骨董機
すでに、第一線から退いて久しい。
だが、まだ動き続けている。
手野武装警備が現在保有している飛行機の中で一番古いのは、戦前に製造された複葉機である。
手野制式の一つである子の複葉機は、100kg爆弾2本を左右につけるのがやっとというぐらいの性能しかない。
2人座乗で、投弾は後ろの人が、複葉機の操縦は前の人がそれぞれ行うことになっている。
1921年、手野複座式複葉機003号として、手野重工業において製造。
翌年に手野武装社が受領し、複座式複葉機003号として運用を開始。
航続距離が短いため、日本近海の哨戒用として運用され、第二次大戦時には米軍の駆逐艦へと爆弾を落としたこともある。
なお、当たらなかったようではあるが、複葉機としての攻撃は、米軍も驚いたことだろう。
戦後、一応は武装解除として爆弾の吊架台は撤去されたものの、あまりにも古い機体ということもあって、民間へすぐに払下げとなった。
それを買ったのは手野財閥と姻戚関係がある、アメリカのテック・カバナー財閥である。
吊架台を復元し、展示飛行用としての運用を開始すると、敵国が作った複葉機という珍しさもあって、盛況となった。
この復元が米軍基準で行われたため、
1972年、日本に武装警備業法が制定されると、手野グループはすぐに手野武装警備を設立。
ここに手野複座式複葉機003号は手野武装警備へと引き渡され、今も空を飛び続けている。
ちなみに、吊架台の復元は不完全なものであったものの、当時の図面が残されていたことからそこからの復元が行われ、現在は爆撃を行うことは可能となっている。
そのため、現在では手野武装警備の骨董機として、よく知られた存在となっている。