04_不審船
「……これは、凄いな」
2射目、号令がなくても同時に引き金を引き、着実に命中させることの出来る技量。各々で思考して最適なタイミングで攻撃することの出来るその練度。そこんじょそこらの陸上自衛官を捕まえてやれと言っても、ほぼ確実に不可能だろう。
はっきり言って、生半可な歩兵では肉弾戦を行う特警に勝つことは出来ない。数百m先から的確に当ててきて、指揮官無しにも各個の判断で攻撃が可能。さらに上陸用舟艇による機動も可能。ときた。現時点でも十分すぎるほどの戦力だが、これからの訓練次第では130名全員がその域まで達することも可能であるようだ。
そんな自警団の弱点といえば――――、
「……人数、か」
広大な江田島市の全域を、この百と余名で守りきる。そんなものは、どう考えても不可能だ。そうぼそりとつぶやいて、射撃を見守った。今度は、奥の堆土の上を上下に動き回る木の板を打ち倒す訓練か。三佐に手渡された双眼鏡で覗いてみると、全弾きちんと頭部に着弾させているのがよくわかる。
銃弾の木製の的を突き貫く音とそれを発射する爆音との間に、突如としてぴりりという奇妙な電子音が響いた。
「……失礼」
蒼海のような色合いの迷彩服の胸ポケットから携帯電話を取り出した三佐。牡蠣をモデルに作られた手製のストラップは無精髭の目立つ顎のすぐ横で振り子のように揺れる。
「はい、六角です」
『――――河石さん! 大変です、河石さん! 聞こえますか!?』
電話口の向こう側から響いてきたのは、年若い女性の悲鳴じみた声。どこかの廊下かなにかでも走っているのか、かかとの踏みしめるコツコツという音がほんの少しだけ聞き取れる。
三佐に無言で手渡された携帯を受け取ると、返答を送った。
「……代わりました、河石です」
『あ、河石さん! 良かった、なかなか出てくれなくて……!』
やっと繫がった。電話の向こう側でほっと安堵している吐息が聞こえる。
どうしました? 一尉はできる限りゆっくりと伝える。対照的に少女は息せき切って、半ば絶叫するように話しはじめた。
『所属不明の船舶です! 場所は沖美町是永の沖合いおよそ1海里、数日前にもあった出来事です、速やかな対応をお願いします!』
「……それで、状況は?」
「正直に言って芳しくないです」
白い砂で一面を覆われた南北に細長い海水浴場、是永海岸。――その片隅にある小さな神社に、臨時の指揮所が置かれていた。
参道の傍らに偽装を施したテントを建てただけという簡易的な司令部施設だが、そこに居並ぶ者たちの表情は真剣そのものだ。
沖美町の西海岸だけを拡大した白地図を中央のテーブルの上に広げた一尉はそのすぐ隣に立つ黒髪の少女に尋ねる。紺色のリクルートスーツを身にまとった彼女はこくりと頷いて現状の説明を始めた。
「本日0900――つい2時間前、是永海岸と小黒神島の間を1隻の不審な船舶が航行していると通報がありました。是永海岸と隣接しているサンビーチおきみの宿舎から望遠で撮影した写真がこれです」
灘尾市長は一尉によく見えるよう向きを調節して、白地図の上に置く。
「これは……対空機関砲か?」
おそらくは。首肯した市長の視線の先には、海霧によってか薄くぼやける漁船のシルエット。しかしそれにしては多すぎるほどのアンテナと、その舳先から空を睨むようにして屹立する細い棒状の物体の姿があった。
「そうです。早期にこれを発見できたからこそ、未だに自警団を出動させておりません」
「――――万が一にでも発砲されれば、所詮はゴムボートにすぎない上陸艇では防御もままならないことでしょうからな」
自警団の直接的な指揮を担当していた三佐は、市長のセリフを引き継ぐようにして極めて現実的な発言を行う。
「……それで、不審船は1時間と30分前に江田島に最接近すると、何かを海面に投棄して急速に転舵。小黒神島の陰に隠れてしまいました」
とりあえずその場所にブイを置いて、現在はその小康状態ですね。説明を終えた灘尾市長は、タイムラインの書かれた書類を白地図の上に重ねると言った。
「一尉はもう察したかも知れませんが……かの船は領海内における『防衛又は安全を害する行為』および『調査又は測量活動』あるいは『不当な漁獲』を行っております。領海侵犯の役満と言っても良いほどの悪事ですね」
小さく憤りを見せる灘尾市長に、一尉は極限まで感情を殺したかのような表情で問いかけた。
「それで、その対空機関砲の型式は判ったのか?」
こちらになります。彼女はご丁寧にもわかりやすいよう、機関砲と思しき舳先の部分のみをトリミングした写真も提示する。
「見た感じ35mm機関砲のように思えるが……近隣にそんな物を配備している部隊はあったか?」
「お言葉ですが一尉、そう考えるのはいささか早計かと。金さえあればどこからでも運んで来ることも可能です。現に大竹市は大量の火器を保有しておりました」
横から写真を掠め取った壮年の男性、三佐はぽつりと発言する。確かに、大竹市の防衛線には異常なほどの対空火器があった。製造したと言うことが考えられなければ、それはもう輸入しかないだろう。
「大竹……そうか、大竹市か」
そんなとき、一尉の頭にふっと去来した考えがあった。正しいと思えないし思いたくもないが、現実味のありそうな仮説。すなわち、
「小瀬川の戦闘で使用された対空砲を何者かが鹵獲したとみるのはどうだろうか」
なるほど。三佐と灘尾市長から納得したかのような吐息が漏れた。しかし、一足先に冷静になった三等海佐から反論が行われる。
「ではその何者か。とは一体何処の誰なんです?」
「状況的に見て、岩国市か大竹市残党だろう」
「ちょっとまってください。仮にその機関砲だとしても、広島の日本製鋼所でライセンス生産を行っていたという記録があります。岩国市あるいは大竹市残党が操船していると一概には考えられません」
「では一体誰だと言うんです? それが判らないことには対応も出来ないでしょう」
仮説に反論が出て、それにまた反論で応酬される。そんな風に議論が行き詰まりを見せてきた頃、仮設指揮所となっていたテントの中に一人の男が駆け込んできた。
「六角三佐、報告します!」
「どうした!?」
「たった今不審船が動きを見せました!」
息も絶え絶え、といった様子で話す隊員。砂浜で確認してほしいという彼に連れられて、ただただ広いばかりの是永海岸の砂を踏みしめる。黒いゴム製の上陸艇はいつでも出動できる状態にされていて、その周りを青色の迷彩服の一団が思い思いに厳戒態勢を取っていた。
「あれは……国際信号旗か?」
島影からゆっくりと出てきた漁船を、手渡された双眼鏡で視認する。黄色と紺色の縦じま模様の旗と、黄色に青が半々に区分されたカラフルな信号旗が海風に翻っているのがよく分かった。
一尉の言葉にこくりと頷いた市長。その横で、三佐は声を荒げて憤慨する。
「『本船は揚網中である』そして『本船は貴船との通信を求める』……!? ふざけているのか、この状況で!」
一体どういうことか。航海に聡くない一尉は首をひねった。少女は悲しそうな声色で目を細めながら、語る。
「つまるところ、『我々の漁場で漁獲を行っている。文句があるなら表出ろ』ということです……」
ぽかんと呆気にとられる一尉に灘尾市長は続けた。
「たしかに江田島市は今まで呉市の半ば属国のようなものでしたから…………『呉の船籍だ』と言われたら強く反対できなかったことに味を占めたんでしょうか、ここ1ヵ月の間で不審船の目撃情報が一気に増えています」
一尉はその瞬間、耳を疑った。くらりとめまいがしたかのように視界がゆがむ感覚。冗談抜きで頭痛がしてくる。
「……市長、不審船がブイに接近します」
顔を真っ赤にした三佐は、半ば泣きそうになりながらそう言った。また今回も何もできないのか。そんな無力感に打ちひしがれているようで、隊員たちも肩を落としているのが見えた。
「…………これが抗議活動を行う最後のチャンスになるかと。市長、ご決断を」
三佐の怒りに満ちた声。市長はうんうんと頭を抱えた後、顔をあげて、今後のすべてをひっくるめた決断を口にする。
「――――行きましょう。もう泣き寝入りするのはこりごりですから」
前話をキリの悪いところできってしまい申し訳ないです