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YSTE  作者: 藤村千子
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第十話「ライルとライカⅠ」

 ライルとライカ。二人の関係は恩師、仲間、さらに最も強い繋がりを持っていたのは家族であることであった。容姿は似ても似つかないことから分かる通り、血の繋がりはない。しかしながら、所作の端々から仄かに立ち上る血の臭気はまさしく殺しに手を染めた者のソレである。彼らは殺し屋――金を代価に呼び寄せる死の走狗。


 彼らの“狩り”は常に二人一組で行われた。徹底した連携は着実に相手を追い詰め、今か今かと口腔に忍ばせた鋭牙は獲物の首筋を容易く切り裂く。そうして噛み殺された人間は数知れず。逆に命を狙うなどという無謀な輩も当然の如くいたが、ライルとライカが健在であることから結果は語るに足らず。例外無く返り討ちにあっている。


 暗殺という任をこなす以上、当初は誰も知るところの無い存在だったが、いつしか噂は一人歩きをし始め、曰く猟犬、曰く血塗れの怪物、曰くオーレルの亡霊。人は無様にも無抵抗を晒すが故に未知を恐れる。正体を知りえない多くの人々からは抽象的存在として恐れられていた。しかし全ては、ここから北にある彼らの育った故郷でのこと。今のライルにとっては遠い昔であるように思われた。


 今でも忘れはしない――そう、始まりは雪の降りしきる日。


 トリアノ大陸北方に(そび)えるボリア山脈。大陸を横断するよう連なった険山は向こう側との道を遮断し、魔獣すらも寄せ付けない過酷な環境を人が踏破しようなど当に身の程知らず。前人未到の天然要塞となっていた。そして、大いなる威光に身を寄せるようにしてオレールはある。


 山脈の運んでくる北風により、雪の季節になると猛烈な寒さに晒される。動物も植物も生存するのが困難な土地。ならばこんな僻地に都市を築いたのか。理に適った要因はあった。誰しも伊達や酔狂で生きているわけではないということである。


 アダマントを初めとする有用な鉱石の採掘量。とある地理学者の調べにより国内でも類を見ないとのものであることが判明したのである。初めは様子見をしている者が多かったが、一度採れると分かると、各方面からこぞって資金と人員が投入された。何もない豪雪地帯はたった十年もの間で都市の一つとして数えられるまでになったのである。


 豊かな場所には優秀な人材も金も集まる。より住みやすく、より効率よく、より発展するために。後は勝手に好循環が回り続けるだけだ――しかし、誰もが思い描いた理想は容易く崩壊した。


 他の同業者を市場から排除すべく、競争が苛烈化するのみならず、要人の暗殺の横行を契機にオレール全体に物々しい空気が流れ始めたのである。人の肥大した欲望は狂気だ。まだ足りぬ、まだ足りぬと底知れぬ様は怪物と呼ぶに相応しい。ここで手を引いてなるものか、と彼らは垂涎の思いで生き残る事だけを考えていた。


 そして、当時まだ少年だったライルもまた、生き残る事だけを考えていた。


 親も兄弟もいない。いたという記憶も捨てられたという記憶も無い。気付いた時には一人で立っていた。浮浪児。それが彼に与えられた立場。だが皮肉なことに彼はそんな境遇に疑問すら思うこともなかった。そんなことより、何か食べ物は――しかし、またしても悪魔は彼に手を差し伸べる。


 ある日、街を彷徨っていたところ、ライルは何やら怪しい男に攫われたのだった。素手で抵抗を試みるも頭を殴られ、意識は瞬く間に遠のいていく。


 次に目を覚ましたのは薄暗い空間。彼は冷たい石の床に放り出されており、周りには取り囲むようにして声を張り上げる人がいた。こちらに投げかけられているのは叱咤激励などではない。聞こえるのは醜い罵声ばかりだ。喉が枯れんばかりに喜々とした様子で叫び続けている。異質な雰囲気を感じ取るにはそれで十分だった。だがそれだけではない。


 ライルは頭の鈍痛に顔を歪めながらも立ち上がる。そこで初めて、目の前に立つ存在がいることに気が付いた。こちらを睥睨する自分よりやや上背の少年。年も一つ二つぐらい上だろうか。いや、問題はそこではない。彼が右手に握りしめているナイフは何だ?


――まるで、これから殺し合いでも始めるみたいじゃないか。


 ライルがそう理解したことを理解した少年は、言葉を発する間も与えまいと駆け出す。このままだと殺される。何かないのか、と死に物狂いで懐を探った。手に当る硬い感触。取り出したのは少年の物と同様のナイフだった。初めて手に取ったナイフを不格好なまま構える。困惑と恐怖に地に足が付いていないようだった。


――でも殺すのか? 恨みも何も無い自分と同じ子供を。そんなこと、できるわけ。


 今当に殺されるというのに、ライルは現実を直視できない。緩慢な反応によって回避が遅れ、無言で切りかかってくる少年の一撃がライルの左上腕部を大きく裂く。力任せの動さは洗練されておらず、素人同然。しかし迷いが無かった。ばっくりと口を開いた傷と流れ出る鮮血は肉体より精神に大きな衝撃をもたらした。情報の処理が追いつかず、声にならない声でライルは絶叫する。


――殺される!死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!


 少年は少年なりに、嬲り殺さず、訳の分からないまま死なせてやろうという情けがあった。決闘場(ここ)はそういう場所だ。どちらかが息絶えるまで見世物は終わらない。だが、一撃で屠らんと首筋を狙っていたが、ライルは“運悪く”生き延びてしまった。こうなってしまったからには多少の苦しみを伴うのは仕方がない、と悟った風の少年は嘆息する。


――ッ、嫌だ! 俺は、俺は!


 心臓が破裂寸前の速度で拍動する。耳鳴りが止まらない。視界が赤黒く染まって相手の顔すらよく見えない。半狂乱になってライルは咆哮する。そんな中、何故か彼を狙うナイフの耀きだけはやけにはっきりと目に映っていた。


――あ、ああ、ああああああああああああああああああああアアアアアアアッ!!


 ふと正気へと戻った時、耳に入ってきたのは拍手喝采だった。おめでとう。よくやった。素晴らしい。一転して、心惜しみない賛辞が反響している。感動して涙を流している者すらいる。けれども、彼が馬乗りになっている少年は血の海に沈んでいて。


 喉笛を引き裂かれ、胸元を何ヵ所も刺されたにも関わらず、少年はまだ息絶えていなかった。とはいえ、最早抗う力など残っているはずもない。まだ生きていること自体が奇跡だった。放っておくだけで冷たくなるだろう。だが、名も知らない少年は最期に恨み言の一つでも言い放つのかと思いきや、少年の取った行動はライルにとって全く理解の及ばないものだった。


 笑ったのである。こんな地獄の様相で。七孔噴血になりながらも。家族に看取られるかのような安らかな笑みを残し、今度こそ命の灯は静かに吹き消された。称賛は止まない。ライルの精神はごっそりと擦り減らされていた。


 ナイフから伝わった肉を刺す感触と新鮮な血の生温かさがこの手に残っている。殺した。この手で人を殺したのだ。なのに、どうして誰も俺を否定しない! 俺が、間違っているのか? そんなはずはない!


 狂っている――己の境遇を呪いながらもライルは狂っていった。来る日も来る日も見世物(ころしあい)へと駆り出された。勝利を重ねる毎に戦わされる相手も多様性に富むようになり、時には一方的な惨殺を強いられることもあった。女を殺した。子供を殺した。老人を殺した。子を孕んだ女も殺した。殺して殺して殺して殺して殺して殺シテ殺シテ殺シテ殺シテ殺シテ殺シテ殺シテ殺シテ殺シテ殺シテテ殺シテ殺シテ殺シテ殺シテ殺シテ殺シテ――


 ただ生きることのみを渇望する。それだけが心の支えだった。


 悠久にも感じられる時の中、予期せずしてライルが決闘場を出る日がやって来た。いや、周りからしてみれば必然だったのだろう。彼をウチで雇いたい。最初に申し出たのはブライト・レイランド。後にライルの相棒となる男だった。


 その頃、吸収と合併を繰り返し、オレールは二大勢力によって縄張り分けがされていた。複数の集団を傘下に置き、いよいよ頂上決戦と相まみえようとしているのはベオーク、アンスールの両家。訝しんだライルが尋ねると、ブライトはアンスール家に身を置き、アシュリーという一人娘の用心棒をしているのだと正体を明かした。


 いくら殺すことしか能が無い蒙昧なライルでも、両家の名ぐらいは知っていた。そろそろこの場から出ることは考えてはいたし、丁度良い提案だった。ベオーク家とアンスール家。どちらかに固執するような特別な思い入れなんてものはなかったし、偶々ブライトが自分の元にやって来たというだけのこと。それに、少しは楽な生活が出来るというのなら乗らない手は無い。ライルはアンスール家の門をくぐることに決めた。


 そこでライルを待っていたのは想像とはやや違うものになる。


「今日からこれを毎日読め。少しずつで良い。あと、しばらくお前に仕事を回すつもりはない」


 アンスール家にやって来て間もない頃。アシュリーの私室に呼び出され、ようやく依頼を回してもらえるのかと思っていたところ、渡されたのは一冊の本だった。しかも内容は誰でも読めるような優しい内容。馬鹿にしているのか、と拍子抜けしたライルが口答えした途端、至近距離から顔面を強かに殴られていた。


「馬鹿はお前だ」


 ライルの眼光を歯牙にもかけずアシュリーは言う。生まれによるものだろうか。彼女の目には射抜くような力強さがあった。彼にとっては見たことの無い、真っ直ぐな目。今すぐ殴り返しておくべきか迷った。しかし、それでは負けたような気がして、その方が我慢ならない。とんでもない女の元に着いてしまった、と愚痴を呟くことで一旦気を収めることにした。


 それからは本を読み続ける日々が過ぎていった。腕が鈍ってしまわないか心配になる程、死とは無縁の生活。アシュリーの掌で転がされているのは癪だったが、次第にライルは知識を身に着けておくことは損ではないと思えるようになり、積極的に本を読み漁った。


 多少の見聞を広げたとはいえ、極限まで研ぎ澄まされていた恐怖は払拭出来なかった。夢の中でライルの手によって殺された者達の断末魔が、怨嗟の声が告げるのだ。お前のナイフはいずれ自分の首に突き立てられるだろう、と。彼は殺人に快楽を覚える種類の人間ではない。寧ろ元々の臆病さはごく普通の人間と何ら変わりはしないのである。


 耐え切れなくなったライルは鍛錬の許可をアシュリーに得ると、それに励むことで何とか平静を保った。彼女の屋敷には手練れも多く、相手に困ることはなかった。自分よりも倍近い年齢の相手や体格差のある大男。それに対し、ライルの戦績は善戦どころか、勝利を収めた数の方が上という周りからしてみれば予想しなかったもの。最前線投入が噂され始めた彼だったが、どうしても勝てない相手がいた。


 ブライトである。アンスール家最強の剣士との呼び名は誇張ではなく、一切の無駄を削ぎ落とした流麗な剣技は疾風の如く襲い掛かるライルをその度に払い除けた。手数の多さではなく、正確な一撃で流れを断ち切る型。ただ、それを食らわなければ勝機はあるはず。


 ライルはその一心で試行錯誤を繰り返した。表面上は渋々だったが、ブライトも気長に付き合ってくれた。相変わらず恐怖心は消えないでいる。季節は巡り、ブライト以外に彼を倒せる者はもういない。そして――


 鍛錬の果てに、一対の短剣と魔道銃を操る彼の原型がここに完成する。


 こいつの初陣の日は近い――最初とは見違えるほど強くなったライルを見て、ブライトを初め、屋敷の誰もがそう感じていた。


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