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ep1 妖精と下山


「んー、グレンって無愛想よね」


「うるさい、これが俺のデフォルトだ」


 素っ気なく返しつつ、俺はヤプの解体作業を再開した。

 手元の短刀を器用に滑らせて皮を剥いでいく。その頭上では、小さな羽音が鬱陶しくまとわりついていた。


「何してるの?」


「肉がうまい部分だけ解体してるんだ」


「へぇ~。人間って面白いことするのね」


 ティアが鼻をひくつかせる。


「これが美味しいの?」


「文句あるなら離れてろ」


「むぅ……意地悪ね」


 忌々しい『契約』は成立してしまったが、世界を旅するとなれば当然準備も金も必要だ。なので一旦山の麓にある俺の家へ戻ることになっていた。


 作業が一段落し、ヤプに手を合わせて供養したあと、遺体を少し掘った穴に埋める。それから手拭いで手を清め、装備品の確認をする。弓はもちろん、使い古びた革鎧に腰に下げた小刀。鞄を肩にかけ直したところで、ティアが飛び込んできた。


「さあグレン! 行きましょう!」


 小さな掌で俺の肩をペシペシと叩いてくる。


「人間の家を見てみたいわ!」


「ああ……」


 早朝から狩りをしていたから、ひどく眠い。それに加え、俺の右手には立派な角と剥ぎ取られた毛皮の束がぶら下がり、左肩には血抜き処理を済ませた重い肉塊を担いでいる。ただでさえ大荷物だというのに、まさかこんな余計な荷物()()()()()まで抱え込むことになるとは思わなかった。


 下山に集中していると、ティアは嬉しそうに周囲を旋回した。


「それにしても人間って大変よね」


「何が?」


「私のような翅がなくて、蟻みたいに地面を歩かないといけないなんて」


「……はぁ、そりゃ翅があれば便利だろうな」


 おそらくこの妖精に悪意はないんだろうが、無自覚に見下してくるあたり、それはそれでタチが悪い。


「まぁ、先を急ぐのは賛成だ」


「え?」


「夜になると大型の獣が出てくる。血の匂いで集まってくるかもな」


 淡々と答えると、ティアの顔から血の気が引いた。


「そ、そうなの? じゃあ一刻も早く……」


「まて、止まれ」


 不意に、森の空気が変わった。

 張り詰めたような、冷たい緊張感。


「……」


「ど、どうしたのよ?」


 ティアが問いかけると同時に、前方の茂みから低い唸り声が響いた。


 姿を現したのは、二足歩行の狼に似た怪物。熊のように隆起した尋常ではない筋肉の鎧、そして涎を滴らせる凶悪な牙。間違いない、凶暴な肉食モンスターの『グレートウルフ』だ。


「キャァ!? 何あれ!」


 ティアが思わず声を上げる。


「……モンスターか。離れてろティア」


 素早く荷物を降ろして弓を構え、素早く矢筒から一本を引き抜く。


 ──しかし


 その巨体に似合わずモンスターの接近は予想以上に速かった。


「チッ……!」


 舌打ちと共に矢を放つ。

 空気を切り裂いた矢はモンスターの左眼付近に命中したが、致命傷には至らない。痛みに怒り狂ったモンスターが咆哮しながら再度突進してきた。


「──ッ!」


 次の矢をつがえる暇はない。咄嗟に横へ跳び回避するが、鋭い爪が肩口を掠めた。裂けた衣服の下で血が滲むのを感じる。


「グレン!」


 ティアの声が響く。だが痛みにかまってる余裕はない。地面を転がりながらも即座に体勢を立て直し、流れるように二本目の矢をつがえる。

 ただ闇雲に撃っても、あの分厚い筋肉に阻まれるだけだ。


 狙うべきは一点。


 ニ射目。

 弓を水平に構え、低い姿勢から弦を弾く。放たれた矢は、怪物の喉元を正確に貫いた。ゴポッと血を吐き、巨体の動きが一瞬鈍る。その僅かな隙を見逃さない。

 間髪入れずに三射目。

 分厚い胸筋の下、急所である心臓部を深々と射抜く決定打。


 それでもなお、グレートウルフは執念で数歩こちらへ迫り──俺の目の前まで来たところでようやく限界を迎え、ズシンと重い音を立てて崩れ落ちた。


「……ふぅ」


 荒い息を吐き出し、ヒリつく肩口の傷を手で押さえながらゆっくりと立ち上がる。


「すごい、すごい! あなた強いのね!」


 ティアが頭上で喜びの舞を踊っている。


「あんな大物を一人で倒せるなんて! 人間も侮れないものね!」


「褒めてくれるのは有難いが……」


 俺は眉をひそめ、呑気に喜んでいる小さな妖精を睨みつけた。


「魔法で援護してくれてもよかったろ」


 その一言にティアはきょとんと首を傾げた。


「え?」


「……ん?」


 おかしい。

 俺の言葉の意味が全く理解できていないような、ポカンとした顔だ。


「い、いや、お前ら妖精ってのは魔法が得意なんだろ? さっき俺にも使ってたし」


「そうなの? まぁ、そうね! 私たちは優れた種族だものね!」


 ふんす、と空中で自慢げに胸を張る。どうも会話が噛み合っていない。


「そういうわけじゃなく……なんかこう、火の球を出したり、氷の槍で貫いたりとか、あるだろ」


 身振り手振りを交えて具体的な攻撃魔法の例を挙げると、ティアは心底嫌そうな顔をして、あからさまに眉をひそめた。


「はぁ? そんな野蛮な魔法、知ってるわけないでしょ」


「………は?」


「ほんと、他の種族って野蛮な奴らばっかりなのね。お姉様の言う通りだわ!」


 やれやれ、と呆れたように肩をすくめる小さな妖精。俺はズキズキと痛む肩口の傷を押さえながら、嫌な汗が背中を伝うのを感じた。


「お、おい……じゃあ、お前が使える魔法ってのはどんなのがあるんだ?」


「ん? えーっとね、お花を咲かせたり、動物とお話ししたり、果実を甘くしたり……あぁ、さっきグレンに使ったのはお姉様から特別に教えてもらったものよ!」


 悪びれる様子もなく、無邪気な笑顔で言い放つティア。


 ……おいおい、待ってくれ。

 じゃあこいつ、伝承通りに莫大な魔力を持ってるくせに、戦闘においては完全な役立たずってことか? 

 これから凶悪なモンスターや野盗がうろつく広大な世界を見て回るってのに、俺はこんな無知で自己中心的な少女を護衛しながら旅をしないといけないのか? 


 あまりにも絶望的な事実を突きつけられ、俺は頭を抱え込んだ。


「どうしたのよ、グレン」


「……これからの未来が怖くなってな」


「ネガティブ思考はよくないわよ?」


「お前はポジティブすぎだ」


 ひとまず絶望的な現実から目を逸らすことにした。今はとにかく、この肩の傷を止血するのが先決だ。


 使い古した革鎧の留め具を外し、破れた衣服ごと肩を露出させる。まだ冷たい風が肌を撫でる。


「っ……結構深いな」


 露わになった傷口を確認し、俺は顔をしかめた。グレートウルフの鋭い爪痕が、肉を無残に裂いている。太い血管をやられていなかったのは、不幸中の幸いだった。


「グレン、大丈夫?」


 ティアが心配そうに声を掛けてくる。


「あぁ、まぁ死ぬほどじゃない」


 強がりではなく、本心だ。十年以上狩人稼業を続けていれば、この程度の生傷には慣れっこだった。


「ねぇ、グレン。私の魔法試してみる?」


「魔法? 傷を癒す魔法を知ってるのか?」


「枯れちゃった花とか折れた枝を治す魔法を知ってる、グレンに効くか分からないけど」


「なるほどな」


 植物に使ってた魔法か。人間にどんな影響が出るかは完全に未知数だが、このまま血を流し続けるよりはマシだろう。


「俺の肩から枝を生やしたり、植物のモンスターに変えたりするのだけは勘弁してくれよ」


「ちょっと、私をなんだと思ってるのよ!」


 プンプンと口を膨らませて文句を言うティアに、俺は小さく息を吐いた。


「よし、頼む」


「任せなさい!」


 ティアが俺の露出した肩口にふわりと近づき、その小さな両手をかざす。


「【エル】」


 彼女が不思議な響きを持つ言葉を呟いた瞬間、小さな掌から淡い緑色の光が溢れ出した。


「お、おお……」


 淡い光が傷口を包み込むと、さっきまで熱を持っていたジクジクとした痛みが、嘘のようにスッと和らいでいく。代わりに、温かい何かが皮膚の下を巡るような、奇妙でくすぐったい感覚が走った。

 肩口を見下ろすと、グレートウルフの爪で無残に裂けていた肉がみるみるうちに繋がり、再生していくのがわかる。


 ほんの数秒後。緑色の光が完全に収まると、そこには傷跡一つ残っていない、まっさらな肌があった。


「まじか……」


 傷跡一つ残っていない肩口を撫でながら、俺は思わず間の抜けた声を漏らした。触れてみても、痛みはおろか違和感すら全くない。


「ふ、ふふん! さ、さすが私ね!」


 その微妙に上ずった声の裏返り方を見るに、どうやら自分でも本当に成功するとは思っていなかったらしい。喜びに満ちた様子で俺の頭上をパタパタと忙しなく飛び回り始めた。


「いや、本当にすごいな」


 ぽつりと、無意識のうちに本音が口から溢れる。

 この治癒能力を実際に目の当たりにさせられると、認めざるを得ない。なんだかんだ言って、こいつが御伽話に語られる『伝説の存在』だということを。


 俺はパタパタと飛び回る小さな妖精に正面から向き直った。


「……ティア」


「な、なによ? 急に真面目な顔して」


 俺が少し低い声で名前を呼ぶと、ティアは怪訝そうに空中でぴたりと止まった。

 片手を心臓に添えて、頭を下げる。


「助かった。治してくれてありがとう」


「えっ……?」


「最初に毒を盛られた時はどうなるかと思ったが……怪我を塞いでもらったのは事実だ。恩に着る」


「あ、う、うん……! わ、わかればいいのよ! 私の偉大さが!」


 不意打ちの礼に完全に面食らったのか、ティアはほんの少し顔を赤くして目を逸らし、そわそわと宙を泳いだ。

 命を救ってくれた相手に礼を欠くほど、人として未熟でもない。


「さて、と……」


 怪我も治ったことだし、さっさと下山を再開するに限る。

 俺は地面に放り出していた荷物──ヤプの毛皮の束と角、そして重い肉塊を再び担ぎ直した。ズシリとした重量が肩にのしかかるが、傷が完治しているおかげで痛みはない。


「ほら、さっさと行くぞ」


「ちょっと待ちなさいよ」


 出発しようと歩き出した俺の頭上に、ふわりと軽い感触が乗った。


「……おい、何してる」


「何って、見ての通り休憩よ。魔法を使ったせいで、私とっても疲れちゃったの」


 頭の上から、これっぽっちも疲労感を感じさせない生意気な声が降ってくる。


「嘘をつけ。さっきまでピンピンして飛び回ってただろ」


「妖精の疲労は遅れてやってくるのよ! それに、命を救ってあげた大恩人様を歩かせる気? 人間としての礼儀がなってないわね!」


「お前、元から飛んでるだけで歩いてないだろ……」


 握り拳くらいのサイズしかないコイツは頭頂部にちょこんと座り込み、器用に俺の髪の毛を掴んでバランスをとっているようだ。


「さぁ、気をつけて進みなさい、私の専属馬車!」


「誰が馬車だ。降りろ、気が散る」


「きゃっ、ちょっと揺らさないでよ! 落馬したらどうすんの!」


「だから馬じゃない、自分の翅で飛べ!」


 頭の上の小さな悪魔を振り落とそうと首を振ってみるが、ティアはガッチリと髪にしがみついて離れない。むしろ引っ張られて痛い。


「痛っ……! わかった、わかったから髪を引っ張るな! 抜けるだろ!」


「ふふん、初めからそうやって大人しく従ってればいいのよ!」


 両手には大荷物を抱え、頭には偉そうな妖精を乗せて歩く下山道。

 俺の先行きは、傷が治ったこととは裏腹に、とてつもなく前途多難なものになりそうだった。


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