狐に化かされ狸寝入り
油揚げでもかじりながら ご覧ください。
「やったーっ、今日からは自由だ!」
半ばヤケではあったが、束縛からの解放も感じて缶ビール片手に一人で快哉を上げる。
嫁なし金なし仕事なし、自由人への入り口に立った僕は行く当てもないまま社宅を後にする。
引っ越しする金も持たないから大したもんじゃないが家具はそのまま放置だ。
管理人から文句を言われたが退職金もないまま放り出されるのはこっちだ。
あんたらも近いうちに僕みたいにならないといいよね。
あの会社、退職金の積み立てを食いつぶしてたから相当アブないよ?
30年以上いても5万てなんなのさ。
まあいい、その辺でのたれ死のう。
精々最期ぐらい周りに迷惑かけて存在をアピールしないとね。
今まで社畜っての?
散々周囲に迷惑掛けないようにフォローしまくってきたからフォローさせないとプラマイゼロにはならないじゃないか。
あ、畜生。こんなことなら借入額一杯まで借金して豪遊すればよかったか。
無職じゃ、そんなに借りられないし損したなぁ。
お?こんな路地に稲荷があったんだ。
金持ってても仕方ないし財布ごと全部賽銭にしちゃえ。
あ、免許証入れたままだった・・・どうせもう要らないしいいか。
身も心も軽くなって鼻歌まで歌いながら去っていこうとした僕に後ろから声が掛かる。
『もし、そこの御方・・・』
後ろって小さな稲荷の祠しかないはずだぞ?
怪訝な心地で振り向くと、そこには黄金の毛皮がまぶしい大きな狐がふさふさとした尾を振りながらお座りをしてこちらを見ている。
都会の真ん中で狐かよ。
お稲荷様の使いが狐だとは知っていたが呼び止められるとは思わなかった、それこそ狐につままれたって奴だな。
「もしかして僕を呼んだのかい?」
狐はまるで人のようなそぶりで頷く。
『勿論、そうでございます。
お見掛けした所、金気を損じていらっしゃるご様子なのに当社に御散財されていたご様子、何ぞ我らに願い事でもあられたのかと』
「願い事なんて何もないですよ、元から信心深い方じゃないし、これから好きにするのに邪魔だったから有り金全部差し上げただけですよ」
僕はごく普通に狐と会話をしていた。
普通なら、驚いてもおかしくないのに知り合いと話しているみたいにだ。
狐は首をかしげる。
『好きになさるとは言われてもあなた様からは死の気配しかしないのですが・・・』
さすがは神の使いだな、誤魔化しは効かないか。
「さすがは神様のお使いでいらっしゃる。
カッコよく言えば世を儚んで一番迷惑が掛かりそうなやり方で死のうかと思っていたところですよ」
狐は首を横に振る、本当に人間臭いな。
『当社に参られてから身罷られるとは縁起でもない。
当社が五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、交通安全を司ることはご存じかな?』
「農業はやってませんし、一人暮らしで家族もいませんし、新幹線にでも飛び込む気ですので」
狐が慌てた素振りで僕の袖に縋り付いてきた。
『全財産を浄財として納められたご様子なのに当社の御利益を真っ向から御否定なさるとはなんとご無体な。
ここであなた様を行かせてしまっては我らの沽券に係わります』
「そうは言っても仕事も無くしたし帰る家ももう無いし。
どこにも行きようがないなら路上で暮らすかもう一歩踏み出して車にはねられるか・・・」
狐がいやいやをしながら僕に取り縋る。
『そこをなんとか思いとどまって戴けないかと申しておるのです。
あなた様にはまだ運気が残されてらっしゃいますのに!』
「そりゃ、今まで使う機会がなかったから残ってるでしょうよ。
使い方を知らないんだから残ってても意味がないじゃないですか、そろそろ行かせて頂いてもよろしいでしょうか?」
狐は天を仰いだ、中に誰か入ってないか?
『ああ、なんという!
八百万の神々になんと申し開きすればよいのでしょう。
どうすればあなた様をこの世に御繋ぎできるでしょうか』
「どうせ、明日死ぬはずの予定が今日死にそうだからって慌ててるんでしょ?」
狐はカッと眼を見開いて僕に顔を近づける。
『いえ、そんなに早く幽明境を異にされることはございません。
あなた様は後・・・いえこれは申し上げることは許されない事でございました』
「へぇ、こんな小さな祠の使いでさえ、そんな先の事を知ることができるんだな」
『それ以上は八百万の神々との約定に係わる事ですのでどうかご容赦を・・・』
「先のことがわかるって事は楽そうだけど面白かないだろうね、別に知りたくもないからいいよ。
じゃさよなら」
僕が振り向きざまに車道に飛び出そうとするのを狐がタックルをして押し倒す、後ろからのタックルは反則じゃなかったか?
『手荒なことをしてすいません。
非常事態でしたので・・・』
僕の擦りむいた膝を狐がひと舐めすると擦り傷は消えズボンの破れた膝の辺りから覗くのはピンク色の肌だけだった。
まあこれから死のうって人間がズボンの膝が破れてたくらいでおたおたするのもなんだし気にすまい。
「気にはしてませんからお構いなく、では」
いきなり動くと反応してくるだろうと考え、殊更ゆっくりと向きを変える。
まだ疑ってるのか狐が側にぴったりと張り付いてくる、それも車道側から。
「いいんですか?祠を空けて」
狐が不服そうに鼻を鳴らす。
『いいはずがないじゃありませんか。
でもあなた様が心配で一人きりになんてできないじゃありませんか』
「とは言っても今更心残りがあるモノなんかないですから放っておいて欲しいんですがね」
狐が何か思いついたらしく僕の顔を見上げる。
『それなら心残りになるモノを差し上げれば思い留まれるというものですね?』
「まあ、それは一つの意見かもな。
実際心配をかける家族がいるわけでも会いたい友人がいるわけでもやり残した仕事が残ってるわけでもないからね」
狐がフッフッフッと不敵な笑い声をあげだした。
「なんだ?気味が悪いな」
『古来、我が一族が稲荷様の眷族となりて幾星霜、人と共にあり覚えた技は数々あれど、かの玉藻前様や葛葉様の頃より妖の中は元より神仏の皆様方より第一等の誉れを戴きし秘術をここに御披露する事に致しましょう』
「化かすのか?」
狐はギッギッギッと錆びついているかのようにぎこちなく首を横に向ける。
『サア、ドウデセウカ』
旧仮名遣いになってるぞ。
『と、とにかく我が秘術をご覧になってください』
狐はどこからともなく取り出した柏の葉を額に載せ『コーン』とひと鳴きすると地から湧き起こる白煙にその身を隠した。
やがて煙が晴れたらとんでもない美女が・・・なんて展開があっても関係ないからひとまずその場から離れることにした。
いつまでも絡まれたくないからな。
いっそあの糞会社の玄関先で首吊って死んでやろうか、などと考えながら足を放り出されたばかりの会社の方へ向けようとすると、後ろから鈍い衝撃を受け前に吹き飛ばされて車道に転がり出てしまった。
程よく大型トラックが警笛を鳴らしながら急ブレーキを掛けているのだろうかタイヤが煙を上げて甲高い軋みを響かせている。
運ちゃんには悪いが、丁度よかった。
中りやすい様に立ち上がりぼんやりと車を見ていると、道端からすっと手が出てきて僕を歩道に引き上げてしまった。
邪魔するのは誰だ?
憤りを込めて僕を掴んでる手の持ち主を見てみると、和装の若い娘だった。
和装ってのは踏ん張りが効く恰好じゃないから相当な力持ちだと推測されるな。
・・・騙された振りしてやっとくか。
「危ない所を助けて頂きありがとうございました」
「いえ、咄嗟の事でしたがお助けできてようございました」
見た目に反して古臭い話し方をするじゃないか。
「どこかお怪我をなさっていませんか?」
盛大に突き飛ばされたからアザだらけだよ。
「いえ、特に。擦り傷が少しできたみたいですね」
「あの状況でまぁ、ご無事で何より。
所でどうしてあんなところで飛び出されたのでしょう」
お前が突き飛ばしたからだ、と言いたいところを騙されている設定だからこらえて
「急に後ろから風にあおられて踏ん張り切れずに車道に出てしまいました」
若い娘――細面で少し吊り気味の切れ長の目が印象的な狐顔の美人だ、うんうまく化けてるのは認めるよ――は驚いたかのように口に手を当て大きく目を見開いた。
「それはまた、狸にでも悪さをされなさったのでしょうね」
いいえ、狐にやられたんです、あんたにね。
「そうでしょうか。
まあ狸になら仕方ありませんね。どちらかといえば狐より狸の方が好きですし」
“娘”はムッとした表情で僕を睨む。
「まぁそうでしょうか。
狸と言えば腹黒くて執念深く人をも食らうと申します。
それに引き換え狐は賢く用心深く人と子を為す者もいたと言われます」
マッチポンプとはいえ僕を助けたのはアンタだから礼ぐらいは言うけどさ、好みまで曲げる気はないね。
そのせいで婚期を逸したのは否めない事実だけどね。
「まぁ昔話の狸と言えばかちかち山では婆さん食ってるし狸オヤジと言えば徳川家康ですからね。
でも狐だって玉藻前は最期は殺生石になって祟りまくっているしその元をたどれば殷の妲己、周の褒姒とかの傾国の悪女じゃないですか。
賢いというより狡賢いという方がイソップ寓話とかを引用しても正しいんじゃないかな」
あっ悔しがってるな。
「まあ、それは置いといて改めて先ほどはありがとうございました」
余計なお世話をしてくれて、と心の中で呟いて、
「恩人のお名前を聞きそびれるところでした。
僕は、田貫光司と申します」
「置いておかれるのもなんだか悔しい気も致しますが、改めましてわたくし狐塚葛葉と申します」
「・・・お似合いのお名前ですね」
稲荷の使いはネーミングセンスが平安時代から進歩していないのか・・・
「皮肉は結構ですよ狸小路さん。
昔から狐憑きの葛葉って呼ばれていますし、どこをどういじっても狐顔は治りませんから」
「皮肉とか嫌味とかではなくですね、安倍晴明の母親は葛の葉という名の美しい狐だったそうですから。
ちなみに僕の名前は狸小路ではなく田貫 光司ですので」
「わたくしが狐みたいな言い方はよしてください、狸小路さん」
「これは命の恩人に失礼なことを言ってしまったようですね。
誠にすいません」
どうやら葛葉嬢は、つむじを曲げられたらしい。
「どうも、さっき稲荷様のお使いに振り回されてからなんでも狐に見えてしまって」
嘘じゃないさ、嘘じゃ。
葛葉嬢は、驚いた様子で周囲を見回す。
「もしかして化かされたんですか?」
現在進行形だよ。
「さっき車道に突き飛ばされたのが最後だったんでしょうね。
もう気配を感じませんから」
最初から感じてないけどな。
「でも、ご用心為された方がよろしいんじゃありませんか?」
だから、構えてるんでしょ?
「まぁ、あなたのような美しい方とお話しさせて頂くチャンスをくれたんだから案外いい狐だったんでしょう」
好みじゃないけどね。
葛葉嬢は、満更でもない表情で頬を赤らめこちらを盗み見る。
「殿方より、面と向かってそのようなお褒めの言葉を戴くなんて初めてですわ」
正直丸顔で垂れ眼の愛嬌がある狸顔の方が好みなんだが、ここは感謝してる振りでもしないとね。
「いや、何度も申し上げますように助けて頂きありがとうございました。
では」
僕は、その場を足早に立ち去ることにした。
化かされる義理は果たせただろう。
僕は改めて車道へ出た。
さっきのトラックがコントロールを失ったようでこちらを目指して走ってくる。
恐怖に引き攣る運転手と目が合う。
すんませんね、付き合わせちゃって・・・
目の前に来ていたトラックがなぜか反対車線の信号機にぶつかって止まっている。
運転手は無事のようだ・・・僕も普通に立っている。
隣に気配を感じて目線を動かすと稲荷の使いがため息をつきながらお座りをしていた。
「これはまたお疲れさまでした」
『交通安全をなんとか死守させて戴きましたよ。
なんて無茶なことをなさるんですか、まったく』
要は狐に邪魔されたという事だな。
『これでお持ちの運は使い果たされました。
次はお停めする事は叶いません』
いい事を聞いた、これで邪魔が入らないという訳だ。
「そりゃまた仕方ないことですね」
狐にそう返すと僕は次の方法を探そうと周囲を見渡した。
そして目が合ってしまった、狐塚葛葉嬢と。
化け狐じゃなかったの?彼女。
「わたくし、本当に狐に憑かれているお方に生まれて初めてお会いしました」
僕も初めてです、化け狐のドッペルゲンガーと話すのは。
いつまでも車道にいるわけにもいかず歩道に移動しながら傍らの狐に訊いた。
「彼女に見えてるみたいだね」
『飯綱使いか何かなのでしょうか、普通はよほどの霊力の持ち主か、あなた様のように積極的に係わりあった方ぐらいにしか見えませんのに。
でもようございました』
「何がですか」
『こうして運を使い切ってでも番と巡り合われたのですから』
番とはまた、獣じみた表現だな。
「運を使い切るとはさっきのトラックの事かい」
『とんでもない、あれは我らが秘術でございます。
最良の縁と取り結ぶのに運を使われたという事です』
好みじゃないんだが・・・
「わたくしは狐塚葛葉と申す者、あなたはお稲荷様のお使いであられますか?」
ドッペルゲンガーが狐に話しかけてきた。
『おお、これは素晴らしい力をお持ちで・・・』
狐たちの長話を傍で聞きながらこれからの事を考え途方に暮れる僕は我儘なんだろうか。
いつの間にかあの祠のところまで戻ってきた僕たちは仲良く話す妖怪たちとその横でふて寝をする僕とに分かれていた。
どうやら“強制力”ととやらが働くらしく何度逃げようとしても2匹の下に戻ってしまう怪奇現象が僕の気分を陰鬱にさせる。
『何を寝てらっしゃるのですか、狸様いえ田貫様。
お喜びください、奥方様は葛葉様は玉藻前様の生まれ変わりに相違ございません』
いつから狐と僕が結婚したことになってんのさ、それも葛葉嬢が九尾の狐の生まれ変わりって面倒臭い上にややこしい。
僕は際限なく続く狐の戯言を聞き流すつもりでふて寝を続けるのだった。