橋本正義、とある戦中派の平凡な男
僕の祖父は、大正8年(1919年)生まれで、世代でいうと、ちょうど「戦中派」にあたる。戦中派とは何か、学術用語というわけではないので、意味ははっきりしない。だが、大体1910年代から1920年代に生まれた人で、日中戦争や太平洋戦争(大東亜戦争)に徴兵され、男達の3分の1が死亡した。そして、生き残った者たちは戦後日本の復興を支えた人たち、といえば分かりやすい。
僕の祖父(母方)、橋本正義の場合、ここ氷見川で小地主の次男として生まれ、松江中学から広島高等師範(現在の広島大学)に進み、一時安来農学校に務めた後、徴兵されフィリピンのレイテ島に送られた。その後、軍歴を見てみると昭和17年(1942年)に徴兵され、豊橋の予備士官学校に入学した後、見習士官を経て少尉に任官し、戦争末期のフィリピン戦に従軍した。敗戦後は捕虜なり、昭和21年(1946年)に中尉で復員している。
その後は、2~3年農業をした後、氷見川中学校の英語教師となり、それを皮切りに、島根県東部の中学校を中心に教員生活を務め、最後は氷見川中学校の校長を務めて定年になった。定年後は年金をもらいながら、小規模な農業をやり、2012年に他界している。要するに、この世代のごく平凡な人生を送った1人だ。ただし、唯一の例外として結婚は1951年だから、当時としてはやや遅い。