01・強化合宿
愛知県名古屋市金糸雀区。
インクルシオ名古屋支部の2階にある男性用のロッカールームで、特別対策官の速水至恩は、腰に装備したブレードとサバイバルナイフを外した。
速水の隣に立った綱倉佑士が、「至恩。お疲れ」と声をかけてロッカーの扉を開ける。
速水は20歳、綱倉は25歳で、二人は同じ班に所属する対策官であった。
黒のツナギ服を手早く脱ぎながら、綱倉が言った。
「そういやさ。さっき、総務部からメールが来てたぞ。来週の強化合宿のスケジュールの詳細と、参加者リストが添付されてた。総勢70人が参加だってさ。一応、お前も目を通しておけよ」
「へぇ。わりと多いですね。だけど、参加者リストなんか見たところで、名前も顔も知らない奴ばかりだしなぁ」
速水は茶色がかった髪を手で整えて、興味なさげに返す。
綱倉は一拍の間を置いて、手にしたジーンズに足を通した。
「まぁ、そう言わずにさ。リストの中には、東京本部にいるあの童子特別対策官の教え子たちがいたぞ。ほら、お前も、“グラウカ初の対策官”くらいは知っているだろう?」
「……あー。そうなんですか」
綱倉の話を聞いた速水が、ぴくりと肩を揺らし、俄に声のトーンを低くする。
綱倉がちらりと視線を向けると、速水は顔面に薄い笑みを貼り付けて言った。
「正直、強化合宿はあまり乗り気じゃなかったんですけど。……これは、楽しみになってきたなぁ」
10月中旬。東京都木賊区。
『厚生省特殊外郭機関インクルシオ』東京本部の南班に所属する「童子班」の高校生4人は、木賊第一高校の授業を終えて帰路についた。
10月9日に開催された文化祭で、反人間組織『キルクルス』のメンバーによりクラス担任の鴨田潮を殺害された4人は、驚愕と戦慄の感情に翻弄されつつも事件の捜査に尽力する日々を送っていた。
「……あ。電話だ」
下校途中の商店街の通りで、鷹村哲が立ち止まる。
学生ズボンのポケットに手を入れてスマホを取り出すと、午後の淡い外光を反射する画面には、インクルシオ千葉支部に所属する石坂桔人の名前が表示されていた。
「石坂君からだ」
そう言って、鷹村が通話ボタンをタップし、紺色のブレザーを着た雨瀬眞白、塩田渉、最上七葉が側に来て耳を寄せる。
石坂は『みんな、こんにちは!』と爽やかに挨拶をして、本題に入った。
『来週の強化合宿の件だけどさ。やっぱり、俺と宇佐は参加を見送るよ。みんなと一緒に行けないのは残念だし、ギリギリまで悩んだけど、今は2班の任務をしっかりと遂行することが大事だ』
「そっか。そっちは3人の対策官が抜けたもんな。俺らもすごく残念だけど、石坂君と宇佐さんの考えに賛同するよ」
鷹村が穏やかな声で言い、目の前に立つ3人がうなずく。
石坂は『ありがとう。来年は必ず行くから、みんなで鍛えような』と笑った。
“強化合宿”とは、インクルシオの総務部が主催する行事の一つで、対策官の体力と戦闘力の向上を目的とした短期集中型の合宿である。
今年が第一回目となる強化合宿は、全国17ヶ所の拠点を東エリアと西エリアに分けて10月15日〜10月27日の12日間で行われ、参加対象者は配属3年目までの対策官となっていた。
東エリアの会場は栃木県日光市の鬼怒川温泉で、東日本の10拠点から70人の対策官が集う予定であり、「童子班」の高校生たちは学校を休んで参加することにしていた。
石坂との通話を終えた鷹村がスマホをしまい、4人は再び商店街を歩き出す。
チェック柄のスカートの裾を揺らして、最上が言った。
「大阪支部の鈴守さんは、西エリアの強化合宿に参加するってメッセージが来てたわね。会場は違うけど、お互いに張り切っていきましょうって」
「うん。強化合宿は今年からの行事だし、鈴守ちゃんはかなり気合いが入ってたよねー」
塩田が笑みを浮かべて返し、鷹村が「俺らも負けていられないな」と鼻息を吐く。
雨瀬が強い眼差しを前方に向けて言った。
「集中的にトレーニングができる機会はそうない。今回は断念した石坂君と宇佐さんの分まで、僕らは強化合宿を一生懸命に頑張ってこよう」
雨瀬の言葉に、高校生の新人対策官たちは「おう!」と揃って威勢のいい声をあげた。
午後8時。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の隣に建つインクルシオ寮の食堂で、「童子班」の5人は夕食を済ませて一息ついた。
二頭の虎がプリントされた長袖Tシャツにジャージを履いた特別対策官の童子将也が、緑茶の湯呑みをテーブルに置いて言う。
「お前ら、いよいよ来週から強化合宿やな。8月にあった新人懇親会とは違て、トレーニング漬けのハードな毎日やと思うけど、くれぐれも無理をして怪我をせんようにな」
「はい! あざーっス!」
ラグランスリーブのシャツを着た塩田が元気よく返事をし、それぞれに飲み物を手にした鷹村、雨瀬、最上が「はい」とうなずく。
湯気の立つほうじ茶を一口啜って、鷹村が訊ねた。
「童子さん。その強化合宿ですが、特別対策官が一人指導係についてくれるそうなんです。俺らが参加する東エリアは、名古屋支部の速水至恩さんという方なんですが、童子さんは知っていますか?」
鷹村の質問に、童子は「おう。知っとるで」と答えた。
「速水君は、中3でインクルシオ対策官になって、高1で特別対策官に任命された優秀な男や。高1で特別対策官になったんは歴代でも速水君だけやから、当時は『鳴神冬真の後を継ぐ男』て言われとったな。俺は、速水君とは一度だけ、名古屋支部で一緒に仕事をしたことがあるで」
「な、『鳴神冬真の後を継ぐ男』……!? す、すげぇ……!!」
塩田が目を丸くし、鷹村が「高1で特別対策官か……」と腕を組んで呻る。
アップルティーのカップを持った最上が言った。
「そんな人が強化合宿の指導係だなんて、ますますやる気が出るわね」
「うん。すごい人に指導してもらえて、光栄だ」
玄米茶の湯呑みを前にした雨瀬が同意し、ふと顔を上げる。
「……そうだ。童子さん。強化合宿の期間中に、『シークレットゲスト』としてもう一人の特別対策官が来ると聞いたんですが……」
「あー! 雨瀬! それ、俺も童子さんに訊こうと思ってた!」
塩田がすかさずに声をあげ、鷹村が「俺も気になってた」と口を挟む。
最上が「もしかして……『シークレットゲスト』は、童子さんですか?」と上目遣いに訊き、童子は「あかん、あかん」と手を振って笑った。
「その件は、総務部から固く口止めされとんねん。お前らかて、誰が来るんかわからへん方が、楽しみがあってええやろ?」
「えー! 童子さんが来るかどうかだけでも、教えて下さいよー!」
塩田がテーブルに身を乗り出し、鷹村が「せめてヒントを……」と食い下がる。
童子は「ナイショや」と笑みを深くすると、目の前の高校生たちに言った。
「とにかく。今回の強化合宿は、お前らにとってええ経験となるはずや。速水君の指導の下で、他の参加者たちと共に全力を注いで頑張ってこい」
午後10時。栃木県日光市。
鬼怒川温泉街の中心地からやや離れた場所に建つ廃業済みの旅館で、革張りのソファに腰掛けた男──神原十羽は、愛用のライターを持ち上げて煙草に火をつけた。
「最近、朝晩はけっこう冷え込むな。こう寒いと、人間を殺したくなっちまう」
「はは。寒いから殺すって、なかなかイイっすね」
白煙を吐いた神原の言葉に、ソファの向かいに座る江田春紀が笑う。
神原は「ふふ」と口端で笑い返し、ライターをテーブルの上に置いた。
その使い込まれたライターには、血の滴る10本の羽の図柄と“D”の文字──反人間組織『デウス』を表す刻印が鈍く光っていた。




