あの桜の木は、何だろう
僕の家の裏には氷見川と呼ばれる、川幅が10メートルぐらいの川が流れている、その川向うに植えられている高さ10メートルぐらいの桜並木は、いつも何か気になる存在だった。確かに、どうってことない、日本中どこにでもある桜といえば、それまでだ。樹齢は60年から80年ぐらい。だから植えられた時期を、計算すると戦時中か、占領期か、昭和30年代の初めということになる。
あの桜が、いつ、だれの手によって植えられたのか、それを知りたくて、何年かぶりに祖父の書斎に入ってみた。主を失った書斎は、祖父が亡くなって約5年、時間が止まっている。長い間、冬もストーブがつけられることがなかったので、部屋の温度は春の外気と同じ温度で、吐く息はかすかに白くなる。
「確か…ここに」
僕は、見覚えのある一冊の本を探していた。几帳面だった祖父は、丁寧に本を整理し、内容別に分類し「あいうえお」と「ABC」の順番にきっちりと並べているから探しやすい。
「確か、緑色の表紙で、厚さが5センチぐらい…」
呟きながら、目を動かすと、すぐ見つかった
「氷見川町史、平成20年刊行」
パラパラとめくってみて、がっかりした。戦後編はページ数にして20ページもない。それも、歴代町長の紹介がほとんどで、内容といえるものがほとんどない。ましてや、気になる例の桜のことなど、全く手掛かりらしい手掛かりも書いていない。
気になるが、諦めるほかなかった。こんな小さな町の、どうってことない桜の歴史など、百科事典で調べられるわけがない。自分が学生時代によく読んだ、皆川広知館の「戦後歴史シリーズ(全6巻)」でも分からない。書いてあるのは、東京の永田町、兜町、それから京阪神地帯の工場の話ばかりだ。
そんなことがあって、一月ぐらいたった後、桜がすっかり散って、初夏といえる頃だった。例の紙の束を母親が僕の前に持ってきた。