英雄のいない国?
「戦後日本の英雄は?」と聞かれたら、みんなは何と答えるだろう?サンフランシスコ講和条約をまとめた吉田茂?高度成長の立役者の池田勇人?沖縄返還を実現した佐藤榮作?田中角栄?ソニーの創設者の、井深大と盛田昭夫?皆、答えはバラバラだろう。
だが、同じ質問を外国人にすれば、全然違ってくる。アメリカ人に「第二次世界大戦後のあなたの国の英雄は?」と聞けば、ジョン・F・ケネディは大体出てくるだろう。フランス人ならシャルル・ドゴール。中国人だったら、毛沢東、周恩来、鄧小平、ほとんど同じ答えだろう。北朝鮮だったら?…死にたくないので、金日成、正日、正恩とみんな同じ答えになる!
戦後日本にこれといった大きな英雄はいない。だが、第二次世界大戦後の外国には国の顔ともいえる英雄がいる。なぜだろう?戦後の日本は駄目な国なのか?いや、ガリレオ・ガリレイの言葉を借りれば「英雄を持たなければならない国こそ不幸」なのだ。
「英雄」という強烈な光が支配する中で、人々は決して幸せになれない。アメリカはケネディ政権の下でベトナム戦争に突入した。シャルル・ドゴールの偉大なフランス政策の下で、多くのフランス人は長く重税と不況に苦しんだ。毛沢東の下では、中国人民の1割(7000万人)が餓死したり、虐殺されたりした。金日成の下でも似たようなものだった(推定200万人以上が餓死した)。
僕は戦後の日本にも「救国の英雄たち」はいたとのだと思う。ただし、彼ら・彼女らは、名もなき普通の若者たちだった。ただし、彼ら彼女らは、大正の終わりから昭和の初めに生まれ、昭和12年から20年にかけて、銃弾と砲弾の中で青春を送り、友や家族を失い、心に一生癒えない深い傷を負った。
戦争に負けてからの約10年間、一見すると絶望の時代だった。だが、癒えない傷を抱えながら若者たちが、時によろめき、時に迷い、そして時に互いに衝突し、助け合いながら力強く立ち上がっていった情熱の時代でもあり、奇跡の時代でもあった。
「祖国の復興!」
「日本民族の再興!」
この言葉を、最初に誰が言ったのかは分からない。だが、これが小さな英雄たちの合言葉だった。
小さな英雄たちは、自由と民主主義を心から愛した。だが、それは「祖国復興」と「日本民族の再興」は、自由と民主主義を日本に定着させる以外に道はないと信じていたからだ。
この物語は、フィクションであって、フィクションでない。確かに舞台の氷見川町は、島根県の中国山地沿いにある架空の町で、登場人物は「僕」を含めて架空の人物である。しかし、元になったストーリーは、昭和20年から昭和30年頃にかけて、日本全国の農村地帯で起こった奇跡の数々を素材にしている。
だが、ここで先に断っておかなければならない。「祖国」「日本民族」という言葉は、今では右翼の専売特許だ。だが、1970年代まで、「祖国」「日本民族」という言葉は、最近「I安婦」の誤報で批判されている某A新聞社も、普通に社説の中で使っていた。戦後日本が凄まじい勢いで成長を続けている時代、「愛国=善」「愛国者=善人」という等式は、ほとんど誰も疑っていなかった。
だから、ちょっと分かりにくいが、1970年代まで自民党と社会党の論争は、
(社会党)「神聖な国土にアメリカ軍を置くとは何事か!売国奴め!」
(自民党)「お前らこそ、ソ連の手先だ!この売国奴どもが!」
つまり、どっちが真の愛国者で、どっちが売国奴なのか、結論の出ない言い争いが延々と続いていたわけだ。だが「愛国心」の内容は違っても、子供の「愛国心」を育んでいかねば、という一点で左翼も右翼も一致していた。
ただし、1980年代になると現在T大名誉教授のU女史みたいな「国家は女の敵だ!」「近代を超克せよ!」と叫ぶ人々を、マスコミが持て囃すようになる。日本の左翼は、そっちに引きずられて、自ら「愛国者」の旗印を捨てた。結果的に社会党の凋落はこの時から始まる。日本全体で「愛国心」が否定的な意味で使われるようになったのは、せいぜい日本中がバブルに沸き立っていた1980年代になってからだ。その有り余る金と物の中で、我々現代の日本人は、何か大切なものを見失ってしまったように思える。
この小説を読んで「完全な絵空事」と思ったなら図書館に行って、何十年と暗い書庫の中で眠っていた本を、司書さんに引っ張り出してもらってほしい。そして、忘れられた奇跡の歴史に触れてほしい。毎日の忙しさに疲れ切ったあなたが、小さな英雄たちの姿を、感動をもって目にすることだけは保障できるから。