君と出逢って同じ道を歩み、 君が死んでお互いの道を歩む。
俺は窮屈な日々に、飽き飽きしていた。
毎日が同じ繰り返しで、自由に動く時間がない。
俺は退屈な日々に、飽き飽きしていた。
毎日が同じ繰り返しで、何をしてもつまらない。
俺はそんな世界が嫌いだった。
――なぜ、この世に生まれたのか?
俺は毎日そんなことを考えていた。
“自由”なんて言葉は、“人が不自由”だから生まれたんだ。
俺はそう思っていた。 だって、そうじゃないと・・・。
そうじゃないと、そんな言葉は生まれないと思っていた。
俺は、“不自由”であるからこそ“俺でいられる”と思っていた。
だけど、それは違ったみたいだ。 俺は勘違いをしていたみたいだ。
俺の世界は君と出逢ってがらりと変わった。
まるで、世界が180度回転したみたいに、俺の見るものは変わった。
今まで当たり前に見えていた服屋が、君と行くことで意味のある店になった。
友達と何気なく遊びに行っていたカラオケ屋が、君と行くことで思い出の欠片となった。
そんな日々が俺には幸せだった。 俺達には幸せだった。
だけど、君は病気に。 医者に言われたのは「余命半年」という言葉。
「さよなら」「大好きだったよ」 君は何度も何度も繰り返した。
まだ死んでないのに。 絶対に死ぬとは限らないのに・・・。
だけど、現実は起きた。 医者の言うとおりになってしまった。
余命半年―――宣告されてからちょうど半年後に君は入院した。
そして、そのまま見送りもなしに、君は逝ってしまった。
大好きだったさ、俺の方も。
誰よりも大好きだったさ、君のことが。
だけど、君はもういない。
俺が「サヨナラ」を伝える前に君は逝ってしまった。
元に戻らない君との関係を思い出しては、泣きたくなる。
そんな毎日が嫌なんだ。 君がいない毎日が嫌なんだ。
だけど、元には戻れない。 時間は、元には戻せない。
だから、諦めるしかないのか? 思い出と共に生きるしかないのか?
だけど、俺には君が残して行った宝物がある。
――君が残した唯一の宝物、それが俺達の子供。
確かに思い出も宝物さ。 だけど、子供の方が大切だ。
だって、俺達2人の子供がいれば、いつでも君を想うことができる。
毎日見ることのできる笑顔が、昔の君の笑顔を蘇らせる。
だから俺は、“泣きたくなる今という現実”を泣かずに堪えることができている。
それは、大好きな君の面影が残っているから。 君の子供は君にそっくりだから。
だから、俺は泣かないで今を生きている。 俺達2人の子供と共に今を生きている。
だから、こっちが落ち着いてから、俺はそっちに行くことにするよ。
それまで、君は俺達を見守っていてくれよ。 ずっと傍にいてくれよ。
俺が辛そうな時は、何も言わなくていいから、近くで支えていてくれ。
俺が悲しそうな時は、何もしなくていいから、ただ一緒にいてくれ。
そうしてくれれば、俺はこれからを生きていくことができる。
君の姿が見えなくても、見れなくても、 俺は懸命に生きることができる。
だから、俺が死んだ時は、「頑張ったね」と言ってほしい。
笑顔で迎えて、ただ一言そう言ってほしい。 そうすれば・・・。
そうすれば、悲しみを忘れることができるから。
君がいなかった悲しみを乗り越えることができるから。
そして、来世でも一緒に楽しく暮らせると思うから。
だから、またいつか逢う日まで、お互いの道を―――――。