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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:15
105/231

02・棘

 10月15日。栃木県日光市。

 秋晴れの空が広がるこの日、インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の高校生4人は、強化合宿が開催される鬼怒川温泉に到着した。

 おもむきのある日本庭園を望む旅館にチェックインした一行は、貸し切りとなった館内をゆっくりと見回る間もなく、持参したジャージに着替えて1階の大広間に足を運ぶ。

 普段は宴会等が行われる絨毯敷きの大広間は、強化合宿に参加する70人の対策官が集合しており、その中には東班に所属する藤丸遼ふじまるりょう湯本広大ゆもとこうだいの姿があった。

 壁に掛かった時計の針が10時を指すと、大広間の前方の扉から、黒のジャージの上下を着た人物が入ってくる。

 茶色がかった髪をさらりと手で整えた人物──インクルシオ名古屋支部に所属する特別対策官の速水至恩の登場に、会場内がにわかに湧き上がった。

 速水は総務部の職員に促されて参加者たちの前に立ち、両手を体の後ろに組んで挨拶をする。

「みなさん、おはようございます! インクルシオ名古屋支部に所属する速水至恩です! 今回は、記念すべき第一回目の強化合宿の指導係を務めるということで、とても楽しみにしてきました! 12日間に渡るハードな合宿となりますが、体力と戦闘力の更なる向上を目指して、共に頑張っていきましょう!」

「──はい!!!」

 70人の対策官が大声で返事をし、速水はにこりと笑みを浮かべた。

 大広間の後方で、塩田渉が小声で言う。

「……なぁなぁ。童子さんから速水特別対策官の経歴を聞いた時はビビったけど、いい人そうでよかったな」

「そうだな。速水特別対策官は、『鳴神冬真の後を継ぐ男』と言われた実力者だ。この合宿で指導を受けるのが楽しみだな」

 塩田の隣に立つ鷹村哲が返し、最上七葉が前を向いたままうなずいた。

「ええ。せっかく学校を休んで参加したんだもの。速水特別対策官の教えと戦闘技術を、しっかりと吸収するわよ」

「うん。僕らの大事な目標は、一日も早く『一人前の対策官』になることだ。それに少しでも近付けるように、最後まで精一杯頑張ろう」

 雨瀬眞白が決意の込もった声音で言い、「童子班」の高校生4人は、ぐっと力強く拳を握った。


 午前10時半。東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部の5階の執務室で、革張りのソファに座った南班チーフの大貫武士おおぬきたけしは、番茶の入った湯呑みを差し出した。

 大貫の向かいに座る特別対策官の童子将也が、「いただきます」と言ってそれを受け取る。

 大貫は茶請けにと出した最中もなかを一口齧り、「旨い」と破顔した。

「……今頃、高校生たちは日光だな。鬼怒川は有名な温泉地だが、今回はそれを満喫する余裕はないだろうな」

「ええ。朝から晩までトレーニング漬けの毎日で、風呂でも寝てまうでしょうね」

 童子が番茶を啜って言い、大貫が「かもなぁ」と苦笑する。

 大貫は大粒の栗が入った最中を平らげると、顔を上げて言った。

「そういえば、強化合宿の指導係につく名古屋支部の速水至恩君は、童子と同期なんだっけ?」

「はい。速水君は俺より一つ年下で、インクルシオに入ったんが同じ年です。あまり交流する機会はあらへんかったんですけど、2年前に突入の応援で名古屋支部に行ったことがあって、そん時に一緒に任務につきました」

「そうなのか。俺は速水君には会ったことはないが、彼は若くして特別対策官になった名古屋支部のエースだ。きっと今回の強化合宿で、うちの高校生たちや他の参加者を一回り成長させてくれるだろう」

「そうですね。俺もそう願います」

 童子は穏やかに微笑み、小皿に盛られた最中に手を伸ばす。

 大貫は脇に置いた和菓子店の包みを見やって、「もう一つ食べようかな」と朗らかに笑った。


 午後1時。栃木県日光市。

 東エリアの強化合宿にのぞんだインクルシオ対策官の一行は、軽めの昼食を済ませた後、本格的なトレーニングを開始した。

 旅館から3キロほど離れた場所にある神社に移動し、境内に続く70段の階段を3人一組でダッシュする。

 傾斜40度の急勾配を一気に駆け上がるメニューに、黒のジャージを着た対策官たちは早くも悲鳴を上げた。

「はーい! 階段ダッシュは、ハムストリングスと大臀筋だいでんきんを意識してねー! 降りる時は大腿四頭筋だいたいしとうきんが鍛えられるから、漫然とせずにキビキビと動いて下さいねー!」

 階段の上に立った速水が、口元に手を当ててげきを飛ばす。

 10セットが行われた階段ダッシュが終了する頃には、参加者のほぼ全員が境内のあちこちで倒れ込んでいた。

「あー……。マジで死んだ……。足の筋肉がプルプルしてるよ……」

「……これは……想像以上に過酷だな……」

 塩田と鷹村が砂利の上に寝転がり、そのかたわらで雨瀬と最上が上がりきった息を整える。

 高校生たちの近くでは、速水が爽やかな笑顔で「水分補給を忘れずに」「筋力が上がれば、戦闘力が上がりますよ」と周囲に声をかけて回っていた。

 高校生4人の姿に気付いた速水が、スタスタと大股で歩み寄ってくる。

「やぁ。君たちは、東京本部から来た新人対策官の4人だね」

「……は、はい! 初めまして! この強化合宿では、速水特別対策官の指導を受けることができて光栄です! 12日間、どうぞよろしくお願いしま……」

「てゆーかさ。君たち、あの童子さんが指導担当についてるんでしょ? さぞかし優秀なんだろうと期待していたけど、これくらいのトレーニングでバテてるなんてね。インクルシオNo.1の教え子と言っても、大したことないんだね」

「……!?」

 塩田の挨拶を遮った速水の言葉に、高校生たちは驚いて固まった。

 速水は冷たく光る双眸を動かし、雨瀬を見やって言う。

「君が、“グラウカ初の対策官”の雨瀬眞白君? なんだか君も期待外れだなぁ。いくら超パワーを持つグラウカでも、そんなに細っこい体じゃろくに戦えないだろ。本当に実力でインクルシオに入ったの?」

「……ちょ……! あの……!」

 鷹村が思わず立ち上がると、速水はうるさそうに眉を寄せた。

「とにかく。強化合宿は、君たちが思うほど甘くはない。せめて他の参加者の足を引っ張らないように、気を付けてくれよ」

 そう言って、速水はくるりときびすを返す。

 唐突にとげのある態度を向けられた高校生たちは、しばし呆然とした。

 そこに、背後から「君たち」と声がかかった。

「そろそろ、小休憩は終わりだよ。階段ダッシュの続きを始めるから、下に降りてくれ」

「……は、はいっ!」

 高校生4人が弾かれたように振り向くと、名古屋支部に所属する綱倉佑士が立っていた。

 綱倉は速水のサポート役として強化合宿に参加している対策官である。

 風貌に華やかさのある速水とは正反対に、短い黒髪に端正な顔立ちをした綱倉は、実直で勤勉な印象の男だった。

 A4サイズのプラスチックボードとストップウオッチを手にした綱倉は、その場からなかなか動かない4人をいぶかしげに見やった。

「どうした? もし体調が優れないのなら、この後は見学にするか?」

「……い、いえ! 大丈夫です! すぐに下に降ります!」

 鷹村が慌てて足を踏み出し、雨瀬、塩田、最上がそれに続く。

「そうか。合宿の初日というのは、つい張り切り過ぎてしまうものだ。先はまだ長いから、あまり無理はするなよ」

「はい! ありがとうございます!」

 綱倉の気遣いに、ジャージ姿の4人は声を揃えて礼を言った。

 視線の先には、茶色がかった髪を風に揺らし、腕を組んで立つ速水がいる。

 「童子班」の高校生たちは、胸に滲んだ一抹いちまつの不安を振り払うように、勢いよく走り出した。




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