05_対処準備
LCAC。俗にそう呼ばれる揚陸艇は、海上自衛隊の保有する大型のエアクッション船だ。
歩兵だけでなく戦車やトラックを初めとする車輌の類までも運送可能なその船は、元々は敵の砲火の中を強行上陸して攻め立てるための兵器だった。そのため、手榴弾を遠距離まで投擲して、着弾地点をまるで嵐か何かのように徹底的に爆破するグレネードランチャーや歩兵の上陸を支援するための機関銃が取り付けられている。
――――それが。
「……それが、まさかこんな使い方になるとはな」
ポツリと漏らした一尉のつぶやきに、市長は苦笑した。
「接舷するときには相手の船足を止めてやらないとならない。というのが二佐の見解です」
「つまるところ、これらの武装を使って逃走する意思を削いでやれってことだな」
こくり。小さく首肯。はあと重苦しいため息をついた一尉は、あごひげを指先でいじるようにもてあそぶ。
そこは狭い見張室。双眼鏡と少しの信号機解読表が置かれた簡易的な見張り所。一尉はぐるりと首を回してまわりを見る。エアクッション揚陸艇の操縦席の上には色とりどりの国際信号旗が踊っていた。その意味は『停船せよ。そちらに乗船する』――まさに、不審船からの挑発行為を真っ向から撃ち返したような物だ。
ふむ。再び髭が伸び始めてきた下顎をぞりと親指で弄り、意識をまた視界へと持っていく。
風をはらんだ3枚の信号旗の奥には、秋にもかかわらず緑の絶えない、なだらかな稜線を描く江田島の山々が見えた。半年ほど前に登ったあの野戸呂山らしき山並みも同じくだ。
「――あれか」
正面に向き直り、ポケットから双眼鏡を取り出して島並みの向こうをのぞくと、小さな島の岬のすぐ陰に確かに漁船らしき物体が見える。赤いブイのすぐ側にぽつんと在る白い船体。写真で見たとおりの図体が、深く暗い青を湛えた海の上に我が物顔でのさばっているのが確認できた。
その奥の小島。緑で埋め尽くされた小島を指差して、あれが小黒神島です。紺色のスーツの少女は、ぽつりとと口を開いた。
「右手に見えるあの小さな島が、小黒神島です。その奥が宮島……廿日市市のレーダー基地とかが置かれてる島ですね。あと、こうなる前は主要な観光名所でした。聞いたことくらいはあるでしょう?」
そりゃまあ。一尉は腕を組んで頷き返す。では小黒神島には何が?
「小黒神島は……何もないです。人っ子一人すらも在住していません」
「……それじゃ、あの不審船は、何でここに来たんだ。呉船籍なら、蒲刈とか、もっとこう……あっただろうに」
「比較的良好な漁場にある無人島ですから。たびたび巡回しないと不法漁獲されやすいんです。それに、江田島市は呉市の属国みたいな物でしたから…………対応も極力事なかれ主義を貫くしかなく、形だけの監視だけにおわっていたんです」
なるほど。納得した一尉の脳裏に、ふと、疑問が芽生えた。
「……それなら、通報はどこから」
訊ねる。市長は一瞬ぱちくりと瞬きしたあと、のど元に何かが引っかかったかのように言葉を出さず、ただぱくぱくと口を開閉させる。
その時、ガタンと船全体が揺れた。小さな悲鳴を上げてよろめく少女を、咄嗟に抱き留めた。
「あ……」
波による一度きりの揺れだったようで、すぐにまた安定性を取り戻したのを確認すると、一尉は気を付けてくれよと呟いてから抱き留めていた腕を放した。
「あの、ありがとうございます……」
「気にするな」
小さくこぼして、口を真一文字に結ぶ。揺れたということは、船舶の造波だろうか。見張室のすぐ向こう側には、先ほどと比べて大きく近付いた漁船『第3晋漁丸』の姿があった。その周囲に黒い鋭角なゴムボート達の影も見える。
一尉は見張室のガラス製の窓を開けて、極めて事務的な文言を発した。
「江田島市自警団より漁船『第3晋漁丸』へ。即時停船されたし、貴船は江田島市海上境界内の漁業権を侵害している。…………繰り返す、貴船は江田島市海上境界内の漁業権を侵害している。速やかに停船せよ」
瀬戸の穏やかな波間に、白い波濤を舞い踊らせながら何隻もの船が走ってゆく。舳先で細かく切られた水飛沫が風に乗って一尉の頬を掠めていく。
「……どうですか?」
「応答無し。奴さん完全にこっちを舐め腐ってやがる」
やれやれとかぶりを振って、メガホンを見張室備え付けの台の上に下ろした。紅一点である灘尾市長は、少し悲しそうな顔をして俯く。
「やっぱり、ですか」
やっぱり? 一尉が問う前に、市長は続けた。
「今までの初期対応の結末ですね……」
少し船足が落ちたのか、ガスタービンが発する獣の唸り声のような騒音がなりを潜めた気がする。
その合間を縫うようにしてどたがたと見張室の出入り扉の向こうから足音が響いてくるのがわかった。
「市長、それと一尉。六角二佐が船室へお呼びです」
――――
見張り室よりは広いかな。といった程度の船室に、数人の男女が詰めている。
自警団の団長を務める六角二佐。江田島市の最高代表者
灘尾市長。そして、つい昨日までよそ者だった一尉だ。
「……ここまでの停船勧告を無視して漁獲を継続した場合、海上保安法に基づいて『第3晋漁丸』に対する警告射撃が行われるべきですが……」
「体制崩壊前に作られた法律が使用できるのか?」
二佐の発言に、一尉は顎を弄りながら訊ねる。
「少なくともここの周辺では。市ヶ谷や朝霞といった関東圏は違うのかもしれませんがね」
呻くように発言する二佐。顔についた汗をハンカチでぬぐいとるように拭きとったその瞬間、船室の扉がバタンと音を立てて開いた。
「失礼します! たった今不審船から回答旗上がりました!」
「なんだと!?」
口早に報告した三曹に対し、二佐はがたりとパイプ椅子を大きくならして立ち上がる。今まで幾度となく無礼な対応をされてきた相手からの連絡だ。
第3晋漁丸はなんと? はやる心を押さえてそう彼にといただす。
「それが――S-Q-1……」
――――停船せよ、さもなくば攻撃する。
ちっと舌打ちして、血管が浮き出すほどに拳を握りしめた。野郎、本当に何様だと思ってやがる。二佐はそんな言葉をぐっとのどの奥に飲み込む。
「どうお思いで? 特別顧問」
二佐からの視線。咽頭にひりつくような痛みを感じ、ごくりと唾液を飲み干した。
「――――立入検査を強行しろ」
「河石さん!」
「それが現状において最も合理的だ!」
大きく机を叩く音。張られる声。パイプ椅子をひっくり返す勢いで思い切り立ち上がった市長に、一尉も間髪入れず声を張り上げた。
「ここで逃せば江田島市の安全保障に関わる問題が更に悪化する」
「しかし……っ、それでは臨検班の安全確保が…………!」
「無論、人員はできる限り保護しつつ行う。これに異論はあるか、灘尾市長」
苦虫を思い切り噛み潰したような渋い顔をして、市長は押し黙った。それを肯定と見、ふんと鼻を鳴らして机に向き直った。
「2分後、なんの応答もなければ煙幕弾の投擲支援を行え。直後に突入、制圧する」
「不審船からの攻撃はどうしますか」
「煙幕と同時にこの船から銃撃を行い、これを抑止する。旋回機能も無いただの対空砲だ。必ず勝てる」
「了解。配備に付きます」
三曹はそう一礼して船室を抜け出ていく。
これからは平時ではなく、有事だ。一瞥した後そう心に刻み込んで、一尉は無線機に取り付いた。
引き伸ばしたツケが……