫌な奴だと誤解されたくないので……。俺が、事情を話します」
戦闘訓練の3セット目がスタートし、激しい交戦の音が山林に響く。
その喧騒を聞きながら、「童子班」の高校生たちは、草木の茂る地面に体育座りをしていた。
──先ほど、疋田と高校生4人は、湯本から藤丸の過去の話を聞いた。
藤丸は小学4年生の時、母親と弟を反人間組織のグラウカに殺害された。
二人は藤丸の誕生日プレゼントを買いに街中に出掛けた際に、人々の往来で賑わう路上で、次々と人間を襲った反人間組織の犠牲となった。
のちに遺品として手元に届けられた野球のグローブは、藤丸がリクエストしたプレゼントだった。
ラッピングが無残に破れ、あちこちに血痕が残る真新しいグローブを前に、藤丸は能面のような表情のまま、苛烈な怒りと憎しみを内心に抱いた。
その後、藤丸は中学に上がると同時にインクルシオ訓練施設に入り、一心不乱に戦闘技術を身に付け、中学3年生で対策官となって東京本部の東班に配属された。
「……藤丸君の心情はようわかる。グラウカに対する憎悪は相当なものやろう」
高校生たちの傍らに立った疋田が、静かな声で言う。
疋田は視線を前に向けて、言葉を続けた。
「せやけど、インクルシオ対策官の何割かは、藤丸君と同じように反人間組織のグラウカに大切な人を殺された経験を持つ。そこで大事なんは、全てのグラウカを憎んでしまわんことや。俺らが倒すべき相手は、平和な生活を蹂躙し、尊い命を理不尽に奪う奴らや。……そこを間違うて善人も悪人も見境なく攻撃してしもたら、自分自身が奴らと同じ悪魔になってまう。対策官としての使命を正しく果たす為にも、憎しみの矛先は決して混同したらあかんねん」
そう言って、疋田は「……そろそろ、中を見に行かな」と交戦が行われている山小屋に歩き出す。
ふと山間に風が吹き、高校生たちの足元をすり抜けた。
雨瀬は膝頭に乗せていた顔を上げると、遠く離れた樹木の下に佇む藤丸の険しい横顔を、そっと見やった。




