第壱話 秋冬春はケガをする Ⅱ
「何か用かしら?」
翌日、僕は秋冬という人物に接触を図った。
結局、昨日以来変に意識してしまい、こうして事情をきくことにしたのだ。
他にそれらしいお願いも見つからなかったというのもある。
要するに暇なのだ。
秋冬はいろんな意味で有名人なので個人を特定するのも探し出すのもそれほど苦労はしなかった。
彼女はいつもケガをしていた。
といっても、頬に絆創膏を貼っているだとか、体のどこかに痣を作っているというわけではない。
おっと失敬。噛んでしまった。
だけではない。
それ以上だった。
額に包帯、目に眼帯、足に石膏、手に松葉杖。
簡潔に表現するならば満身創痍、命在朝夕といった様子だった。
「いや、用ってほどじゃないんだけど・・・」
彼女の高圧的な物言いと形貌に僕は歯切れ悪く話を切り出した。
いや、切り出そうとしたのだが・・・。
「用もないのに話しかけないでくれる?」
!?
「お・・・」
「気安く近寄らないでくれるかしら?」
おう・・・。
僕が返答する間もなく彼女の口から立て続けに放たれた言葉に僕らのコミュニケーションは十秒で終焉を迎えたのだった。
拒否。
拒絶。
彼女の言葉にはそういった感情がのせられていた。
物理的にも精神的にも他人を寄せ付けないまさに氷の女王。
完全にフリーズした僕を尻目に彼女、秋冬は松葉杖を響かせながら遠ざかっていった。
初対面である。
一般の男子高校生なら初対面の女子にこんなことを言われた日には勢いそのまま、感情そのまま窓からフライアウェイしてしまうことだろう。
しかし、僕は違う。
特別な訓練を受けた僕なら今晩枕を濡らす程度で済むはずだ。
僕の魂が無事僕の体へと帰宅した時、いつもの空き教室のいつもの席にいた。
自我を取り戻してなお、脳が働く様子は一向に無い。
僕はしばらく目から一方的に流れ込んでくる景色をぼんやりと眺めていた。
白い靄がかかった黒板。
そのうえに鎮座する傾いた学級目標。
掲示板の隅に密集した画鋲。
なんともさみしい光景だが、騒がしい景色に不必要に心を乱すよりは何も考えなくていいぶん今の僕にはちょうどいい。
少しして落ち着きを取り戻した僕は力の入らない手で机から昨日の紙切れを引っ張り出した。
たすけて 秋冬
はたしてこれは本当にあの人を見下したような高慢ちきな女が書いたのであろうか。
とてもじゃないが同一人物だとは思えない。
しかし、僕の記憶が正しければこんな珍しい苗字は彼女をおいてほかにはいないのだった。
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秋冬から受けた攻撃、もとい口撃に宣言どうりその日夜に枕を濡らした僕は翌日が休日であることを利用してある人物に会いに行くことにした。
午前十時。
約束の時間までまだ少しある。
僕は当てもなく商店街をぶらぶらしていた。
もう大分見慣れた景色だ。
親しい友人もいなければ家に居場所もない僕は毎週のようにここに通い詰めている。
本屋で立ち読みし、近くの公園で缶コーヒーを飲むというのが僕のルーティンになっていた。
適度に木陰がある公園は心と体を休めるのにもってこいの場所である。
人がいないというのがまたいい。
しかしこの田舎にも再開発の波が押し寄せていた。
始めは遠くで聞こえていた工事音が今ではもうすぐそこにまで迫っている。
そのうち僕の居心地の良い空間もモダンな色に染められてしまうのだろうか。
今日日僕ほど絶滅危惧動物の気持ちが分かる人間はいないだろう。
僕はそんな感傷に浸りながらも着々と本屋との距離を縮めていた。
しかし、相変わらず人がいないな・・・。
大丈夫なのか? ここは。
ガラガラの商店街。
まるで僕が一帯を買い占めて僕だけの街になってしまったようだ。
しかしなかなかどうして楽しいものではなかった。
こういう時、どれほど得意な気持ちになるものかと思っていたのだが、実際のところ感じたのは満足感よりも寂寥感だった。
例えどれだけ誇れるものがあったとしても、比べられなければ、自慢できなければ虚しいだけだ。
そう。自慢とは他者がいて初めて成立する。
地位も名誉も肩書も。財も容姿も才能も。
結局根底には他者に認められたいという欲求が人にはあるのだろう。
しかし僕がそんな寂寥感を感じたのもほんの少し間だけだった。
さらに数十メートル進んだところ。
絶賛再開発中の地区に差し掛かると、いよいよ人が多く見受けられた。
そんな最中。
僕は見かけてしまった。いや、見てしまった。
スクランブル交差点の斜め向かい。
満身創痍、命在朝夕の少女。
松葉杖を掴んだ手には一緒にビニール袋も握られていた。
中身がうっすらと透けて見える。
人参にネギにバナナに・・・鯵だろうか。
一体何を作る気だ?
中身は何であれ、どうやら商店街での買い物帰りらしい。
彼女、秋冬は僕に気づく様子もなく仏頂面で信号を待っていた。
青。
一斉に人が動き出す。
彼女はキョロキョロとしながらやはり僕に気づくことなく道路を横断していった。
横断歩道を渡り切った僕は川の流れを裂く岩のように、人の流れもお構いなしに立ち止まる。
振り返るとそこにはいまだ松葉杖をつきながら不器用に歩く秋冬の背中があった。
点滅。
人々が足を速める。
秋冬はその人波にのまれながら加速度的に遠ざかっていった。
僕は少しの間、といっても信号が点滅しているわずかな間だが秋冬の後ろ姿に見入ってしまっていた。
そして次の瞬間、僕はこちらに向かってくる人をかき分け彼女の後を追いかけていた。