懐かしい声は桜の花びらに乗って
3年前、3度目の入院で僕は本当に死にかけていた。閉鎖病棟の2週間ほどの入院した後、家に帰された。だが、立ち上がったらふらつくし、数分体を起こしていても体中に耐えきれないような倦怠感が襲ってきて座り込む。母親が運んでくる食事を、謝りながら食べ、また効くんだか効かないんだか分からない、医者が処方した薬を飲んで何とか眠り、束の間の平安を得る。それから床から動けない僕は、外界から遮断された薄暗い部屋の中で、生きているとも死んでいるとも区別がつかない生活を続けていた。
2~3週間も、そんな時期が続いた後だろうか。カーテンの隙間から、部屋に入ってくるかすかな外の光が、だんだんと力強くなってきた。どんよりとした山陰の冬の空は、少しずつ明るく、春の空になっていたことに僕は気が付かなかった。
「久しぶりに外の空気を吸ってみるか…」
僕は、重い力が全く入らない体を引きずりながら窓辺に行き、何とか鍵を開け、震えが止まらない手で、かろうじて窓を開けた。
窓を開けると僕の家の後ろを流れる氷見川のせせらぎが聞こえる。心地よい冷たい澄んだ空気と、優しい春の光が、ゆっくりと僕の部屋の濁りきった空気を少しずつ浄化していくのが分かった。
すると、東風に乗って桜の花びらは、ひらひらと舞い上がり、氷見川と飛び越えてはらはらと降り注ぎ、僕の暗い部屋に、ひとつ、ふたつと飛び込んできた。
早春の一時期、山々に囲まれた氷見川町では、原理はよくわからないが、先ほど述べた東からの風が、ずっと優しく吹いてくる。その風に乗って川向こうに咲く桜の並木から飛ばされてくる花びらが、家の裏庭に薄っすらと積もるのだ。
薄いピンク色の桜の花びらが、雪のように僕の目の前に優しく降ってくる。その光景は、美しく、優しく、そして本当に幻想的ですらある。
「修君よ…どうか伝えてくれ」
頭の中に、声が響いた。ああ懐かしい祖父の声だ。祖父が亡くなって、もう5年。葬儀の時以来、祖父のことなど、すっかり忘れていた。
次に、別の声も聞こえた。
「なあ、修君、一つ頼むよ…」
どこかで聞いた声だが、誰の声か思い出せない。
今回、病院の医者はともかく強力な抗不安剤をくれた。そのおかげで、自分の思考がまともでないのはよくわかっている。そのふらふらする頭で、考えに考えて、ようやくああ、そうだ祖父の悪友の一人で、7~8年に亡くなっただろうか?畑中精三さんの声だ。小さいころから、よく大きな手で頭を撫でてくれていたから、かすかに覚えている。
「伝える?何を?」
布団に張り付きながら、うめくように僕は聞き返す。だが答えはない。
「だいたい、こんな僕に何をしろというんだ?おじいちゃん?」
朝起きることさえままならない、こんな体の僕に? 幻聴か?多分そうだろう。幻聴は、もう聞きなれている。その時は、本当に現実の声だと思う。だが、しばらくして落ち着くと、ああ、あれはやっぱり幻聴だったんだと分かる。だが、妙なリアルさを持った二つの声の主は、病んだ僕の脳細胞が勝手に語っているようにも思えないほど、力強い健康さに満ちていた。
その声を聴いた日から、僕の体が少しずつ軽くなっていくのを感じた。今まで、ありとあらゆる薬を試してきた。新薬が出るたびに、医者は僕に進めてくるが、今まで効いたためしがない。今回ばかりは、この新薬が効いたのか?そうも思えない。
そんなことがあって、一週間ぐらい、桜がすっかり散った頃だった。僕が、あの訳の分からない、紙の束を見つけた。