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YSTE  作者: 藤村千子
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第七話「交わる二つの道」

――ルカルア遺構から南東のとある小さな村


「ん……」


 窓から差し込む朝日の眩しさにライルは薄っすらと目を開けた。宿で借りた一室のベッドに寝転がったまま、昨日作った傷の状態を確認する。この村に辿り着いた後、ライル本人は治療より先に空腹を訴えたが、三人の圧力によりあえなく黙殺。いの一番に医者に診てもらった。その後はたらふく晩飯を食べて熟睡。彼は腕に痛々しいぐらいに包帯が巻かれているだけで、昨夜の出血量からは考えられないほど、体調は良好だった。


「まだ無理は禁物か」


試しに動かしてみると、塞がった三つの傷口が裂けそうになる痛みが走る。肩を上げるような動きは控えたほうが良さそうだ。早く治しておかねば、後に差し支える。緑豊かな外の景色を見ると日はまだ山から顔を出した程度で、皆が起き出すには少し早い時間だった。もう一眠り、といきたいところだったが生憎もうしばらく眠れそうにない。ライルはせっかくなので散歩に出かけることにした。


 手早く身支度を終え、音を立てずに表から出ると息を大きく吸った。澄んだ良い空気が肺を満たす。安静にしろと言われたばかりだが心配ないだろう、歩くだけだ。ライルは村を横断して流れる浅い川に沿って木々の生い茂る方へと向かった。


 村人が整備しているせいか、川沿いは踏み均した平らな道になっていた。水のせせらぎと時折聞こえる鳥の囀りがよく聞こえる。静かで良い場所だ、とライルは思った。首都のように多くの人々が行き交う様子を眺めるのは嫌いではないが、やはり落ち着ける場所の方が彼の性に合っていた。


 日は少しずつ登り始めている。そろそろ引き返そうかと考えていた時、水の音が一段と大きくなった。見るとすぐ近くに開けた場所があったのでついでに寄ることにした。


「~♪ ~~♪」


 エリスが瞳を閉じて川の真ん中に鎮座する岩に座っていた。靴は脱ぎ、すらっとした素足を遊ばせている。寝ているようでもないのだが、離れているライルには彼女が何をやっているのかは分からなかった。しばし一枚の絵画のような美しさに柄にも無く見惚れる。が、途中ではっとなり、溜息。さっさと彼女に声を掛けることにした。


「よう」


「あら、ライル。おはよう」


 ライルがすっと片手を上げて近寄ると、エリスは青い髪を揺らして微笑んだ。続いて、こっちに来るよう手招きする。ライルは今の立ち位置から彼女の元へ行くための道を探した。水面から顔を出している岩が点々と転がっていたので、一つずつ慎重にそれらを足場にする。最期の大きな岩によじ登る際は右腕を彼女に引っ張り上げてもらった。人一人分の空間を開けて隣に座る。


「もう動いて大丈夫なの? お医者様にあれほど口酸っぱく大人しくしてろって言われていたのに」


「飯食って寝たら治った」


「ふふっ、なら良かった。でも後で他の二人にもちゃんと報告するのよ? 多分心配していると思うから」


「……わかったよ」


「よろしい」


 自分にも姉という存在がいたらこんなまさに感じなのだろうか、とライルは適当に頷きながらどうでもいいことを考えていた。彼が初見のエリスに抱いた印象と異なり、実際は人懐こい性格ようだ。


「貴方も散歩に来たの?」


「ああ。二度寝しようにも出来そうになかったからな」


「私も。空気も綺麗だし、気付いたらここまで来ていたの」


「まあ俺もそんなところだ」


 ライルは空を仰ぎながら言う。競って伸びた木の枝が人の手の形をしているように見えた。水面に視線を落とす。


「聞きたいことがある」


「何かしら。大体予想はつくけれど」


「あの女、それとあの鎧について教えてくれ。キザイアって女の操っていた影も大概だが、俺はあんなふざけた人形を見たことが無い」


 魔術の一種に使役魔術が存在する。下級の魔獣や鉱物等で構成されたクレアトルと呼ばれる人形を意のままに操るというものだ。使役対象が攻撃を受けても術者には被害が及ばず、特に幾らでも代替の効くクレアトルは古来より戦場の最前線で戦わせるのが基本となっている。


耐久力、破壊力共に優れた攻守の要となる兵器だが、術者の熟練度が極めて重要で、扱いは困難である。例えば、目の前の敵を倒せと命じる。使役しているのが魔獣であるならば、本能に働きかけるだけでいい。しかし、クレアトルは個としての意志を持たず、大雑把な命令では意味を為さない。普段人間が無意識の内に行っている歩行の一挙手一投足にまで命令を出す必要があるのだ。


 そして鍵となるのは、クレアトルは非生命体故に魔術を行使することまで出来ない。その事を知っていたからこそ、ライルはあの鋼の騎士(グラム)を違う何かではないかと睨んでいた。


「ええ。貴方の思っている通り、クレアトルなんかじゃない。あれは古くから大陸に伝わる代物、ラブクラフトよ」


「……聞いたことないな」


「そうなの? 私が知っている限りでは、人間の読み物にも伝説とか御伽噺という形で伝わっているはずなのだけれど」


「俺が読書を嗜むような人間に見えるか?」


 首都で暮らす以上、最低限の読み書きをライルは習得していた。だが、それも必要性があったからであって、読書や執筆へと昇華されることはない。手段の一つだ。


「ふふふ、確かに刃物を振り回している姿の方が想像は容易ね。簡単に説明すると、今の技術では到底及ばない力を持ったものの総称、人智を超えた遺物――というのもまあ、黎明期以前の技術だとしても元は人の手によって造られたというのに可笑しな話」


「なるほどね。で、クレアトルもどきは元々遺構に眠っていて、あの女がそれを利用したと」


「ええ。ラブクラフトはトリアノ大陸全土に存在する可能性は十分にあるの。力は昨日見た通りだけど、一つだけならともかく、複数纏めて相手することはかなりおすすめしないわ。文字通り、骨が折れるどころじゃなくなるもの」


「肉の一片も残らないだろうぜ。ったくシャレになんねえ」


 黎明期以前となると、十世代分の家系図が余裕で書けるまで遡ることが出来る。現代では理解不能な体系の魔術が施された危険物は大陸各地に存在し、その上、キザイアという女はどういうわけかラブクラフトに精通している様子――王国の存亡に係わる問題を既に抱えていたライルは頭痛にこめかみを押さえる。


随分面倒なことを知ってしまった気がする、と彼は思うも、事の重大さに放り投げることも躊躇われた。何より気に入らない。キザイアから嗅ぎ取っていた持て余した者の臭いがライルは堪らなく気に入らなかった。あれもこれも全部勝手に話を進めて行ったブライトが発端。首都に戻った際には豪快に飯を奢らせようとライルはあてつけを考えていた。


「……話を続けてくれ」


「ええ」


 俯くライルを横目に髪を掻き揚げ、そう言うエリスの声はやや嬉しげだった。彼女とて、世間話のように軽い気持ちで彼にこの話をしているわけではなく、二人の腕前を見込んでのことだ。中途半端な態度を取られようものなら適当に誤魔化すつもりでもいた。しかし、それも杞憂に終わったのだ。


「貴方は、どのような目的を持ってここまでやって来たのか教えてもらえないかしら? ああ、差支えない程度で構わないわ」


「……特に隠すようなことは無いさ。俺達は仕事で来たんだ。この国の次代の王に関わる問題を未然に防ぐためのな」


 依頼人の名前を出すことは控え、事のあらましを伝えた。エリスは声には出さないものの驚きに目を見開いたことから、ライルは彼女達にもまた別の目的があるのだと確信した。しかし、別の目的とやらに全く見当もつかない。


「ふぅ。というか、俺が休んでいる昨夜の内に情報交換ぐらいやっていなかったのか?」


「私達の方で整理したいことがあったし、止めておいたの」


「そうか――っ!?」


 水音に紛れて誰かが近づいてくる。敏感に察知したライルは気配のする方から視線を離さないよう注意する――が、それも一瞬。初めから警戒を解いたままのエリスが「大丈夫よ」と横で囁くと同時に川辺へと姿を現したのがティアだとすぐに認識したからだった。


左側頭部で結んで束になった特徴的な赤毛が揺れている。昨日の時点では下ろしたままで、その見た目の差からか、少しばかり幼いようにライルの目に映った。そしてティアはというと、彼と視線が合うなり、むっと明らかに不満気だ。


「話はまた後ね」


「……だな」


朝から文句の一つでも言われるのだろうか。今の話の続きは朝食を取った後になる。やれやれと思いつつもライルは座っていた岩から慎重に飛び降りる。それを見てエリスも苦笑しながら後に続いた。



王国の首都にそびえ立つヴェルデ城。朝の陽ざしを浴び、穢れ亡き純白の外壁は光を放っているかの如く神々しい光景だ。また平和な一日が始まる。街の方では既に人がちらほらと大通りに姿を見せていた。


 城の三階、その廊下の窓から目下に広がる街並みを眺める少女の姿があった。名はエテルナ・ル・アレイスト。先代国王ヨハンの一人娘にして若き女王候補。明るい未来を想像させる肩書きとは裏腹に、やや癖の掛かった前髪に隠れた彼女の目は憂いを宿していた。


 エテルナは窓に桜色の小さな貝殻のような爪を立てる。不安の根源となっているのは、やはり王位継承の事。彼女はつい最近、十七歳になったばかりである。国を統治する立場としての勉学は勤勉であった苦にはならなかった。いや、実際は没頭せざるを得ない心境というのが本当かもしれない。


「父様、母様……」


 元々体の弱かった母は自分を出産すると同時に。父は数か月前に流行り病で亡くなっている。城には多くの使用人が住み込みで働いているため、空間的には一人ではなかった。皆、心から慕ってくれている者ばかりで彼女はそれ自体にはとても感謝している。とはいえ、心のどこかで感じる孤独を拭いきれないでいるのもまた事実だったのだ。特にここ最近では。


「姫様、こんなところにおられましたか」


「アルノー……何か用でしょうか」


 アルノー・シュトロハイム。王国の政治を取り仕切る議会の中で最高権力を持ち、国王補佐の役割も果たす宰相を務める人物だ。空席の玉座が埋まるその時までは、実質彼がこの国の代表となる。上級貴族の出自である彼は若くして政界入りをして以来、その手腕を見出され、齢を五十三に数える頃には財務を担当した。


 国王の側近となったのもその頃からで、アルノーはヨハンの統治者たる姿をすぐ近くで見てきた。彼の亡き後も、泰平成就のために意志を受け継ぎ、日々奔走している。エテルナとは宮廷内で顔を合わせる機会もあり、彼女の父の話題で盛り上がったことをきっかけに、今では彼女の数少ない理解者でもある。


「いえ、姫様が不安そうにしていらしたもので、つい」


「そうですか」


 外の景色から視線を動かさないまま、エテルナは平静を装って言った。


「……最近、良くない夢を見るのです」


「と、いいますと?」


「国を治める者としてやっていけるのか……そう考えた時、いつも悪い結果しか見えない。そんな夢です。本来こんなことは言うべきではないのですが、帝国の脅威もありますし、何より城の外を知らない私には経験が足りない」


「心中お察し申し上げます。ですが、姫様はまだお若い。焦っても良い方向に転ぶとは限りません。心配なさらずとも、この命続く限り、私が横に着いております」


 世辞でも虚飾でもない、実直な言葉はアルノーが持つ愛国心の表れだった。エテルナは顔を背けたまま、強い信念の宿った彼の瞳を盗み見る。この城で彼以上に信頼できる人間はいない――改めて認識した彼女は言葉を続けるアルノーを正面から見据えた。


「行く先に石が転がっていれば拾いましょう。姫様の足を掴もうとする者がいれば私がその手を払いましょう。今はただ、しっかりと前を見据え、姫様にしか出来ないことを一つ一つ成し遂げて下さい」


「……ふふ、まるで騎士のようですね」


「男児たる者、騎士に憧れるのは当然の事かと。とはいえ、年甲斐も無く少々くさすぎましたかな、ははは」


「いえ、この上なく頼もしいです。これからも頼みますよ」


「はい。アルノー・シュトロハイム、何処までもお供いたします」


 王国の夜明けは近い――



「なるほどね。もしや、とは思ってたけど、あれが噂に聞くラブクラフトだったとは」


 一方、宿で朝食を取り終えたライル達は四人で机を囲んで情報の交換を行っていた。ブライトはラブクラフトについては知っていたので、納得がいった顔で後頭部に両手を組み椅子にもたれ掛った。


「肝心のキザイアという女の事だけれど、これといった情報は無いわ。私達が遭遇した時に語っていた『私は混沌の名の元、“解放者”に身を連ねる者』ということ以外にはね」


「“解放者”、ねえ。大層な名前だな。それにその言い方からすると、あんなのがまだ何人もいるわけか」


 お似合いの名前だ、とライルは皮肉の意を込めて言い放った。と、その横で彼の相棒が淡々と言葉を続けるティアに向かって身を乗り出す。


「待て待て、俺様はてっきり二人はあの女を追っていたのかと思ってたぜ? 相手を知らないってことなら俺達と目的は同じだっていうのか?」


「ああ、俺も偶然にしては出来すぎだとは思っていたところだ」


「いいえ。王位継承の一件とは全く別の目的よ。世界に再び破壊をもたらそうとする存在の阻止、それが私の生まれ持った使命。まだ始まったばかりだけれどね」


「世界って……本当かよ……?」


「そりゃまた俄かには信じがたい話だな――と笑いたいところだが、そこまで真剣に言うからには何か証明できるものがあるんだろ?」


「……そうね、私だって頭のおかしな人間だと思われたくないし。これを見てもらえるかしら」


 王国から更に話が飛躍して世界ときた。ライルは首を傾げ、ブライトは踏ん反り返って疑ってかかる。とはいえ、昨夜の彼女の戦いぶりは常軌を逸していたことを考慮すると全否定することも出来ないでいた。危機に陥ったあの局面での光景――中級威力の魔術を詠唱無しで立て続けに使うなど、二人にとっては見たことも聞いたことも無い。


 半信半疑の二人を前にして、ティアは右腕を差し出した。傷も無く引き締まった綺麗な腕だが、それ以外に注目すべき点は何も見当たらない。これがどうした、とライルが口を開きかけた瞬間、ティアが意識を集中させると彼女の右腕の手の甲から肘関節辺りまで不可思議な紋様が表れた。


 青白く光るそれを見て、ライルとブライトは息を呑んだ。強力な祈りが宿っているのをひしひしと体で感じながらも、何故かその根源に包み込まれる優しさの姿を脳裏に垣間見たからである。通常の何倍もの時間が経過したかのような錯覚に囚われる中、ティアが静かに息を吐くと、紋様は輝きを失い、腕は元の何も刻まれていない状態へと戻った。


「今の、刻印、か?」


 自身無さ気に問うライルにティアは頷いた。


 他者の祈りを自分の体に植え付け、半永久的に自己強化を行う魔術の一種。身体能力向上だけでなく魔術の使用の際にも恩恵があり、戦闘において非常に効果的な術である。しかし、このような利点を持つにも関わらず、刻印を施している者の数は皆無といっていい。


一般知識として明らかになっている範囲で、刻印を植え付ける障害となるのは適応の困難さと感受性の高さにある。まず、術を行う者同士の性質が似通っている必要があり、軋轢を生むような場合は精神に異常をきたすこともある。その上、条件を満たしていても成功するとは限らず、仮に処置が完了したとしても刻印を刻まれた者の心理状況によって後々せっかくの効果を失う可能性すらある。そういった理由から刻印を持つ者というのは極めて珍しい存在だった。


「これで少しは信じてもらえた?」


『……』


 呆気にとられる二人を見て、ティアは身を乗り出した。瞳には真紅の意志が揺らめいている。


「まあ、使命の話を信じてもらうのは二の次でいいわ。それで提案なのだけれど――私達四人でしばらく組むっていうのはどうかしら。無理に、とは言わない。二人の実力を見込んで決めたことよ」


 ティアの言う四人とは、この場にいる全員のことを指しているのだろう。そう考えたライルは先程から相方に進行役を任せっきりで黙っているエリスに目配せをする。にこやかに笑みを返されただけ。全て了承済み、ということらしい。


「でもよ、依頼人に報告しなきゃならんし、俺達この後一旦首都(ティオール)に戻るぜ? それにこっちも簡単に片付かないような問題を抱えているわけだし」


「心配いらないわ。私達の次の目的地も同じだから。そして、話を聞く限りでは貴方達の関わる一件にも関係している可能性も高い」


「……そういうことか」


 ますます面倒事になりそうなことが明確になってきた。正直、“解放者”なる者の相手は手に余る。強力な助っ人が加入するというのは願ってもない申し出だった。おまけに美人。ブライトは頭を掻き、悩み抜いた揚句、口を開いた。


「わかった。二人が協力してくれるっていうならこれほど頼もしいものはない。俺は賛成。で、ライル、お前どうする」


 腕を組んで思案するライルに三人の視線が集中する。緊張した空気が流れる中、彼はぱっと目を見開き、ティアとエリスの目を正面から見据えた。


「もうあんなのと正面から戦いたくないしな。それに色々力になりそうだ。賛成」


「……よかった。じゃあ決まりね。改めて、二人ともよろしく」


「ああ、よろしくな」


 それぞれの間で友好の握手が交わされる。今、二つの道が一つに交わった。


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