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キミゾンビライフ


大国ルロワの右端にちょこんとお邪魔している、ガラクタと貧困の街という最悪なレッテルを貼られたジョンジャック。

全体的に錆色に染まったこの雑多な街から見上げる空だけは平等に青いのに、どうしてこの街の人々は世間からあまりよく思われないのだろうか。青年イリヤは常々そう思っていた。しかしこの街はいわゆる廃品回収の行き着く先で、大量のガラクタと産業廃棄物の上にできた街だから。そう聞いてからは、イリヤの不服は納得に変わったのである。

確か、そう説明していたのは社会科見学で訪れた学生の先生だ。いい匂いのしそうな上等な服でめかし込んだ少年少女共が、ジョンジャックと普通の街を隔てる柵の向こうで、澄んだ目でこちらを見下ろしてきたことはまだ覚えている。

ジョンジャックの空気は澄んでいないから、皆、肺をやられて死んでいく。まともな薬よりも薬物の方が流通してるので、当然流れの闇医者だっている。

けれどそんなジョンジャックが天国だという、摩訶不思議なマニアもいるのだ。

「あー、今日もやってるなあ」

イリヤは真っ白でボサボサな髪を風に揺らしながら、アンドロイドたちの墓場を見下ろしていた。

ここは、大国ルロワの主要産業であるアンドロイドたちの失敗作や、使い古された機構、壊れた家電などのガラクタが、毎月二回、巨大な飛行船によって吐き出される場所だ。

虫の六枚羽のようなものをバラバラに動かした飛行船が、吐き出すために斜めになった船体をゆっくりと平行に戻し、空っぽの腹を喜ぶように高く浮かび上がる。動力は知らない。多分、祖父のジグリットに聞けばわかるだろう。

イリヤは、ぐんっとひとつ伸びをすると、わあわあと騒ぎながらガラクタの山に近づく大人を見下ろした。そう、摩訶不思議なマニアとは、火事場泥棒やトレジャーハンターを生業とする大人のことだった。

カア! と大きな声がして、イリヤはそっと腕を上げた。

仲良しの大鴉、二クスがその腕に止まると、イリヤは彼女の首につけられた灰色の輪を指先で弄った。

「イリヤ、イリヤ、大変だ、事件だヨ!」

「なんだよ、この街はいつだって大変で、事件ばかり起こるだろ」

「チガウ! ジグリットが動かない! 朝から、ズット!」

カア、カア! 黒い羽をバサバサと羽ばたかせ、二クスは騒いだ。

どうせ、昨日も徹夜をして寝過ぎているだけだ。イリヤはそう呆れたように振る舞ったが、気がつけば余裕を演じきらぬうちに走り出していた。

ジグリットはイリヤの残された唯一の肉親だった。

先導するように羽ばたき飛んでいく二クスを追いかけながら、入り組んで迷路のような家々の隙間を上手にすり抜け、イリヤは走った。先程までいたアンドロイドの墓場から、街外れにあるジグリットの家まで、どれだけ早く走っても半刻はかかる。

家が遠いからというだけで、離れて暮らしていたことが悔やまれた。


いつまでも生きていると思っていた。

ジグリットが死ぬだなんて、イリヤはちょっぴりも思いつかなかったのだ。


どれほど走ったのだろう。

イリヤは呼吸のたびに込み上げる鉄錆臭い唾液を飲み下すと、ふらふらになりながらジグリットの住む家の扉に手をかけた。

「きっと、起きてるよ。だって、三日前もそうだったし」

「イリヤぁ!」

「大丈夫、大丈夫だから」

イリヤは慎重に、扉を開けた。

光の筋がイリヤよりも先に侵入し、その白い先端に人の手があった。

ペンだこだらけの、ごつごつの、茶褐色の手。

イリヤは呼吸が止まる思いだった。何せ、その手はジグリットがいつもしている指輪をはめていたのだから。

「じ、ジグリット……うそ、だろ」

足は戸惑うイリヤの心よりも先に動いて、部屋の中に一歩踏み入った。

ジグリットが一人暮らしをしていた、ガラクタの街の中でもそこそこ立派な一軒家。

その辺の資材置き場から見つけてきた鉄製の扉を、ジグリットは三日前まで軽々と開けていたはずだ。

「じ、ジグリットじいちゃ」

「どなたですか?」

「ん……⁉︎」

カア! カラスの二クスが、びっくりしたように鳴いた。

イリヤは思わず身構えた。そして、暗い部屋から黒猫のように爛々と輝く緑色の瞳を認めると、一気に後ろへと飛び退った。

咄嗟に、傘立てに刺さっていた防犯用の鉄パイプを鷲掴む。イリヤはそれを勢いよく振り上げると、家の中にいた不審な男へと飛びかかった。

「じいちゃんの仇……‼︎」

鉄パイプがぐわんとしなる。そのまま、男が掲げた腕を強かに打ちつけた。ドッ……という鈍い音がして、男の腕が不自然に曲がる。緑色の目は驚いたように丸くなると、二撃目を放とうとしたイリヤの前に、両手を差し出した。

「待って、待ってください!」

「じいちゃんを殺した奴が、命乞いをするつもりか‼︎」

「違います、ジグリットは死期を悟っていました! 私はエイゼル、ジグリットに支えていた、ゾンビのエイゼルです!」


——— ゾンビ?


イリヤは、男の口から出た言葉に、振り下ろそうとした鉄パイプをぴたりと手の前で止めた。

「ゾンビ……?」

「は、はい……」

太陽にかかっていた雲が逃げて、ジグリットの隙間だらけの家へと光が差し込む。イリヤの足元を走っていた光の先と繋がるように一つになると、真っ暗な室内に佇んでいたエイゼルの姿を晒し出した。


つぎはぎだらけの青白い皮膚、乾いた銀鼠色の髪。


顔を庇うように交差された腕の一本は鉄パイプがめり込んで湾曲しているが、エイゼルは平然としていた。

イリヤよりも頭ひとつ分高く、大男というよりはひょろ長い痩せ過ぎの体だ。

小汚い生成りの外套で全身を隠したエイゼルは、ゾンビにしては気の弱い声で言葉を続けた。

「ぼ、僕があなたへの、ジグリットからの遺産です」

一体どういうことだ。

イリヤは、エイゼルの言葉に口を開けて、しばらく立ち竦んでしまった。何せ、三千世界巡り巡っても聞かないだろう。


祖父から孫への遺産がゾンビ。


「ぞ……ぞん、び? お、俺の……?」

言葉を音として認識しようと口にした。

イリヤの言葉に、エイゼルはそれこそ花が咲くように可愛らしく、「ええもう、間違いなく!」と両腕を広げて喜んだ。

要するに、死んだじいちゃんの遺産がエイゼルということらしい。

随分と簡単な事実だ。

ただ、口にすると偏頭痛がしてくるだけだったが……。



イリヤは今、ジグリットの家のリビングで、差し出されたお茶に口をつけていた。

それはエイゼルが裏庭で育てたハーブを使ったお茶だという。

「お口に合うかわかりませんが」

「そんな新妻みたいに振る舞われても困る」

「新たな主人のお気に召すように振る舞えたなら、エイゼルは嬉しく思います」

「エイゼルは何歳なの」

「人間の歳で言えばそうですね、六十五歳の若輩者でしょうか」

「俺より四十七個上‼︎」

イリヤは驚いたように声を上げた。

何より、思ったよりもうんと若かったのだ。

ゾンビと言われて思い浮かぶのは、とろめく肉を滴らせるリビングデッド。それこそ百歳以上は硬いと思っていたのだ。

「ジグリットがまだ現役の時に生まれたものですから」

「待って、ジグリットの子供⁉︎」

「ああいいえ、エイゼルの親はおりませんよ。強いて言えば試験管が母、培養液が父でしょうか」

『この緑の瞳は父譲りで、細長い体は母譲りなんですよ』と、エイゼルは続けた。

つまり人造人間だった、ということなのかもしれない。

イリヤは受け入れきれない現実に顔を顰めるしかなかった。

イリヤのせいでぐにゃりと曲がった腕へと目を向ける。敵意のないものだと知らず、酷いことをしたのはイリヤだ。

ばつが悪そうに頭を書くと、重そうに持ち上げた手でエイゼルの腕を指差した。

「なあ、それ。痛い?」

「え? ああ、大丈夫ですよこんなもの。すぐ治りますから」

曲がった腕に繋がる手首を鷲掴む。

エイゼルが何をするのかと不思議そうに見つめていたイリヤだったが、すぐに答えは導かれた。

「えいっ」

「ぎゃあ!」

ぼっ、と聞いたこともないような音を立てて、エイゼルは力任せに手首を引っ張った。曲がった腕を無理くりまっすぐにさせたのだ。普通の人間なら、痛みで気絶してしまうだろう。それなのにエイゼルは痛覚すらも死んでいるのか、戻ったばっかりの腕をプラプラとさせて、「治りましたねえ」だなんて笑うのだ。

彼がゾンビであるという確証が、またひとつ増えてしまった。

イリヤは疲れたように机に突っ伏すと、机に頬を貼り付けたままエイゼルを見上げた。

「……そ、う、相続は放棄しないけどさ、一応……お前がジグリットの形見だっていうなら、俺がお前を受け入れるのには、時間がかかるよ」

そうイリヤが口にすると、エイゼルは柔らかく微笑んだ。

「おやまあ、あなたは優しい人なんですねえ。ええもう、それはもちろん。エイゼルだってあなたと会うために、たくさんの愉快を練習してきましたから」

「愉快を練習?」

「ええ、ジグリットが言ったんです」

エイゼルは薄い胸に手を添えると、片手をゆっくりと広げて仰々しくのたまった。

『わしの孫が怯えないように、友達になる練習をするぞエイゼル』

緑の瞳はキラキラと輝いていた。

大袈裟な振る舞いで話すところなんて、ジグリットによく似ている。

垣間見た面影に、イリヤは少しだけ胸の奥がツーンと傷んだ。



エイゼルと共に生活をするようになって、一週間が過ぎた。

最初は身構えていたイリヤだったが、エイゼルはイリヤが憂いでいた突拍子のない行動をすることもなく、ただ丁寧に日々を暮らしていた。

「買い物とかするんだな」

「しますよ。ジグリットのお墓もできましたし、備える花を買わなくてはいけません」

「なあ知ってるかエイゼル、街の外では、普通に花が咲いてるらしいぜ」

「ああ、知っていますよ。ジグリットとこの町に来る前ですが、エイゼルのいた施設の外にはたくさんの花が咲いていました」

「ふうん、そう考えると、金払って花を買うのもおかしな話だよな」

「いいえ、イリヤ。知っていますか? ジョンジャックで栽培されている花は、みんな毒なんです。正しく精製すればとっても気持ち良くなるお薬になるのです。それを知らない花屋が勝手に育てて、価値ある花を安く売っているのです。あの花屋はきっと、この街の外では商いができません。無知のふりをしているのか、ずる賢いのか。バカと天才は紙一重と言いますよね」

「ふうん」

イリヤは、気のない返事をした。

エイゼルは特別頭がいいらしい──── と、自分で言っていた──── が、いかんせん話が長い。イリヤがエイゼルの知識の引き出しに迂闊に触れて仕舞えば、その三倍の言葉が返ってくる。

「それに、エイゼルは咲く花を摘むことができませんでした。自分の手で花の運命を摘むのが怖かったのです」

「なんで? 花に心なんてないだろ」

「どうでしょうね。けれどエイゼルは人工ですから、自然のものには特別憧れがあるのです」

「ふうん」

それからエイゼルは道中、ご機嫌に鼻歌を歌って、件の花屋まで二人で歩いた。

エイゼルの口にした『精製したらまずいお花』は、相変わらず安い値段で売り叩かれている。

イリヤは手持ちの小銭で数本買うと、花を受け取った。

「何に使うんだい」

「墓前に備える」

花屋の婆さんは、イリヤの言葉に面食らったようだった。そして前歯の抜けた歯を見せるように笑うと、孝行者だねえと褒めた。

「あの婆さん、何に使うのだって」

「あなたがまだ若いから、心配したのですよ」

「あの調子なら、知ってるな。多分」

「お年寄りは強かな方が多いですから、きっと知りませんでした。で済ますのでしょう。彼女ももう少し若ければ、もっとまともな花を売っていたかもしれませんね」

エイゼルは楽しそうに笑っていた。

この街で生きるには、お年寄りは生きづらい。ジョンジャックで求められるのは、有用な、価値あるものだ。若いってだけで大抵のことは許されるが、年老いて金ばかりがかかるようになると、存在意義を見つけなければいけない。この街が生み出した見えぬ条例は、静かに国民を息苦しくさせていく。肺の病気が加速するわけだ。

二クスの羽ばたく音がして、黒い塊は上手にエイゼルの頭に降り立った。

「おや、どうも」

「あら失礼。あのさあ、ジグリットを埋めた場所、他の鴉の縄張りなんだけど」

「人間に鴉の縄張りなんか当てはまるかよ。花置いて帰るだけだから、すぐだよ」

「ああいやだ、二クスは人間の生き方を尊重しているのに、イリヤときたらこれだもんなあ!」

「エイゼルはあなたの意見を尊重しますよ」

「エイゼルなんかいかない方がいいぞ。特にだ。お前、美味しそうな匂いするもの。二クスが理性的な鳥でよかったな」

「やっぱそういう本能? 危機回避みたいなもん? 動物にはわかるんだなあ」

イリヤはわかりやすく疲れた顔をした。

街の人は色白な人という認識で通ってしまったが、死臭は誤魔化せないということだ。

出掛け、エイゼルが念入りに消臭剤を体に詰めていたのを見た時は卒倒しかけたが、まさか二クスに答えを教えてもらうとは。

「長くゾンビをやってますとね、エイゼルなりのエチケットというものを身につけるのです。これぞいわゆる、紳士の嗜み」

「ジグリットんちに消臭剤が山ほど出てきた理由がわかったよ」

イリヤは最初、ジグリットの死体の隠蔽に使うのだと思ったが、それは流石にエイゼルには言わなかった。

「ああついちゃった。このお墓、本当にいい場所なんだけどなあ」

「草が青々と茂ってて、きっと他よりも栄養の高い土壌なんでしょうねえ」

「……」

イリヤはなんとなく、何も言わなかった。

それからたくさんのカラスの目の前で、二クスは小さく縮こまりながら、二人と一匹はジグリットのお墓参りを済ませたのであった。


その夜、おやすみなさいと冷蔵庫に返っていくエイゼルを見送ると、イリヤは眠そうな二クスを小脇に抱えて、ジグリットの家の屋根に登った。

考え事をするときは、夜空を見上げるのがいいと教えてもらったのだ。もちろん、ジグリットに。

「眠いよお。鳥目を夜連れ出そうだなんて、人の心がなさすぎる」

「なあ二クス、あいつ。お前が話せる姿を見ても驚かなかったな」

「そりゃあそうでしょ、だってエイゼルはジグリットの研究所から来たんだから」

それもそうだ。

トーマはキラキラと光る夜空を見上げたまま、腹に二クスを乗せていた。利口な鴉はトーマの手を傷つけないように、きちんと嘴を羽の下にしまい込んでいる。

この一人と一匹の関係は、もう二年目だ。

「多分だけど、いい奴だと思うよ。でもやっぱゾンビだぜ? 死んだエイゼルを、ジグリットは持って返ってきたってことだろ」

「エイゼルが死体だから嫌なのか?」

「……死体は葬られるべきだろ。けど、俺は……じいちゃんが研究所をやめた原因が、あいつだったら嫌だなって思っただけだ」

イリヤの言葉に、二クスはパチリと瞬きをした。

「喋る鴉は受け入れたのに、変な奴だな」

「だって、お前はジグリットの機械がついてんじゃん」

「一緒だろ。エイゼルだってジグリットの機械がついてる」

「え?」

「なんだ、知らなかったのか? たまに聞こえるんだよ、エイゼルの胸の中から、電子音みたいな音が」

「ゾンビなのに……機械……?」

「知らない、もう寝る。起こすなよ。そんなに気になるなら、二クスじゃなくてエイゼルに聞きな」

「おい、冷たいじゃないか」

「おお寒い、嘴が凍っちまうよ! ハックシュン!」

二クスはそう、わざとらしくくしゃみをすると、水浴びをするように羽をばたつかせた。イリヤはしばらくムスッとしていたが、二クスが眠ったことを確認すると、小さな体を小脇に抱え、滑るように屋根を降りた。

イリヤは、大きな月から逃げるように、静かに家の中に帰ったのであった。



「あれ、これもしかして」

ジグリットの家でエイゼルと寝泊まりするようになって、半月がたった。

イリヤは口元を覆う埃よけの布を下げると、背後で家の整理をするエイゼルへと声をかけた。

「エイゼル、これ、俺見てもいいいやつ⁉︎」

「ええそれはもう、この家でイリヤが見てはいけないものはありませんよ」

「ジグリットって、アルバムなんか持ってたんだ。へえ……」

エイゼルの言葉に頷くと、イリヤは再び埃よけのマスクをして、赤い天鵞絨の表紙をそっと撫でた。

ふわんと舞った灰色の埃を避けるように床へあぐらをかくと、抱えるほど大きなアルバムを膝の上に乗せ、そっと開いた。

ルロワ王国立特殊機構研究所。

アルバムの表紙には、そう書かれていた。

甘い香りがして、イリヤの隣にエイゼルが腰掛ける。黒く染まった爪先をもつ、つぎはぎだらけの青白い手が一点を指す。

「両親です」

「は?」

「ですから、この研究ポット」

ニコニコと微笑みながらエイゼルが指差した研究ポットには、緑色の溶液が満たされているだけだった。

しかし、イリヤはすぐに両親の意味を理解した。

「お前の親が、この研究ポット……?」

「ええ、前にも言いましたよ。外側が母、内側を満たす溶液が父。エイゼルはこの中で育てられました」

「人造人間ってこと……?」

「ええ、最初はそうでした。あ、これこれ、この髪の毛がふさふさな人が若い頃のジグリットですよイリヤ」

「うそ、父ちゃんに似てるわ」

「父ちゃん」

若い頃のジグリットに笑うイリヤの隣で、エイゼルが首を傾げた。

「トーマの父ちゃんとやらは、どのようなかただったのですか」

「頭のいい人だったよ。けど、もういないよ。父ちゃんも母ちゃんも、肺を拗らせて死んだ」

「肺を……そういえば、ジグリットもずっと苦しそうでしたね」

「ここじゃほとんどが肺を患って死ぬんだ、ほら……空気悪いからさ」

トーマはケホッと席をすると、窓の外を指差した。

ジグリットの家から見える、一筋の灰色の煙。

トレジャーハンターや火事場泥棒ですら手をつけない、ジョンジャックの中でも特別ガラクタしか集まらないその場所から、煙が上がっていた。

錆びついた屋根やトタンの壁、適当に積み上げた角砂糖のような家々の隙間から、もくもく。あの煙だけで、ガラクタ墓場がどこにあるかわかる。

「あの煙が上がってる場所、いつか埋め立てて、街の居住区を増やすんだってよ」

「人間は、肺の病気で死ぬのですか」

「ジョンジャックだけじゃないかな。他の病気で死ぬとかもあるかもしれないけど、ここはさ、そういう場所だから」

イリヤのまっすぐな琥珀の瞳を、エイゼルは困った様子で受け止めていた。

「そういう場所ですか」

エイゼルの銀鼠色の髪の向こう側で、美しい緑の瞳が悲しそうに色を変える。

「あのさ」

「はい、なんでしょう?」

「自分の死を悲しむよりも、人の死を気にするのな、お前って」

イリヤは、少しだけ驚いていた。何せ、エイゼルほどゾンビらしくないゾンビはいないと思ったからだ。とは言っても、本物のゾンビを見たことがないのでなんともいえないが。

「ジグリットが」

「ん?」

「ジグリットが、僕をそうなるように育ててくれたからかもしれませんね」

エイゼルの口元がほのかに緩む。

イリヤは、あの破天荒な祖父を特別に思う存在がもう一人いることを、少しだけこそばゆく思った。


エイゼルは、イリヤの知らない昔のジグリットのことを話してくれた。

青白く、爪先は黒く、土から飛び出してきた手なら間違いなく悲鳴をあげてしまう。それでいて働き者の手のひらで、愛おしげに写真を撫でながら。

「ジグリットはですね、とても頭が良い男でした。あなたのお父さん、ええと、息子さん。ええ、彼が大好きで、奥様のこともとても愛しておられました」

「ばあちゃん、ジグリットよりも先に死んじゃったんだよな」

「ええ、ですからね、彼はとても悲しんだと思うのです。それこそ、ずっと僕に語りかけるくらいには」

エイゼルは教えてくれた。

イリヤの知らないジグリットのことを。

若い頃のジグリットは、奥さんを肺炎で亡くしてからずっと、男手一つで息子を育ててきたらしい。

研究所の、緑色の液体で満たされたポットの中。エイゼルはまだ人の形にもなっていない粒の状態で、ずっとジグリットの話を聞いていたという。

最初は、言葉を音として認識するところからだった。

人の形に正しく成長し始めると、次はぼんやりとしか見えない目でジグリットを見つめていたという。人がどんな時にどんな動きをするのかに、興味が湧いたからだ。

「ジグリットはですね、怒る時も、嬉しい時も、地団駄を踏むのですよ。おかげでエイゼルはいいことだと思って、大抵の事柄に対して地団駄を踏んでおりました。人間のコミュニケーションツールの一つだと思っていたのです」

「ジグリットはなあ、じいちゃんのくせに子供っぽいところあったから」

「好奇心の成れの果てが今、イリヤの目の前に」

エイゼルはそう言って、自らの心臓のあたりに手を添えた。

その仕草は、ジグリットの奥さんがよくやっていた仕草だった。

「エイゼルはさ、すごく懐かしい感じがするんだ。ジグリットにも似てるんだけど、なんか、最初から知ってるみたいな」

そんな感覚。

イリヤの心は、いつしか自然とエイゼルのことを受け入れていた。けれど、やはり引っかかるところはまだある。


あの夜、二クスと話したこと。

エイゼルに聞きたい、大切なこと。


「なあ、俺はあんまり頭が良くないから、どう聞いたらいいかわからないんだけど」

「ええ?」

「ジグリットが研究所辞めた原因って、お前?」

二人肩を並べて、アルバムを挟んで見つめ合う。イリヤはいつになく真剣な眼差しだった。そして、エイゼルはかすかに目を見張った。けれどそれはすぐにいつもの穏やかな光を宿し、視線をイリヤからアルバムへ向ける。

つぎはぎだらけの指先が丁寧に次のページをめくると、十五歳程度まで成長したエイゼルの姿が写真に映っていた。

「このおひげのおじさま、ご存知でいらっしゃいますか」

「え、誰?」

イリヤは、エイゼルの指が示す、随分と派手な身なりの男を見た。

「こちらはルロワ国国王の使いである、デルタール様でいらっしゃいます」

「デルタールって誰だ?」

「その方はつまり、国王様の代弁者、この研究機関直轄の上司様ですね」

「ふうん」

イリヤは少しだけ不満そうに答えた。エイゼルが話を逸らしたと思ったのだ。

しかしエイゼルは懐かしげに写真を指先でなぞった後、言葉を続けた。

「この研究機関では、最も人間らしいアンドロイドを作る事を目指しておりました。それは、人間のように滑らかに表情を変え、饒舌に話し、機械だと感じさせない、身近な友人としての存在となるように」

続けられた言葉に、イリヤはハッとした。

それって、どちらかというと……?

ふわりと浮かび上がった考えを肯定するように、エイゼルはイリヤへと微笑んだ。

「ジグリットはですね、それなら最初からアンドロイドじゃなくて、人間を作ればいいと言ったんです」

「ああ、やっぱり」

ジグリットは効率主義だ。頭の回転も速いから、たまに人を置いてけぼりにした。

破天荒なジグリットに振り回された研究所の人々の様子は知らないはずなのに、なんとなく目に浮かぶ。

エイゼルは続けた。

人同様のアンドロイドも、人造人間も、同時期に作り始めたのだと。そのためには、まず人間の体の研究が必要だった。だから素体を用意し、研究のために役立てた。どの筋肉がどこにつながっているのか、脳の情報伝達を再現するために、どんな電気信号が最適なのか。アンドロイドが人間社会の発展のための産物なら、人造人間は病理研究や臓器移植を目的に作られていた。

この街では皆、肺を患って死ぬから。

エイゼルは、そのための試作第一号だったのだ。

「けれど、神の教えに背くことはするべきではないと」

「……それ、誰が言ったの」

「デルタール卿、先ほどの人ですよ。彼はそれこそ、ジグリットの研究を脅威だと思ったのでしょう」

「なんで、だって結局は人助けだろ?」

「ええ、でも視野が広い人は、見えていないものまで見えると言うものです」

「それで、どうなったの」

「それで、今ですよ」

エイゼルは笑った。ジグリットとここに来た理由が、廃棄だと。

その時、二クスの羽ばたく音がして、思わず二人は窓へと振り返る。そこには窓辺で羽根を休める二クスがいて、揃って見つめたことに少々驚いたらしい。思わず、カアと鳴いた。



あのあと、エイゼルは昼の買い物に出かけますと言って家を出て行った。

イリヤは、黙ってエイゼルを見送ると、二クスのために水浴び用の水を汲んでやった。

家の庭先に──── とは言ってもただの黄土色の大地なのだが──── 置いた椅子に腰掛けて、足元でバシャバシャと水浴びをする二クスの小さな頭を、指先でくすぐる。

「なあ、二クスは一体いつからジグリットと知り合いだったんだ」

「それこそ二年前だよ。ジグリットが首輪をくれたんだ。部品が余ったからってサ」

「一体どんな部品組み合わせればしゃべるカラスになるんだろうな」

「しんないよ。けど、青くてキラキラしてたなあ。なんかの宝石じゃないかなあ」

二クスはブルブルと羽を震わせると、器用に飛び跳ねて、桶の淵へと上手に留まる。

「エイゼルも同じのが使われてるってよ。だって、あいつのパーツのアマリだって言ってたもの」

「え、じゃああいつ、二年前からいたの?」

「いいや? もっと前のはずだよ。だってあいつ、お前が来る時は隠れてたし」

「じゃあ、なんで……やっぱジグリットが死んだから?」

「わかんないよそんなの。なあ、それよりお腹が空いたよ。なんかちょうだい」

「ええ? 冷蔵庫になんかあるかな……」

飛び立った二クスがイリヤの肩に止まる。

再び家の中に戻ると、イリヤはキッチンへと向かった。

イリヤ一人なら戸棚を開けて、菓子でも適当につまむけれど、二クスは基本肉食を好む。エイゼルが普段寝ている冷蔵庫なら、何かしら二クスが食べれそうなものがあるだろうと思ったのだ。

本当は白いのだろう。年季が入り、黄味がかった冷蔵庫の扉を開く。二段に分かれた棚の右上にはパンとジャムが入っていた。

「ぱん! ぱん食べよう!」

「わかった、わかったから耳元で騒ぐな」

不精をして、ジャムの瓶とパンを片手で取った。そのまま扉を閉めてテーブルについて、ふと気がついた。

「……なあ」

「なあに」

「エイゼルって、いっつも冷蔵庫で寝てたよな」

「それがどうしたのサ」

かぽんと音を立てて、真っ赤ないちごジャムの蓋を取る。

「でも、あの冷蔵庫……あいつ、入れる隙間あったか?」

匙で掬ったジャムが、ドロリと落ちる。素朴な色をしたパン生地へとぼたぼたと落ちると、二クスが跳ねるように机の上へと降り立った。

「知らない」

「……本当に?」

「パンおいしー!」

上手に鉤爪でパンを抑えて、嘴でちぎる。

ご機嫌にパンを食べている二クスをしばらく見つめていたが、イリヤは再び背後の冷蔵庫へと目を向ける。

よくよく考えれば、冷蔵庫の横幅もそこまで広くはない。イリヤの上半身くらいならすっぽり入りそうだが、大きなエイゼルが体をたたんで眠るには、窮屈すぎるだろう。

「……」

イリヤは徐に立ち上がった。そして出したパンとジャムをしまうフリをして、冷蔵庫を再び開けた。

ただの、真っ白な箱の中。

透明な棚が動くのだろうか?

イリヤは棚に仕掛けがないか確認するように頭を突っ込めば、冷蔵庫の天井に小さな窪みを見つけた。

指先で、確かめるように周りを触れる。意を決して窪みの中に指を入れると、かちりとなるまで押し込んだ。

その時だった。

「え」

冷蔵庫の棚が静かに持ち上がり、しまったばかりのジャムとパンが目の前から消えた。

壁だと思っていた場所がかすかにずれる。

恐る恐るそっと手で押した瞬間、まるで外開きの扉のようにパタンと開いた。

「あ、二クス」

「入るの」

「え、え?」

思わず、驚いて二クスの名前を呼べば、帰ってきたのはいつもの呑気な声ではなかった。

「だ、だって、何、これ。何これ、え?」

「イリヤは、向こう側に行く勇気があるの」

鳥類独特の、澄んだ丸い目玉が二つ。イリヤのことを見つめていた。

二クスは翼を震わせると、くるりと首を窓の外に向けた。

「もうすぐ、エイゼルが帰って来るんじゃないかな」

「あ、え、と」

「イリヤは、どうしたいの」


イリヤ、お前のしたいようにすればいい。


思い出したのは、死んだジグリットの言葉だった。

ごくりと唾液を飲み込んで、再び冷蔵庫の壁の隙間から見える暗闇へと目を向ける。

イリヤの手に力が入って、壁を押した。そして、キイ、と音を立てて扉を開くと、地下へと続く階段を見つけた。

「二クス」

「行くのはいいけど、鳥目だよ」

「わかってる」

イリヤは、恐る恐る冷蔵庫の中に入り込んだ。そして、地下へと続く内側へと入り込むと、あたりを見渡した。

少しだけすえた匂いがする。

中は随分と肌寒かった。

冷蔵庫の扉を閉め、イリヤは腕時計をいじりライトをつけると、元の位置に壁を戻した。

あたり一帯を照らす。

階段は、最初こそゴツゴツとしていたが、進むにつれて、徐々にツルツルした壁と階段に変わってきた。

靴音が響くようになる頃には、足元は備え付けのライトによって照らされていた。

そうして辿りついた場所には、扉があった。

長く続く廊下のはて、ここがエイゼルの寝床なのだろうか。

イリヤはドキドキしながらドアノブを回した。

誰かが入ることなんて、想定していないのかもしれない。鍵はかかっておらず、扉は容易く開いた。

薄く開いた扉から、青く光る細い筋がつま先を照らした。

二クスは居心地が悪そうにかすかに身じろぐと、そっとイリヤの耳元に羽毛を押し付ける。

意を決して、扉を開いた。

中はいくつかの棚が青い光によって照らされており、そこには綺麗に陳列された瓶が並んでいた。

「なんだろう、ここ」

部屋は本棚と、先ほどの瓶の並ぶ棚、そして無機質な灰色のテーブルのみだった。

ベットはどこにも見当たらない。

こんなところで休んでいるのか、そもそもが寝ていないのか。

イリヤは少しエイゼルが心配になった。けれど、同時に好奇心も確かにあった。

イリヤは、そっと青く光る棚に近づいた。

陳列された瓶はほとんどが未記入のラベルが貼られた空のものばかり。けれど、中身のあるものには名前のようなものとともに、薄桃色のブヨブヨした何かが、液体の中に浮かんでいた。

「なんだろうこれ、標本、かな。……二XXX……マーロット?」

消えかけており、ほとんどのラベルの文字は読めなかった。唯一読めたその文字は聞き覚えのあるものだった。

「マーロット……っ、て」

その名を持つ人物は、一人だけ知っている。

イリヤは触れた指先から、酷い嫌悪感が襲いくるようだった。

震える指で、それを棚に戻す。

ふらふらとよろめいた体は背後の書架にぶつかり、ずるずると床に座り込んだ。

「マー、ロットって、……じ、ジグリットの、奥さん、じゃないか……」

イリヤの動揺が、瞬く間に体に伝達されていく。

二クスが床に降り立ったその時、落ちてきた一冊の本が二クスの羽にあたって開いた。

「痛いっ!」

「っ、ごめん二クス、平気か?」

「いてて、折れてはないけど……こいつが降ってきたんだ!」

黒い嘴が、開かれた本を突く。

イリヤはその本をしまおうとして手をとめた。

見覚えしかない文字の羅列は、日誌のようだった。


おそらく、ジグリットの……?


見てはいけないものかもしれない。

知ってはいけないことが、あるかもしれない。


イリヤの脳内は警鐘を鳴らしているというのに、それでも文字を追う目は止めることができなかった。

オーロライト。

そこには、イリヤでも知っている人と同じ生体電流を放つ石の名前。

この国で発見された希少な鉱石のことから、初めての人造人間として生まれたエイゼルの……廃棄までの全ての流れが記されていた。

エイゼルがゾンビとして、新たに目覚めたきっかけも。

「ぐ、うぇ……っ」

「うわ、イリヤ⁉︎」

耐えきれずに嘔吐した。

それほどまでに、イリヤにとっては衝撃的な内容であった。

肩で呼吸をくり返す。

心配げにイリヤを見上げていた二クスが、足音に気がついた。小さな体を扉へと向けたほぼ同時に、エイゼルが部屋に飛び込んできた。

「っ、イリヤ! ああ、どうしてここに!」

つぎはぎだらけのエイゼルの手が、床にうずくまるイリヤへと伸ばされる。しかしその手は触れる前に、イリヤの手によって弾かれた。

「触るな……‼︎」

「イリヤ! ああ、待ってください!」

触るなだなんてよくいえたものだ。イリヤにはそんな権利などないと、薄々勘付いているはずなのに。けれど、今はただ、心の防衛のために、エイゼルから離れたかった。

長い廊下をかける。しかし、エイゼルがイリヤを追ってくることはなかった。


イリヤは、無意識にジグリットの墓へと向かっていた。それこそゾンビではないから、死人に口無しとわかっているはずなのに。それでも、ジグリットにはたくさん、言いたいことができてしまった。

最初から、それこそジグリットが生きていた頃から、もっとたくさん会話をすればよかった。


いつだって人間の後悔は、先に立つことはない。


イリヤは下手くそな呼吸をしながら墓まできた。

ただ、廃材で十字架を作っただけの墓。

そこには、エイゼルが備えたであろう花が風に揺られていた。

「俺が、わがままだったのがダメだったのかよ」

まだ幼いイリヤを引き取り、立派に育ててくれたジグリット。

二人の間には、埋められぬ寂しさも確かにあった。

ジグリットの墓の前で、ずるずると座り込む。

そのまま、自分を抱きしめるように蹲った。

「家族が、欲しいって言ったから。だから、エイゼルを、家族にしたのかよ」

国によって命ぜられ、廃棄となったエイゼル。

ジグリットの日記によると、その体はバラバラにされ、ガラクタ置き場に捨てられた。

見つけるのが遅くなって、ジグリットがエイゼルを救出した時にはすでに虫の息。使えない体のパーツは移植で補い、臓器の一部は機械で誤魔化した。

その体のパーツこそが、イリヤの家族のものだった。

足りない臓器は、おそらく若くして死んだ祖母のものだろう。

あの青い研究室で、小瓶に詰められて保管されていたもの。

エイゼルの体を構成する肉の記憶が、イリヤに懐かしさを覚えさせた。

「なんで、なんでそんなことができるんだ。ガキの戯言だろ、ジグリット……‼︎」

イリヤは自分自身が許せなかった。

エイゼルの境遇を知って、哀れみ、ジグリットの残した遺産だからとちょうどいい理由があったから、そばに置いていた。それだけじゃない。生きていることへの優越を、無自覚に味わっていたのかもしれない。

廃棄され、死んだ体をいじられて、再び命を与えられたエイゼル。

イリヤが寂しがったから、都合のいい体があったから。

ジグリットがエイゼルを生み出したのも、そんな都合のいい理由があったからかもしれない。

誰かの承認欲求を、満たすためだけに。

エイゼルは生まれて、死んで、ゾンビになった。

「はは、……人間の方が、よっぽど、怖いな」

イリヤの言葉はか細く、簡単に風にさらわれた。

葉擦れの音はざあざあとうるさく、エイゼルが備えた白い花は、真っ赤な夕日を浴びて淡く染まっていた。



一体、どれくらい時間が経っただろうか。

イリヤはあてどなく歩いていた。

本当は『突き放してごめん』、そうエイゼルに謝りたかった。けれど一体どこから謝ればいいのかがわからなくて、結局遠回りをして帰る事にしたのだ。

ただ謝るだけでも、人間はいくつもの言い訳を考える。一つぐらい、素直な言葉を吐けるようになればいいのだろうが、それには随分な覚悟が必要だった。

ガラクタ墓場に差し掛かった時だ。イリヤは、そのゴミ山のてっぺんに人影を見た。

最初は、大きな満月の灯りを頼りに、お宝探しに興じる大人かと思った。けれど、どうにも様子がおかしい。その人影はぎこちなく動いている。よくよく見れば片腕を欠損しており、イリヤは隻腕が違和感の証拠なのだと思った。

「あ?」

違う。

今度こそ、イリヤははっイリヤとそう思った。

ぎこちなく、体を左右に揺らしながら、ゴミ山から降りてくる。その正体は、旧式の軍用アンドロイドであった。

「なんで、こんなところに」

嫌な予感に、イリヤは後退りした。

幸い、こちらにはまだ気がついていない。

軍用アンドロイドは、戦いに特化した機体だ。当然、廃棄する際には必要な手順を踏まなければならない。おそらく、不法所持していた物を手放したのだろう。最近やたらとゴミを漁る奴らが多かったのは、このアンドロイド目当てだったのかもしれない。

軍用アンドロイドの体は丈夫であり、自ら思考して行動することのできる特殊なものだ。特にそれが旧式のものであれば、希少価値は一気に跳ね上がる。体の核や骨組みの繋ぎ目に至るまで、貴重な金属が使われているからだ。

「くそ、ついてない」

イリヤは急いでその場から離れようとした。しかし、靴の先に当たった小さな石がトタンの壁にあたり、ごつんと嫌な音がした。

「あ」

アンドロイドは、真っ直ぐにこちらを見つめていた。片方だけ残った眼球がわりのカメラでイリヤを認識すると、ちぎれたコードをいくつも腕の先からぶら下げたアンドロイドは、ゴミ山を勢いよく駆け降りてきた。

「わ、わ、わ、っ」

イリヤもまた、弾かれるように駆け出した。靴底で砂利を弾き、肺に溜めた空気を吐き切るように。

しかし、人間の足よりも、アンドロイドの足のほうが素早かった。

「あっ」

着ていたパーカーのフードを鷲掴まれ、引きずり倒される。

千切れたアンドロイドの腕の先から、何本も溢れたコードの先が火花を散らし暴れていた。電流が流れるそのコードに触れて仕舞えば、火傷じゃ済まされないだろう。

イリヤは着ていたパーカーを脱ごうともがいたが、恐ろしく力の強い手に首を押さえつけられた。

アンドロイドの腕のモーター音が聞こえた。

その度に、首を締め付ける拘束はどんどん力強くなっていく。

イリヤの足は何度も地べたの土塊を削るように暴れ、必死でもがいた。


もうダメかもしれない。

今度こそ、本当にエイゼルを一人にしてしまう。

やっぱりもっと早く、ごめんって謝れたらよかったなあ。


イリヤの目尻から涙がこぼれ、回らない酸素が思考を遠くに飛ばそうとしたその時だった。

「ゲホ、っ」

ガションと間抜けな音がして、イリヤの体の上にアンドロイドが頽れた。

見れば頭部は消え去っており、ひらけた視界には、満月を背負い、緑の目を爛々と輝かせるエイゼルがいた。

「な、なんで」

「なんでもないですよ、ただ、頭を蹴り飛ばしただけ」

穏やかな声で、それでいて少しだけ気恥ずかしそうにエイゼルは言った。

差し伸べられた手を取るように体をひかれ、起き上がる。

背後を見れば、エイゼルによって始末されたアンドロイドの首が、花壇に転がっていた。

「あ、ありがとう」

「いえ……」

イリヤの手からエイゼルの冷たい手が離れ、纏う外套の二の腕あたりに落ち着いた。

助けられた直後に絡み合った視線も外され、エイゼルは少しだけ気まずそうに、イリヤが暴れた地べたの跡を見つめていた。

このままでは、エイゼルとの心の距離が離れてしまう気がして、イリヤは少しだけてしまった。

先ほど掴まれた手の感触を追うように、暖かな手が外套を握るエイゼルの手に触れる。

「え?」

「あ、ご、ごめん、やけど、とかするのか⁉︎」

戸惑いの声を受け、イリヤは慌てて両手をあげて敵意のないことを示す。

エイゼルはというと、緑色の瞳でしばらくイリヤの奇行を見つめていたが、やがてぎこちなく首を振った。そうして、節ばってはいるが、懐かしい暖かさをやどす冷たい手で外套のフードを摘むと、くっと喉を詰まらせ俯いた。

「お、エイゼル、や、やっぱどこか痛いのか⁉︎」

「ち、違います。な、涙って、どうやるんでしたっけ、それとも、エイゼルは泣けなくなったのでしょうか……っ」

「え、な、泣きたいの? な、なんで?」

「だ、だって」

しゃがみこんだエイゼルのか細い声が、指の隙間から漏れ出てくる。イリヤは地べたに胃膝をつくと、そっとフード越しに頭を撫でた。

「あ……」

「泣きたくなくても、俺は頭を撫でられたら泣くんだけど……ど、どうかな」

「イリヤは、頭に涙腺を刺激するセンサーを搭載しているのですか」

「いやそういうんじゃないけど……ほら、頭撫でられるとさ、なんか、胸がキュウって痛くなって泣くんだよ」

「エイゼルも頭を撫でたら、イリヤは泣きますか」

「い、今は条件が整ってないから泣かないけど……」

「そう、ですか」

それから、イリヤは大きな満月が見下ろす中、しばらく頭を撫で続けていた。

やがて白い手がイリヤの手を掴むと、ゆるゆるとエイゼルが顔を上げた。

「泣けませんでしたけど、でもなんか苦しいのは落ち着いてきました」

「え、具合悪かったのか⁉︎」

「イリヤ……エイゼルはあなたのそういうところが好ましいと思いますよ」

まさかゾンビの体調を心配する人間がいるとは。

エイゼルはそう言いたげに笑った。

イリヤの手がエイゼルの手首の繋ぎ目である縫い糸に触れると、暖かな手が白い手を包みこんだ。

「や、火傷とか」

「しませんよ。ただそうですね、あなたの手に触れると、やっぱり苦しいのは治りません。ああ、多分これは記憶なのかもしれませんね」

エイゼルの体を構成する、イリヤの家族の記憶。それに呼応して、エイゼルは苦しくなるのかもしれない。

「イリヤと話すと、とても嬉しいです。エイゼルはイリヤと出かけることが何よりも好きですし、こうして触れてもらえると、泣きそうになるくらいには、やはりあなたが大切なのです」

「それは、体の記憶?」

「わかりません。けれど、体の記憶だけではないと思います。あのアンドロイドを蹴り飛ばした足は元々のエイゼルのものでしたしね」

「え、お前の体って、意思が聞かないことあるの?」

「ありませんよ。エイゼルの思うままに動きます」

「じゃあ、やっぱりお前が俺を思う気持ちは、お前の心の中身だろ」


『本心だよ』


そう言って、イリヤはエイゼルの心臓のあたりをついた。

外套に隠された、エイゼルの体。

きっと縫い目だらけで、見るのは勇気が入りそうだ。けれど、その内側は暖かいと思った。

「謝ろうと思ったんだ。俺、こんなの……お前にとったらただ楽になりたいだけのずるいやつ、って思うかもしれないけど」

「あ、謝る、って、何をですか。むしろ謝るのはエイゼルの」

「いいから聞けよ、貴重かもしれないぜ」

「で、ではせっかくなので拝聴いたします」

エイゼルがそう口にして、地べたに正座する。

イリヤはそんな律儀さを笑う。

「子供の頃にさ、死んだって言ったろ、両親が」

「ええ」

「だからさ、俺寂しくて。ジグリットだって奥さんが危なくて気が気じゃなかっただろうに、家族が欲しいよって言ったんだ」

「そう、ですか」

「ずっと、言い続けた。俺の手を引いてくれる親も、怒ってくれる家族もいない。俺はまだ甘え足りない時に自立を強いられて、周りの持っているものが欲しかった。だから、ジグリットはお前を用意したんだと思う。違うか」

イリヤの言葉を、エイゼルは静かに聞いていた。そして緑色の澄んだ瞳にイリヤを映すと、困ったように笑った。

「エイゼルは、廃棄されました。けど、それをジグリットが助けてくれたんです。バラバラになった体を縫い合わされながら、ジグリットは言ったんです。家族にならんかって」

「なんかプロポーズみたいだな」

「ちょうどエイゼルの手首を縫ってる時でした。この手は孫の父親のだって。お前の手を求めとる子がおるんじゃよって、そう言ったんです」

その言葉は、廃棄されたエイゼルにとっての福音だった。たとえ、エイゼルの本当の体が半分無くなったとしても、それは誰かから必要とされるための代償だと思えば、どうってことない。

「最初から自分のものなんて持っていなかった。この体ですらエイゼルのものではなかったのです。最初から、エイゼルは一人で生きるのが下手くそなやつなのです」

エイゼルは、そう言って笑う。

初めて自由を得てから、誰かのための存在になることに憧れた。

エイゼルにとってのジグリットのように、遺産になることで、その憧れをイリヤで得ようとしたのだ。

いつか死ぬジグリットが託した思いは単純な厄介ごとの押し付けじゃない。

イリヤを一人にさせたくなかったジグリットと、一人で生きることを怖がるエイゼルの願いだった。

「ジグリットの死に際、どんなだった」

「最後までそばにおりましたよ、頑張れと言われました」

いつもの気だるそうな声で、それでいてどこか満たされていた。

しわがれたジグリットの手が冷たくなるまで、エイゼルはずっと握りしめていた。同じ温度になった時、エイゼルは初めて、大切な人の死を自覚した。

ジグリットは最後まで、自分勝手で優しい、エイゼルにとっての初めての親だった。

「そっか。一言で全部言ったつもりになる、困った爺さんだから仕方ないな」

イリヤは少しだけ泣いた。

ジグリットが死んだ姿を見た時は泣けなかったのに。

エイゼルの口にしたジグリットが最後、一人じゃなかったことに安心して。

その涙をエイゼルの指先が受け止めて、優しく拭う。

「一人で死にたくないから、そばにいて」

「お任せください。死なないことは、ゾンビの専売特許ですから」

エイゼルはそう言って嬉しそうに笑うと、イリヤの頭を優しく撫でたのであった。







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