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8,心配してる。けど、脅してもいる。

 ルクレールに宛がわれた部屋は、一見、優美なのだけど、窓がない。扉には鍵が掛けられていることだし、閉塞感と言うか、圧迫感がある。

 どうにかしてルクレールの部屋を換えて貰えないだろうか。

 マルキードは未だに犯人のイニシャルは『A・L』だと信じている。

 ――フォークスが説明して、それは違うと言ってあげればいいのに。懐中時計は犯人の遺留品ではありません、って。

 そうすれば、ルクレールの容疑は晴れるのに。いや、彼だけではない。彼のように招待状を受け取ってしまった者たちもだ。

 だが、フォークスは言う。


「そんなに単純にはいかないものだよ。今、あの懐中時計がアルの物だと言ったら、アル一人に容疑がかかるだけさ。いくら遺留品じゃないと言ったところでそれを信じてくれるかどうか。――なんだって? 警察に事情を話すって? さあ、どうだろうね。あの懐中時計が犯人の遺留品でなくなったら、犯人の手がかりは何もなくなってしまう。そうなっては困るから、警察もあれを遺留品だって言い張るに決まっている。間違っていると分かっていても、事件を解決するために無理矢理真実にしてしまうのが、警察って奴らなのさ」


 警察は真実を突き止めようとする者たちではない。自分たちの真実に現実をいかに近付けようとする者たちの集まりなのだ。

 そうはっきりと言ったフォークスに、僕は返す言葉を知らなかった。

 反論した気持ちはあったのだ。だが、言葉がない。

 読書に戻ったルクレールの向かいでソファに寝転ぶフォークスを見つめて、僕は小さくため息をついた。

 その時、コンコンという軽い音が響いた。考え事をしていたため、一瞬それがどこから発せられた音なのか分からなかった。


「誰だ?」


 ルクレールがドアに向かって声をかける。それでようやく誰か来たのだと分かった。


「アル、僕だ」


 扉の向こうから返ってきた言葉はごく短いものだったが、ルクレールにとっては、その人物が誰であるかを知るには十分だったらしい。彼は手にしていた本を閉じ、テーブルの上に置くとゆっくりと立ち上がり、扉を開けた。

 扉の向こう側にいた人物は、セルジュ・ボードレールだった。


「先客だった?」


 セルジュが遠慮気味にフォークスと僕を見る。ルクレールもばつが悪そうな表情をした。


「出直すよ」


 彼が背を向け立ち去ろうとした時、不意に僕の隣から声が発せられた。


「必要ない」


 驚き振り返ると、フォークスが体を起こし、じっとこちらを見つめていた。その顔はすっきりとしていて、とても寝起きには見えない。

 フォークスはソファから床に足を降ろすと、僕の腕を引っ張った。


「僕たちの用は済んだ。もう部屋に帰るところだ」


 半ば引っ張り上げられるように僕を立ち上がらせると、そのまま引きずるようにしてルクレールの前を素通りする。


「リシャール」


「ジョン、自分で歩け。重い」


 フォークスは、ルクレールの引き止める声を無視してドアの外に出、セルジュを部屋の中に押し入れた。

 バタン、と扉を閉める。そうして僕の腕を解放すると、先に立ってズンズン歩き出した。僕は慌てて後を追う。


「どのくらい寝ていた?」


 振り返りもしないフォークスは、当然後を追ってくるだろう僕に向かって問いかけた。


「二時間くらいかな」


「ふーん、そんなもんか。もっとよく寝た気がしたんだけど」


「よく寝てたよ。気持ち良さそうに」


「夢を見ていたんだ」


 フォークスの歩みがゆっくりとなった。僕が横に並ぶと、彼は僕に向かって苦笑する。


「幼い頃の夢さ。アルと初めてあった時の夢。僕が五歳、アルは七歳だった。アルが初めて盗みをやったのは六歳の時だ。それから十二年、彼は未だかつて失敗のない大泥棒『怪盗R』だなんて言われているけど、彼は以前に一度だけしくじったことがある。僕の家に泥棒に入った時にね」


 えっ? と、驚いた瞳を向けると、フォークスはすっと目を逸らした。


「僕がパリに住む祖母の家に預けられたのは五歳の時。その晩、さっそく泥棒が入ったんだ。その泥棒っていうのがアルだよ。彼は、僕がイギリスから持って来た物が目当てだった。盗む物盗んで彼は窓から出って行ったよ。来た時と同じようにね。それはもう見惚れるほど鮮やかなお手並みだったんだ。七歳とはとても思えないほどのね」


 僕はフォークスの横顔を見やった。彼は淡く微笑み、俯く。


「翌日、僕は街を歩き回った。彼を捜すために。なんと言っても、盗まれた物を返して欲しかったのさ。一目で彼だと分かったよ。だけど、彼は初め素知らぬ振りをした。彼の友人もグルでね。なかなか白状しなかったんだ。それで僕は切り札を出したのさ」


「切り札?」


「彼の懐中時計さ」


「懐中時計?」


「彼が僕の物を盗んでいるうちに、僕も彼の物を盗んでやったのさ」


 そう言って、フォークスはさもおかしそうに笑い出した。


「あの時のアルの顔ったら、今思い出しても傑作だ。泥棒が入った家で物を盗まれるなんて間抜けすぎる。それで彼は白状したってわけさ。別に盗まれた懐中時計が惜しかったわけじゃないよ。彼はそれが自分のではないと言い張ることもできたわけだし。それでも白状したのは、泥棒から物を盗んだ僕に対して敬意を示したかったのさ。彼なりにね」


「その懐中時計が今回の懐中時計ってわけかい?」


「違う。僕がアルから盗んだ懐中時計はそのまま僕が貰って、今でも僕が持っている。今回問題となっている懐中時計は、僕がアルのために新しく買ってやった物だ」


 二人にとって懐中時計は特別な物だったに違いない。それを、どんな事情だろうが、他人の手に渡してしまったルクレールをフォークスは許せないのだ。

 ルクレールの巧妙な言葉で一時はその怒りを忘れてしまっていた彼だったのだが、夢を見たことで思い出し、再び怒りが湧き上がってきたらしい。

 だが、普段のように僕に当たり散らすような様子もなく、それっきり口を閉ざしてしまった。







 ▽▲





 再び彼がその饒舌ぶりを披露したのは、夕食を済ませた直後だった。

 食事をしながら、口をほぐしていたのだろうかと思ってしまう。


「さあ、ジョン、行こう」


 そう言って、すくっと立ち上がった彼はいつも唐突だ。


「行くって、どこに?」


「それは決まってない」


「……」


「けど、この部屋にいても全く意味がない。そうは思わないかい?」


 フォークスにとって僕は、自分の意見に反対するはずのない人間だった。

 『そうは思わないかい?』と言った後には、声としては省略されてしまうが、必ず『そう思うだろ?』と続く。

 困ったことに、事実、僕は『そんなこと思わないよ!』と、彼の意見を否定したことがなかった。


「そうだろうけど……」


「よし、行こう」


 フォークスは僕がまごついている内にさっさと部屋から出ていってしまう。


「待ってよ、フォークス」


 慌てて彼を追いかけ、横に並ぶ。


「どこに行く気だい?」


「決まってないって言っただろ。ただ屋敷をぶらつくだけさ。屋敷の構造を知っておく必要があるしね」


 もっともそうなことを言っているが、彼の場合、単に一つの場所にじっとしているのが嫌なのだろう。


「とりあえず行ったことがない部屋を回ってみよう」



 ボードレール家の屋敷には、家の者が暮らす建物の他に、その東西に小さい二つの棟がある。

 小さいと言っても中央にある建物に比べてのことだが、とにかくその二つの棟はすべて客室になっている。東には歓迎する客を、西には歓迎しない客をそれらの部屋に押し込めるのだ。

 フォークスとジョンは東棟を歩き尽くし、中央の建物に行く渡り廊下に差し掛かった。


「東の客は成金野郎ばかりだったな」


 うんざりしたように呟いたフォークスに僕も力無く頷いた。

 東の客室を一つ一つのぞいて回ったのだが、どの部屋も今回のパーティー客に使用されていたのだ。

 そこでフォークスは行く先々で、


「ほほう。君が、夫人が雇った探偵かね。どうだね、怪盗は捕まえられそうかね?」


 などと言われ、いちいち引き止められたのだ。

 彼らはマルキードからの正式な招待を受けた客ではなく、ただのパーティー好きか、好奇心の塊か、よほどの暇人だった。

 それが、怪盗Rからの予告状のためにパーティーが中断され、かの有名な怪盗が現れるらしいと聞いて帰宅できず、ボードレール家に留まっている。

 怪盗Rが現れるのは明晩。それまでいくらか時間があるため、彼らは恐ろしいほどに時間を持て余していた。

 そんなところに、ボードレール夫人が怪盗R対策に雇ったと噂の探偵がひょっこり現れたのだ。これはぜひ、いかにして怪盗Rに立ち向かうのか聞いてみたい! そう彼らが思うのも当然だ。

 だけど、その思いはフォークスにとって迷惑以外の何者でもなく、彼は笑顔を引きつらせながらも必死でここまで逃げてきたというわけだ。


「僕を暇つぶしの道具にしようだなんて、どこまでも恐ろしい奴らだ」


「まあまあ、フォークス」


「ジョン、君もよくないんだぞ。僕が奴らに対して無視を決め込んだというのに君ときたら、馬鹿丁寧に……」


 文句を言い出したら、言い尽くすまで止まらないフォークスに有効な対策は、とにかく早く謝ることだ。


「悪かったよ。だけど、いろんな話が聞けたじゃないか」


 野次馬というものは、総じて、おしゃべりなものだ。

 僕らは拘束される見返りとして、ジゼルの母親について情報を得ることができた。

 オンディーヌ。――マルキードがどこからか連れて来た娘だ。

 たいそう美しかったらしいが、当時マルキードにはリリアーヌという両親に決められた婚約者がいたため、二人の関係は親族うち揃って反対されたそうだ。

 どこの生まれかも分からない娘。きっと財産目当てに決まっている。口汚く罵られたオンディーヌは、マルキードの前から姿を消した。

 やがてマルキードは親の言い付け通りにリリアーヌと結婚したが、オンディーヌのことも諦めきれず、彼女を捜し続けた。

 そして、ついに彼女を見付ける。

 海の近くにある街。そこに小さな教会があって、その隅に身よりのない者たちの墓がある。マルキードはそこでオンディーヌの墓を見付けたのだ。

 オンディーヌはボードレール家を去る時すでにジゼルを身籠もっており、逃げた先の教会で、命がけの出産を果たした。

 生まれながら孤児になったジゼルは、教会の近くに建てられた孤児院に入れられていたが、そのことを知ったマルキードが彼女を迎えに行き、ボードレール家に引き取られたというわけだ。

 それより、と僕はフォークスの横顔を見やった。


「ずいぶんと遅くなってしまったけど、まだぶらつくのかい?」


 あっちこっちで引き止められたせいで、時刻はもうじき十一時になる。


「なんだいジョン。もう、お寝むなのかい?」


 確かに眠い。それもそのはずで、昨夜ほとんど眠れなかったのだから。


「うん、眠い」


 そう言って、僕はその場に立ち止まった。その気配に気付かないはずのないファークスなのに、彼は足を止めない。


「戻りたければ、お一人でどうぞ」


「ひどいよ。僕が方向音痴だって知っているだろ? 一人でなんて戻れっこないよ」


 僕の悲鳴に近い声を背中に受けて、彼はぴたりと立ち止まった。


「ああ、情けない」


 くるりと後ろを振り返る。


「分かったよ。ジョン、君のために部屋に戻ろう。まったく君は実に優秀な助手だよ」


 冷ややかに言い放たれたフォークスの言葉に僕は慌てた。


「や、やっぱり、まだ、大丈夫だよ。ほら、全然眠くない。元気元気」


「……」


「さあ、行こう!」


 フォークスがすんなり僕の言葉を受け入れてくれた時は、その後が怖いのだ。後々になって何を言われるか分かったものではない。

 僕はフォークスを追い抜かして先を突き進んだ。


「ジョン・コール君、無理はやめたまえ。僕は君の体が心配なんだ」


 すぐ後ろから聞こえてきた、いかにも優しげな声音に僕は冷や汗をかく。

 ――怖い、かなり怖い。

 その恐怖から逃げるように早足をしていた僕だったが、不意に後ろの気配が遠ざかっていくのを感じて立ち止まった。

 振り返ると、フォークスも数メートル後ろの方で立ち止まっていた。


「フォークス、どうかしたのかい?」


 彼はその廊下の壁をじっと見つめながら、僕に来るように手を招いた。僕はわずかに頭を傾け、フォークスの元に駆け戻る。


「いったい……」


「これを見ろ」


 フォークスが指差したのは壁にかけられた一枚の絵画だ。


「僕はこの絵を見つけるためにうろうろしていたのかもしれない」


 その絵は若い女性の肖像画で、僕が見る限り、これといって特別なものではない。


「誰かに似ているとは思わないかい?」


 ――誰かに、似ている?

 僕は絵の中の女性をじっと見つめた。金色の髪、白い肌。身につけている衣装は質素な感じのするドレス。

 ――ああ、そうか!

 僕は気が付いて、手のひらを打った。


「ジゼルだ。ジゼルに似ているんだ」


 彼女を十歳ほど成長させたら、彼女のようになりそうだ。


「そうか。この女性はジゼルの母親、オンディーヌの肖像画なんだ」


 言って、僕はフォークスに振り返った。すると、彼は唇に人差し指を押し当てて、何やら考え込んでいる。


「フォークス?」


「……そうか、なるほど」


 何やら一人で納得をしたフォークスに僕は首を傾げる。

 ――なるほど、って言うのなら、それをちゃんと説明してほしい。


「ジョン、明日、ちょっと出かけてもいいかい?」


「出かけるって?」


「調べたいことがあるんだ」


「僕も行くよ」


「君はだめだ。この屋敷にいてくれないと」


「なんでだい?」


「なんで、って。僕が逃げたと思われるからじゃないか。大事な右腕の助手を置いていけば、まさか逃げたとは思わないだろ?」


「なんだか人質みたいだなぁ」


 不服そうに言った僕にフォークスは、そうさ、と、くすくす笑う。


「君は人質だ」


 その笑いにどんな意味が込められているのか、僕には計り知れなかった。

 そんな彼から目を逸らした僕はもう一度絵の中のオンディーヌを見つめた。

 彼女を一言で言い表すとしたら、おそらく『美しい』という言葉が一番よく当てはまるだろう。『かわいい』とか『きれい』とかではなく、『美しい』なのである。

 それも、健全な美しさではなく、フォークスが時折見せるような妖しげな『美しい』だ。先のくすくす笑いもそれだ。

 考えが読めないというか、人を不安にするような、魅了するような、そんな『美しい』だ。

 フォークスはともかく、絵である彼女のどこにそんな力があるのだろうか。僕は彼女の瞳に見入る。


「あっ」


 紫だ。瞳の色が紫に描かれている。

 驚き、ますますその目に見入る僕の袖を不意にフォークスが引っ張った。


「行こう」


「あ、うん」


 目的を達成したらしいフォークスなのだが、まだぶらつくのをやめる様子はない。この分だと、中央の建物を回り、西棟の客室を全て回り尽くすまで部屋に帰れそうにない。僕は頭を左右に振り、眠気を吹き飛ばした。


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