第壱話 秋冬春はケガをする Ⅲ
物陰からこっそりと彼女を観察する。
ストーカー、付きまとい、追従行為。
第三者からすればそう見えるだろう。
ルックス中の下。くせ毛が眼にかかるほど伸びたいかにも陰湿な男子高校生がガーゼで覆われているとはいえ一般的に美少女の部類に入るであろう女子高校生の後をつけているのだから。
否定はしないが肯定もしない。
いまや僕にとって第三者の価値観はそれほど重要ではなくなっていた。
・・・さすがに通報されるような事態になればそうも言っていられないのだけれど。
秋冬を観察して約十分、特に変わった様子は見受けられない。
実際、あの紙に書かれていたことが気にかかるというのが半分、さんざん通った本屋に行っても退屈するだけだろうというのが半分と言ったところ。
待ち合わせまでのいい時間つぶしになると思っていたのだが。
どうやら僕の考えすぎだったらしい。
秋冬は相変わらずキョロキョロしながら歩いていた。
僕が言えた立場ではないがかなり挙動不審である。
同高校に通う彼女にとってもここいらは馴染みの場所であるはずだ。
それを考慮すると何かを探しているというのは考えにくい。
だとすれば一体・・・?
その時だった。
彼女の頭上、電線にとまったカラスの肛門から白い爆弾が投下された。
あっ・・・。
僕は最悪の結末を想像した。
しかしどうあがいてもどうにもならないことを悟った僕にはただその一部始終を見守ることしかできなかったのだ。
爆弾投下から零コンマ二秒。
まだ着弾には十分余裕があるその時。
僕の予想に反して一直線に落ちていくそれを彼女はサラリと躱したのだった。
わかっていたかのように。予期していたかのように。
爆弾は地面に当たるや否や花が開くように弾けた。
飛沫は周囲十センチ四方に飛散する。
彼女はというと着弾を確認することもなくすでに歩みを再開していた。
僕は彼女を観察していて何も変わった様子は無いと思っていたのだが、たった今事情が変わった。
実はこれ、すなわち鳥による満身創痍少女襲撃事件は三度目なのである。
一度目は鳩、二度目は鳥の知識に疎い僕には判別することができなかったが茶色い鳥、そして今回はカラス。
その三度にわたり鳥は彼女目がけて脱糞し、また彼女はそれを華麗に躱したのだった。
ツイていないだけだといえばそれまでなのだが、常に動き続けている秋冬を、秋冬だけを鳥が狙ったかのように脱糞するというのもなんだか妙な話だ。
僕の中で確信めいた違和感が生まれた瞬間だった。
そんな思いを巡らせながらも秋冬を尾行していると、数十メートル歩いたところで今度は持っていたビニール袋の中身をぶちまけた。
故意ではない、事故である。
なぜなら彼女の手にはいまだビニール袋が握られていたのだ。が、袋の底にできた大きな口が中身を全て吐き出してしまったのだ。
彼女は松葉杖を軸にしゃがみ込み新たに取り出した袋に散らばった中身を詰め込み始める。
石膏で固められた足ではしゃがみ込み物を拾うのは常人の何倍も労を要するだろう。
僕も手伝おうと足を踏み出した瞬間、気のよさそうな若者二人が彼女のもとへと駆け寄った。
秋冬のそばにしゃがみ込み散らばった荷物を一緒に拾い集めている。
どうやら手伝ってあげているらしい。
心優しい若者がいたものだ。
僕はストーカーの職務に戻った。
全てを拾い集めた彼女は二人に頭を下げるとまた歩みを再開した。
しかしどういうわけかその二人に立ち去る様子はなかった。それどころか彼女の横につき共に歩き始めたのだ。
逃がさないと言わんばかりに秋冬の両脇をガッチリと固めている。
二人は秋冬の腕を掴みドンドン人通りの少ないところへと連れていった。
十分程度歩いたところ。
彼女が連れていかれた先は工事中のビルに囲まれた場所だった。
人通りは見込めず、灰色の防音シートに阻まれ日のあたりは悪い。
がなり立てるような工事音はどんな音もかき消してしまうだろう。
ここで何が起きようとも。
もちろん実は僕の考えすぎで何か事情があってのことなのかもしれない。
しかし「男 少女 暗がり」で検索した結果、僕の脳みそでヒットしたのは一件だけだったのだ。
結論。
僕は彼らを追い払うことに成功した。
と言っても、僕が太刀もなしに大立ち回りを演じたわけではない。
しかし彼らは僕に恐れをなして逃げ出したのだった。
口不調法。
正確に言うと僕の腹部にできた血だまりに恐れをなして逃げたのだ。
僕は彼らの置き土産である折り畳み式のナイフをズルズルと腹から引き抜いた。
刃が肉を裂く感触に思わず顔をゆがめる。
彼女、秋冬は多少なりとも動揺しているようだった。
それもそうだ。
男に暗がりに連れ込まれ、さらに同級生が刺される現場まで目撃したのだ。
PTSD、心的障害後ストレス障害。それを一発で発症してしまうほどの豪華な食材を一度に味わったのだ。
あの毅然とした態度をとっていた秋冬が今では怯えた少女のようになっていた。
意外だ。
秋冬にもこんな人間らしい一面があるんだな。
まぁ、秋冬と言えど人の子というわけか。
「四月一日君、あなた・・・」
・・・僕の名前知ってたのかよ。
という、素朴な疑問をグッと飲み込む。
「あ、きゅ、救急車を・・・」
彼女はいまだ動揺した様子で携帯を取り出した。
「いや・・・いいんだ。やめてくれ。」
僕は彼女の携帯に手をかけそれを制止する。
「何を言っているの? あなたそのままじゃ死んでしまうわ」
「いや・・・」
そう言いかけた時、僕は彼女の携帯の画面に目がくぎ付けになった。
携帯の画面に映し出されていたのは彼女には似合わないファンシーな待ち受け画面でもましてや彼女の秘蔵写真などではない。
すでに消灯してしまった黒い画面に反射して映し出されたのは僕らの上空の景色。
そこに映っていたのは空、工事中のビル、そして僕ら目がけて落下してくる鉄骨だった。
僕はほとんど無意識で、無自覚で彼女を突き飛ばした。
その刹那。
伸ばした僕の手の上に、今彼女が立っていたまさにその場所に鉄骨が落下する。
僕の腕はミシリと骨を鳴らし視界の下方へと消えていった。
それから、あっという間も、いっという間もなく降ってきた後続の鉄骨についに僕の体は地面に叩き付けられたのだった。
「四月一日君!!」
秋冬の顔は見るからに青ざめていた。
僕は一瞬飛んでしまった意識を何とか引きずり戻す。
「あ、あきふゆ。とりあえず、ひ、引っ張りだして・・・くれ」
「え、えぇ・・・」
秋冬は鉄骨の隙間から伸びた僕の手を掴み体を反らす。
助けを求めておいて何なんだが彼女は満身創痍の身。
出せる力はたかが知れている。
僕は僕で身をよじり乗っかっている鉄骨をガラガラと転がしながら匍匐前進を試みた。
そんなこんなでようやく僕は抜け出すことに成功したのだった。
僕を引っ張りだした後、秋冬は再び携帯を手に取った。
「秋冬、救急車は・・・いいんだ」
僕は再びそれを制止した。
今回は声だけだ。
なぜなら僕の手はすでに目を背けたくなるような状態にあったから。
「あなた・・・気は確か?」
「あぁ、頼むからどこか休めるところに連れて行ってくれないか」
「でも血もそんなに・・・」
「頼む!」
救急車は呼べない。
それに・・・呼ぶ必要もない。