第八話「束の間の休息」
「ま、何もない所だが上がってくれ」
「ええ、上がらせてもらうわね」
「お邪魔するわ」
村を出て、四人が馬を走らせ首都に着いた頃には正午を少し過ぎていた。初めて首都を訪れたティアとエリスを先導し、男二人暮らしの住居まで辿り着く。ブライトがドアを開け、最後に入った。進んで紳士的な行動を買って出るあたり、彼の女性の扱いに慣れている部分が表れている。
ティアは少し疲れた様子でまず入ってすぐの所に置いてあるソファに腰を下ろした。それを見て、ライルも向かいのソファに座る。
「以外と片付いているのね。男だけで住んでいる家って結構散らかっている物だと思っていたけど」
「どちらかと言えば俺もブライトも綺麗好きな方なんだよ。それに一階は客が来ることもあるし、散らかってるとうちの印象に係わるんだと」
「そういうこと。他に誰か一緒に住んでいる人はいるの?」
「いいや――って、おい、エリス、そっちの物置には入るな」
と、ライルは首都に入ってから見るもの全てに興味津々な様子のエリスに声を掛けた。火薬の類も閉まってある物置にほいほい入られては困る。今も飾ってある小物やら家具やらを観察していた。本人は平静を装っているのだろうが、他の全員には丸わかりだった。この調子だと、勝手に一人で首都全域を探索しに行きかねない。
「あ、ごめんなさい、つい癖で」
「いや、まあ怒ってるわけでもねえんだが」
「そうそう謝る必要ないって。とりあえず俺がお茶でも出すから座っててくれ」
「ありがとう」
そそくさと台所へ消えたブライトの言葉に従い、少し申し訳なさそうな顔をしたエリスも大人しく席に着く。軽く注意を促しただけのつもりだったライルも何とも言えない表情をしていた。自分の生まれ持った鋭利な目つきを恨むも今更どうしようもない。
「ところで、すごい量のお酒ね」
話題を切り替えようとティアはこの空間で一番の存在感を放っているものに注目した。それは四段もある大きな木製の展示棚。様々な品目の酒類が隙間なく整然と並べられている。ちょっとした酒屋と勘違いするぐらいだ。
「ああ、あれは全部ブライトがことあるごとに集めたもんだ。五十本はあるんじゃないか?」
「へえ、彼は収集家なのね。ライルは飲むの?」
「疲れた時ぐらいは付き合うな。酒に弱くはねえが、微妙な味の違いは正直未だによく分からん」
「馬鹿舌なんだよこいつは。俺様がせっかく高い酒を飲ませてもしても飯の方が美味いとか言いやがる」
「ほっとけ」
台所から戻ってきたブライトが横から会話に入ってくる。相棒に対する愚痴を零しながら、長方形の机に陶器の皿を四枚並べ、その上に同じ装飾の施されたカップを置いた。注がれている琥珀色の液体からはほっとする芳醇な香りがする。ブライトはご丁寧な事に、高そうな茶菓子も用意すると寛いで座った。
「美味しい」
「ほんと」
「お褒めに預かり光栄だ。丁度良い茶葉が置いてあったからな。二人とも運が良いぜ」
驚いた顔で二人が述べた素直な感想を聞いてブライトは満足気に微笑む。横でライルも一口含んだ。美味い、と文句のつけようがない、いつもの彼の腕前にライルは顔をしかめた。
「喫茶店方面の仕事でもやっていけるんじゃないかしら。是非とも入れ方を教えてほしいのだけれど」
「ああ、俺で良ければ教える。まず大事なのは温度だ――」
しばらく彼の紅茶に関する講義と豆知識披露会は続き、会話は盛り上がった。
*
「ふう……長話になっちまったな。久々だぜこんなの」
「いえ、楽しい時間だったわ。また今度も聞かせてね」
「ああ。沢山ネタを仕入れてくる」
「なあ、休憩も充分取ったし、そろそろ報告に行くとしようぜ」
席に着いてから一時間後。ようやく一段落着いたのを見計らってライルは体を伸ばして立ち上がった。紅茶のポットも茶菓子の皿も既に空になっている。ライルはトレーにカップやらを乗せて、手早く片付けた。それを見てエリスも続き、一緒に洗い物を済ませる。
「そっか。まだ仕事の途中だったものね」
「そうだな。ライル、俺はまた依頼主のとこを訪ねてくる。お前は二人に首都を案内してやれ」
「いつまでに戻ればいい」
「夕方ぐらいいい。あと、買い食いはほどほどにしてくれよ。初日から一人で晩飯なんて味気ないからな」
ライルはどのような道行を辿るべきか、頭の中で計算する。要所の数はそれほど多くないものの、徒歩で行くことになる上、あまり入り組んだ路地を進むべきではない。思わぬ寄り道も考えられる。彼も結果的に夕方が丁度いい時間になるだろうという結論に至った。
「分かった――というわけだ、俺が案内するから付いてきてくれ」
「ええ」
「頼りにしてるわ」
ブライトは一人仕事の続きへ。残りは首都観光。今後の予定が決まったところで、全員が連れ立って家を出る。別行動となるブライトが一足先に歩き出し、ライル達は他の道へと進んだ。
(さて、まずは大通りに出るか)
*
「外に出たものの、どうしたもんか……」
早速、三人は人で溢れている大通りまで出てきていた。しかし、歩くこと数分。いきなり問題が浮上していた。
「どうかしたの?」
ティア、エリスと横並びで歩いていた二人が急に立ち止まったライルの方を覗き込んでくる。問題とは、紛れも無くこの二人が原因だった。だが、誰かに害を与えているわけでもなく、寧ろその逆――
(かなり目立つんだよな……)
心の中で彼がそっと呟いた通り、一行は良い意味で注目の的となっていた。溜息が聞こえてくるような視線の数々。流石にライルだけならばこうはならないが、後の二人は言わば異国の騎士のような恰好で、それに劣らないだけの存在感もある。ライルは改めてティアのじっと観察してみた。すっと形の整った輪郭に高すぎず低すぎない筋の通った鼻、瑞々しい唇は珊瑚色をしている。
「な、何?」
「……いや、綺麗な赤い目をしていると思っただけだ」
「そ、そう」
突然の注視に困惑するティアに対して、ライルはとっさに思ったことを口にしてしまった。彼女が不意打ちで驚かされて頬をほんのり赤らめているのを見る限り、気を悪くはしていない。胸を撫で下ろすライル。その様子をエリスは微笑ましいそうに眺めていた。
「――って、そういうことが言いたかったんじゃなくてだな」
生温かい視線に気づいた彼はすぐさま弁明する。それでもエリスは微笑むことを止めない。
「ふふ、折角褒めてあげたのに誤魔化さなくてもいいじゃない。ティアも喜んでいるし」
「エリスっ!」
「あら、怖い怖い」
からかわれたティアが抗議の声を上げると共にエリスをじとっとした目で睨む。だが、当の本人は一転して素知らぬ顔だ。完全に遊ばれているところを見て、いつもこのような図式なのだろうな、とライルは少しばかり同情した。溜息を一つした後、道行く人々の視線のことをふと思い出す。
「なあ、二人とも服着替えたほうが良くないか? 今の恰好だと、目立ちすぎると思うんだが」
「うーん。私はあまり気にならないけど」
「右に同じ」
「でも、しばらく間は多分首都にいることになる。そのことを考えたら必要だろ」
「そっか。そう言われればそうね」
「まあ息抜きの一環だと思えばいい。服はそうだな……確か東通りにあったはずだ」
ブライトとの会話の記憶を探り、おすすめはどの店だったのか単語を拾い上げる。大抵は聞き流すような他愛も無いものだが、まさかこういう時に役に立つとはライルは思いもよらなかった。うろ覚えながらも人混みを縫って、目的の店を目指した。
◆
「ここだな」
大きな柵門の前で身嗜みを今一度整えたブライトはヴァレンタイン家へ二度目の訪問に来ていた。問題ないことを確認すると柵門を少しだけ押して、庭へ入る。一応周りを見回してみるが誰もいなかったのでそのまま扉まで歩き、前回と同じようにノッカーを二回叩く。
「……」
しかし、待っても誰も出てこない。まさか屋敷に誰もいないのか。そう思いつつ、もう一度ノッカーに触れようとした時、やっと厳かな扉が開いた。だが今度はクロードという老執事ではない。出てきたのはエプロンドレスを着たメイドだった。
ブライトを見たそのメイドはあっと合点のいった顔になり、恭しく一礼した。流れるような無駄の無い動作に彼は目を奪われる。
「本日はようこそお越しくださいました。レイランド様」
「どうも。ところで君、見たことあるような気がしてならないんだけど……何処かで会ったことある?」
「はい。前回お越しいただいた際に広間で。私は清掃をしておりました」
「あーあの時のね。道理で。で、今日は依頼の報告に来たんだけど、シルヴィオさんはいらっしゃるかな?」
「申し訳ございません。ご主人様は急用で屋敷を空けておられます。後三日もすれば戻られるかと。ですが、現在、依頼の件でしたら代理としてクロードが承ります。如何なさいましょうか?」
「どうするかなぁ」
依頼主から受けたのだから、依頼主に報告するのが筋。そう考えるのが妥当かもしれないが、この一件に関してはなるべく情報伝達は早くした方が良い気がする。それにクロードは信頼に足る人物だ。口元に手をやり、悩んだ末、ブライトはこのまま報告することを選んだ。
「よし、こちらとしても申し訳ないけど代理で頼むよ」
「かしこまりました。ではこちらへどうぞ」
くるりと回転し、背中を向けて歩き出すメイドにブライトは付いて行った。二階に伸びる長い廊下。奥まった位置の部屋を案内された。
「では、私は失礼します」
「ああ、ありがとう」
礼を述べた後、ブライトは扉を叩く。落ち着いた声で応答があった。
「どうも。お邪魔します」
「レイランド様でしたか。お待ちしておりました。こちらに、お掛けになって下さい」
「いえ、立ち話で済むのでお構いなく」
入った部屋はブライトの想像より広く、快適な空間となっていた。ベッドに関しては明らかに自分が使っているものより大きい。二人が並んでも余裕がありそうだ。クロードはというと、備え付けられている机に向かっている途中の様子。机の上には紙の束が積み重なっている。
「それは?」
「こちらですか。こちらは私の方でも独自に調査しているところでして」
「へえ、何か分かりました?」
「後もう少し、ですね。何かを掴みかけているのですが、まだ時間が必要です」
「まあ、お互い確実にやっていけばいいさ。こっちは何だか面倒なことになってるが――」
ブライトはルカルア遺構での出来事を話した。ただ、使命の話は意図的に省いている。説明を聞き終えたクロードは咳払いをすると、ずれてもいない片眼鏡を直す仕草をした。
「そんなことが……ふむ、気にかけておく必要がありますね」
「正直何をしでかそうとしているのかは皆目見当もつかない。ただ、一つ言えるのは、大変なことが起きるってことだ」
「あまりご無理はなさらないよう、お気を付け下さい。命あってこそですから」
ブライトの見込みでは解放者がティアの負っている使命と対立するのではないかと考えていた。つまり、行動を共にすることで命を落とす危険があるということ。しかし、彼らにとってそんなことは織り込み済みだ。
「それはお互い様だろ。ま、話すことはこのぐらいだ。俺はそろそろ帰るよ」
「はは、おっしゃる通りですね。玄関までお送りいたしましょう」
「ああーいいよいいよ。俺一人で大丈夫だから。じゃ、また何か進展があったらよろしくお願いするぜ」
「はい。ではお気をつけて」
申し出をひらひらと手を振って断ると、そのままブライトは屋敷を後にする。家に戻っても、まだ三人は街を歩き回っているに違いない。時間はまだ夕方まで十分に残っている。久し振りに当も無く歩き回り、あわよくば偶然を装ってライル達と合流しよう、などと考えつつ彼は来た道を戻り始めた。
◆
「ありがとうございましたー!」
一方、ライル達は扉の上方に取り付けられた呼び鈴の音と店員の声に見送られ、東通りのとある服屋から出てきていたところだった。目的はティアとエリスの服を買うため。出来るだけごく普通の恰好になるよう注文したのだが――
「なあ、おい、あの子見てみろよ」
「うっわ、すげえ美人じゃねえか。あんな子この辺にいたか?」
「しかも二人かよ! くっそ、あの男羨ましすぎるぜ」
(状況があまり変わってない気がする……何故だ)
新品の服に着替えた二人。いくら庶民風に仕上げるといっても、各々の個性を潰すのは良くないと店員に言われ、服飾の心得も特にないライルは手放しで任せた。その仕上がりは彼が言うまでも無く、二人の満足気な顔が物語っている。
着ているのはゆったりとした丈のワンピース。素朴且つ清楚な服装にし、素材の良さを生かした、と店員は熱弁していた。服は同じだが、ティアは髪留めを新調し、エリスは頭巾を被ることで差別化を図っている。ちなみに着替える前の二人の服はライルの持つ紙袋の中だ。
「良く似合ってるな」
「どうも」
ありきたりなやり取り。だが、似合っていると言われてティアも満更ではなさそうだった。
「でもいいの? お金全部払ってくれて。そこそこいい値段したでしょう」
「いいんだよ。俺の金の使い道なんて限られてる。こういう時ぐらい有効に使った方が良い」
依頼の報酬金をライルは日頃から溜め込んでいた。食費と装備品が支出の割合をほとんど占め、遊び好きのブライトみたく散財することは無い。けれども、大きな買い物をするためだとか、世界を巡る旅の資金にするためとか、何か目標があるわけでもない。自然と余った金なのだ。
「じゃあ、申し訳ないけど、お言葉に甘えさせてもらうわ」
「そうしてくれ。さて、準備万端か。次は首都を回――って、エリスは」
「あれ? 店を出るまで一緒にいたのに」
「絶対いなくなると思ったが早速かよ」
忽然と姿を暗ましたエリスを人混みの中探す。先に見つけたのはライルだった。女性としては長身の彼女は思ったより割と近くにいた。大小様々な置物が沢山置いてある店に釘付けのようだ。店主もエリスに釘づけだった。
だが、すぐ新たに興味を引くものを求め、エリスはその場から離れた。その拍子に追ってきた二人と目が合い、彼女はひらひらと手を振る。
「ティア、あいつを捕まえたらしっかり掴んどけ」
「はあ……わかってる」
揃って溜息を吐くライルとティアは、好奇心の赴くまま行動する猫の如く、どこかへ行ってしまわないようにエリスの元へ急ぐのであった。
◆
「“解放者”……ですか。まさかこの国にいるとは」
来客の立ち去った後の自室。クロードは机で一枚の紙にペンを走らせていた。便箋ではなく、適当な大きさに切り取った紙片。綴られる文字は焦燥で少し崩れてしまっている。だが、最初から書き直すことすら今の彼にとっては煩わしく感じられた。
「急いで、“彼”に伝えなくては」
クロードの言う“彼”。敬称を使っていないことからシルヴィオを指してはいない。主従ではなく、かつて友として対等な関係を築いていた人物。それを知る人間はこの屋敷には誰一人として存在しない。まさかこのような形で再び関わりを持つこととなるとは。
文末に自分の名前を記し終えると、クロードは紙を封筒に入れず、長方形に折りたたみ始めた。そして、そのまま部屋の窓を開け放つ。指笛を鳴らすと、すぐに窓枠に一羽の鳥が留まった。純白の羽を持つ鳩――クロードが使い魔として屋敷で飼いならしている鳩で、ユーリという名が付けられている。
「よし、いい子だ」
飛んでいる際に取れてしまったり、負担にならないよう紙を左足に手早く巻きつける。次にクロードは魔力をユーリに送った。同時に送った情報にある目的地は国内ではない。長い旅になるだろう。だが、自分の足で行くよりは遥かに早く着く。そう信じて。
「頼んだぞ」
クロードの手が離れるとユーリは力強く空に羽ばたいて行った。庭に出ていたメイドが物珍しそうに空を仰いだ。
手紙の行方は、彼だけが知っている。




