03・再会
午前7時。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の最上階の会議室で緊急の幹部会議が開かれた。
会議室の扉を開いた各班のチーフたちが忙しなく着席する。
「おいおい。ゆうべ一晩で6人だって?」
「昔から“食欲”にムラのある奴でしたが、派手に動きましたね」
東班チーフの望月剛志と、中央班チーフの津之江学が、資料に目を通しながら紙コップに入ったコーヒーを啜った。
本部長の那智明が、通った声で言う。
「早速だが、昨晩起きた鏑木良悟が関与したとみられる6件の殺人事件について、該当する班は捜査状況を報告してくれ」
那智の言葉を受けて、西班チーフの路木怜司が手を上げた。
「西班の管轄では、水縹区の河川敷のランニングコースで、女性1名が遺体となって発見されました。例によって顔を喰いちぎられているので、まだ身元は判明していません」
路木に続いて、北班チーフの芥澤丈一が発言する。
「北班は、熨斗目区の雑居ビルで2名の女性が殺された。女性はいずれもこのビルに入る風俗店勤務。“人喰い”のクソ野郎は、店をはしごして女性たちを殺害したと思われる。現在、時任らが現場で捜査中だ」
芥澤の隣に座る南班チーフの大貫武士が、重々しく口を開いた。
「南班ですが、不言区で3名の女性が殺害されました。3名共、マンションのゴミ集積所から遺体を発見。所持品から2名は20代の会社員、1名は10代の専門学校生と判明。現在、12名の対策官が現場を捜査中。童子も行かせています」
それぞれの班の報告を聞いた那智は、「そうか」と細く息をついた。
インクルシオ総長の阿諏訪征一郎が、険しい表情で顎を摩る。
那智はまっすぐに前を見て、チーフたちに告げた。
「“人喰い”鏑木良悟の殺人事件は、マスコミもセンセーショナルに取り上げる。まずは、これ以上の被害者が出ないように各班の巡回体制を強化してくれ。そして、何より鏑木の確保を急げ。目撃情報や防犯カメラ等、一切の漏れなく徹底的に調べ上げろ」
那智からの指示を受けた各班のチーフたちは、一斉に席を立って会議室を出た。
「なんだか、バタバタと忙しいですね」
「反人間組織の捜査もあるのになぁ。これに加えて、鏑木かぁ」
津之江と望月が、足早にエレベーターホールに向かう。
路木は「仕方ないですね」と無表情で言い、長い廊下をすたすたと進んだ。
インクルシオの黒のジャンパーを着た芥澤がぼそりと呟く。
「“人喰い”のクソ野郎は、長身で目立つわりに行動が慎重で繊細だ。これまでも、現場に痕跡を殆ど残していない。目撃情報や防犯カメラをちまちまと調べたところで、それほど期待できねぇと思うけどな」
芥澤の意見に、大貫は「そうだな」と同意した。
大貫は大股に歩きながら、前を見据えて言う。
「……だが、やらなければ。今は地道に捜査するしかない」
午後5時。
インクルシオ東京本部の南班に所属する特別対策官の童子将也は、不言区の捜査から戻り、ガラス張りのエントランスを潜った。
黒のツナギ服を纏った童子は、インクルシオ対策官の標準的な武器であるブレードは持たず、両腿に2本のサバイバルナイフを装備している。
インクルシオの刻印の入った黒の刃は、黒革製のホルダーに納められていた。
「おーい! 童子ぃ!」
ロビーに大きな声が響き、童子が顔を上げる。
すると、北班に所属する特別対策官の時任直輝がブンブンと手を振っていた。
背中と腰に4本のブレードを装備した時任が、童子の側に歩み寄る。
「今、戻ったところか?」
「せや」
「俺も今戻ったばかりだ。“人喰い”のおかげで、今日は昼飯も食えなかったぜ」
「こっちは別の意味で、昼飯が食えへん対策官が続出したで。俺は食うたけど」
「ああ。わかるわかる。“人喰い”の殺し方は、どうしても見た目がな」
東京本部の広い通路を、童子と時任が並んで歩く。
時任は童子に顔を向けて訊いた。
「それで、そっちの捜査はどうだった? 何か掴めたか?」
「いや。めぼしい目撃情報はなんもあらへんかった。今から、俺も防犯カメラのチェック班に入って……ちょっと、待ってくれ」
童子は急に足を止めると、黒のツナギ服の尻ポケットからスマホを取り出した。
画面をタップして、着信したメッセージを読む。
時任が横からスマホを覗き込んだ。
「お。高校生たちからメッセージか。『夕飯は一緒に食べましょう』って、可愛い奴らだなぁ」
「今日は、まだ顔を合わせてへんからな。俺は早朝から捜査に出とったし、あいつらは学校やったし……」
そう言いながら、童子は手早く返信を打った。
時任が『7時に食堂で』の返信を見て、「そんなに早く終わるのか?」と訊く。
「防犯カメラのチェック作業は、夕飯の時間だけ抜けるわ。腹を空かせたあいつらを待たせられへん」
童子が穏やかな表情で答えると、時任は「甘いなぁ」と笑った。
そこに、棘を含んだ声がかけられた。
「お前たち。笑って立ち話とは、随分と余裕があるんだな」
童子と時任が振り向くと、西班に所属する特別対策官の真伏隼人が立っていた。
真伏はブレード1本のみを腰に下げている。
「“人喰い”鏑木良悟による殺人事件が次々と起きているんだ。お前たちも特別対策官という立場なら、常に緊張感をもって行動しろ」
「はい」
童子と時任は、真伏に向き直り、両手を後ろに組んで返事をした。
真伏は二人の前を通り過ぎる際に、冷たい視線で童子を一瞥する。
真伏が立ち去った後で、時任が肩を竦めた。
「ほんと、真伏さんて俺らに厳しいよな。特にお前に」
童子は手に持っていたスマホをツナギ服の尻ポケットに戻した。
そして、小さく息をついて言った。
「……どうでもええわ」
午後9時。
インクルシオ東京本部の隣に建つインクルシオ寮の休憩スペースで、「童子班」の高校生4人はソファに座っていた。
風呂上がりの髪をタオルで拭きながら、塩田渉が言う。
「童子さん、メシ食ったらすぐに戻って行っちゃったな。防犯カメラのチェック、大変なんだろうな」
「まぁな。不言区と空五倍子区の広範囲の防犯カメラを調べるらしいからな。童子さんは徹夜作業になるからいいって言ってたけど、俺も手伝いたかったな」
鷹村哲が返し、塩田が「俺らは学校があるからなぁ」と苦い表情を浮かべた。
「……テレビも、“人喰い”の殺人事件一色ね」
最上七葉が休憩スペースに設置されたテレビを見やる。
雨瀬眞白が視線を向けると、テレビのニュース番組で、報道の腕章を付けた記者がけたたましく事件現場をレポートしていた。
鷹村は気分を変えるように、勢いよくソファから腰を上げた。
「俺、コンビニでアイス買ってくる。お前らも何かいるか?」
「はーい! 俺、メロン味のシャーベット!」
「私はいいわ」
「遅い時間だから、僕も行こうか?」
「いいよ。ついでにマンガ立ち読みしてくるから、一人で行く」
そう言うと、鷹村はジーンズのポケットに財布が入っていることを確認して、多くの対策官たちが寛ぐ休憩スペースを後にした。
普段からよく利用するコンビニエンスストアは、インクルシオ寮を出て徒歩20秒の場所にある。
鷹村は夜風が吹く歩道を歩き、コンビニエンスストアの前に到着した。
軽快な音と共に自動ドアが開く。
鷹村は本が並ぶ棚の前に立つと、目当てのマンガ雑誌を手に取った。
パラパラとページをめくってマンガを読む。
──その時。
鷹村の隣に、誰かが立った。
視界の端に、黒のパーカーと色落ちしたジーンズが映る。
フードを目深に被った人物の顔は全く見えなかったが、鷹村はすぐにその人物の正体に気が付いた。
ジーンズの尻ポケットに入れたスマホに素早く手を伸ばす。
「……下手な動きをしたら、この店にいる客を殺すよ」
パーカーの人物が小さく囁いた。
明るい照明の店内には、会社帰りのサラリーマンなど、数名の客がいる。
手を止めた鷹村は、眉間に皺を寄せてパーカーの人物を睨みつけた。
「せっかく再会したんだからさ。少し話そうよ、哲」
パーカーの人物が、ゆっくりと目を向ける。
双方の視線が交わり、鷹村は呻るような声を喉から押し出した。
「……二度とお前に会いたくなかったぜ。阿鼻」




