6,隠したわけではなく、話さなかっただけ
嫌な予感ほどよく的中するもので、フォークスが向かった先は、予想通り、ルクレールの部屋だった。
ノックすることなく、けたたましい音を立てて扉を開いた。
「リシャール?」
さすがのルクレールもこれには驚いたのだろう。突然開かれた扉に目を大きくして、手にしていた本を床に落とした。
だが、さすが彼である。すぐにいつもの何でもないという顔を取り戻す。
「リシャール、鍵はどうしたんだい?閉まっていただろ?」
西棟の客室は全部屋外側から鍵が掛けられ、その鍵はシャルダンが持ち歩っている。
「丁重にお借りしてきた」
フォークスはそう答え、何の断りもなくソファに腰を掛けた。
――正しくは『丁重に』奪い取ってきたのだ。
血相を変えて乗り込んできた彼に、シャルダンは鍵を渡さざるを得なかったのだろう。
フォークスは背もたれに体を傾けたかと思うと、寝転び、一度ぐっと手足を伸ばしてから、ソファからはみ出ることがないように小さく丸くなった。
その様子はまるで巨大な猫がくつろいでいるみたいだ。
「そうか」
ルクレールは頷くと、図々しいの域を軽く越しているフォークスに呆気に取られ、立ちすくんでしまった僕を手招きした。
「やあ、ジャン。よく来てくれた」
なんて、涼しげに笑う彼に僕は思わず顔を引きつらせる。
「僕はただフォークスについて来ただけなんだ」
「ん?」
僕が物言いたげな顔をすると、彼は少し頭を傾けて僕に片耳を寄せた。
「フォークス、君に文句があるみたいなんだ。ものすごく怒っているよ。いったい何をしたんだい?」
そう耳打ちすると、彼は低く呻いた。
「ルクレール?」
「う~ん。まあ、大丈夫さ。なんたって俺は、リシャールとは長い付き合いだからな。あいつの文句、愚痴、罵声、嘲笑なんて慣れっこだ」
と、苦笑。
あんまり慣れたくないものばかりである。
ルクレールは不安げな顔をしている僕に、再び大丈夫さと片目を閉じて、ソファに寝転ぶフォークスに歩み寄った。
「リシャール、ソファは寝る所じゃないだろ。ほら、起きろ。ジャンが座れないじゃないか」
彼はそう言いながら、ポンポンとフォークスの頭を軽く叩いた。
――フォークスの頭を叩くなんて!
そんな恐ろしいことができるのは、おそらく彼くらいだろう。僕はもちろん、例えフォークスの両親だってできやしない。
しかも、彼はよりによってフォークスの機嫌が最上級に悪い時にやってのけたのだ。これは凄いとしか言いようがない。
ルクレールに言われたように体を起こしたフォークスは、やや上目遣いに彼を見つめた。
文句があるらしいのだが、いっこうにその文句を言う様子がない。
ふいっとルクレールから目を逸らす。俯いた黒い瞳は何か考え込んでいるようだ。ルクレールはフォークスと視線を合わせようと床に膝を着いた。
「リシャール?」
どうかしたのか? と彼が顔を覗き込んでやると、ようやくフォークスの口が開いた。
「アル」
フォークスは俯いたまま声を発した。
「今、何時だい?」
「え?」
突然の問いにルクレールは動揺する。いや、その動揺は、突然の問いだからだけではなかった。
「時計なら、そこの棚の上にあるだろ?」
「君はいつも上着のポケットに懐中時計を入れているだろう? ちょっと見せてくれないか?」
「時計なら、そこにあるじゃないか、リシャール」
後退ったルクレールの腕をフォークスが掴む。それは一瞬の出来事だった。
フォークスの手から逃れようとしたルクレールが身を翻すより早く、フォークスは彼の上着のポケットから懐中時計を抜き取ったのだ。
そうしてフォークスは、自分の片手にすっぽりと収まった懐中時計をじっと眺めて、ため息をついた。
「僕が君にあげた物じゃない」
「リシャール、これにはわけが……」
「この懐中時計も銀色で、よく似ているけれど、僕があげた物は裏側に『A・L』って、君のイニシャルが刻んであった。僕が刻んだんだ!」
フォークスは手にしていた懐中時計をきつく握り締め、その拳を振り上げた。そして、
「これじゃない!」
と言い放ち、投げ捨てた。
懐中時計は、壁に打ちつけられ、無惨にも床に転がる。
これほどのひどい仕打ちを受けて壊れていなかったら奇跡だろう。
――何も投げることないだろうに。
ルクレールはゆっくりとした動作でかがみ、時計を拾い上げた。やはり時が止まっている。
「ぜひ聞かせて貰いたいね。僕があげた時計はどこにあるんだい?」
「……」
フォークスの問いにルクレールは口を閉ざした。
――ま、まさか!
その様子を見て、僕は血の気が引く。
――まさか犯人の遺留品である懐中時計というのが、ルクレールの懐中時計なのでは? ということはジゼル殺しの犯人は、ルクレール? そんな馬鹿な!
おろおろと二人を交互に見比べていると、二人はほぼ同時にため息を付いた。
「とりあえず座って話さないか?」
「そうだな」
フォークスは先程寝転んでいたソファに腰を下ろし、ルクレールも向き合うように座った。
「ジョンもそんなところに突っ立っていないで、座ったらどうだい?」
「う、うん」
言われるままに僕がフォークスの隣に腰を下ろしたところで、ようやくルクレールが重々しく口を開いた。
「どこにあるかって? もう、分かっているんだろ? ジゼルを殺した犯人の遺留品と言われている物が、俺の懐中時計だ。リシャールから貰った、あの懐中時計だよ」
「なんで。まさかルクレール……」
ルクレールが犯人なのか、という言葉を飲み込んだ僕に向かって、ルクレールは首を横に振った。
「俺じゃない」
「じゃあ、なんで?」
――なぜ、常に上着に入っているはずの懐中時計が犯人の遺留品にされているのか?
僕は黙り込んでいるフォークスの代わりにルクレールを問い詰めた。
「ジゼルが殺される一週間くらい前、俺は彼女に呼ばれてこの屋敷に来たんだ。その時に奪われてしまった。彼女は初め、ほんのおふざけで、俺から懐中時計を取り上げたんだ。彼女は、俺がその懐中時計を大切にしていることを知っていたから、それを取り上げたら俺がどんなに困るか興味があったんだろう。そうして、俺が彼女の予想以上に困り果て、返してほしいと懇願するものだから、おもしろくなったのさ。もっと困らせたいと、ある条件を出してきた」
ルクレールはそこで一度言葉を切り、前髪を掻き上げた。
「返して欲しければ、俺に懐中時計をくれた人物を連れて来い、ってな」
「フォークスを?」
「リシャールのことをジゼルに話したことはない。だが、この世で一番大切な奴から貰ったと言ってあった。だから、恋人から貰ったのものだと勘違
いしていたのかもしれない」
――大切。この世で一番大切な奴。そんな風にルクレールはフォークスのことを思っていたのか。
ルクレールはさらりと言ってのけたが、なんだか愛の告白を盗み聞いてしまったようで、僕は照れてしまう。
この世で一番大切な奴だなんて、普通、そうそう簡単には言えない。しかも、友人に対して。
「貰った懐中時計を奪われたなんて言えば、リシャールは激怒するだろ? うまくばれないようにリシャールをここに連れて来るにはどうしたものか、考えているうちに、ジゼルが殺されてしまったんだ。しかも、事もあろうか、俺の懐中時計が犯人の遺留品として扱われている。本当に、どうしようかと思ったよ」
困り果てた顔をして見せたルクレールにフォークスは穏やかに微笑んで言い放った。
「どうしようかって、盗めばいいじゃないか」
さっきまでの怒りはどこにいってしまったのか?
やはり、『この世で一番大切な奴』という発言が効いたのだろう。彼の機嫌は著しく良くなっている。
「奪われた物は奪い返せばいい。だいたい君は人の物を奪うことにかけては一流じゃないか。盗めばいいのさ」
しかし、言っていることは相変わらずむちゃくちゃである。
――盗めだなんて、できるわけがない。だいたい親友に犯罪を勧めてどうする!
だが、ルクレールはフォークスの言葉に平然と頷いた。
「俺も考えたんだが、ジゼルは友達だからな。友人の物を盗むほど俺は落ちてはいない」
「ああ、そうか。君は自称『紳士的な怪盗』なんだっけ。そこらの盗人とは違う。誇り高き怪盗ってわけか」
「そうさ、ぜひ『怪盗紳士』と呼んで貰いたい」
「それで? ジゼルが死んでしまった今、どうするつもりだい? まさかジゼルの死体に向かって僕を紹介するつもりじゃないだろうね。君のことだから当然知っているとは思うけど、今、懐中時計はマルキードが保管しているらしいよ。彼からなら盗めるだろ?」
「できるだろうけど、そう簡単な話でもないんだ」
「ダイヤを盗むのと、どちらが、骨が折れるかい?」
「それはもちろん、時計の方さ」
いったい何の話をしているのだろう?
どうしたわけか、僕は気が付くと、話の流れからおいていかれていた。
よく意味が分からない。
「フォークス、ルクレール、ちょっと待ってよ。二人の話を聞いていると、なんだが、ルクレールが怪盗をやっているように聞こえるんだけど?」
遠慮気味にそう尋ねた僕に、フォークスは信じられないといった表情で振り向いた。
「そう聞こえなかったのなら、君の耳がおかしいんだよ」
「え?」
――意味が分からない。
僕は深く考えることをやめ、自分の耳に聞こえてきた通りに聞き返した。
「つまり、ルクレールは怪盗だってことかい?」
「そうさ」
――そうさ、って。
僕はルクレールを見つめ、少し目を閉じて、再び彼をじっと見つめた。やがて、先程ブチ切ってしまった思考回路が復活した。
――なんだって? まさか。
本当に? と顔を引きつらせながら尋ねると、ルクレールはいともあっさり頷いた。
「えっ、えっ、ええっ、えーっ」
僕の慌てぶりに大満足したフォークスは、初めて合わせる人を紹介するかのように、僕に顔を向けたまま、ルクレールの方に手をかざした。
「ジョン、紹介するよ。彼が、あの、人騒がせな怪盗Rだ」
――う、嘘だ!
絶叫寸前をなんとか堪える。
――まさか、ルクレールが。そんな!
恐る恐るルクレールを振り返ると、今度も彼はあっさり頷く。
だが、そう簡単に信じることなど、僕にはできなかった。たとえ本人がそうだと言っても、よりによって怪盗Rだ。あのルクレールが怪盗Rだなんて、誰が信じられる?
僕は二度ほど深呼吸して落ち着きを取り戻すと、改まって彼に問い直した。
「だけど、マルキードに予告状が届いた時、ルクレールは僕たちと一緒にいたじゃないか」
――そうだ。確かにあの時、怪盗Rの影を見た。月を背に、マントを風になびかせ佇む男の姿を、僕はフォークスやルクレールと共に見たのだ。
僕たちと一緒にいた彼が、あの大きな窓の外から予告状を放った怪盗Rのわけがない。
だが、僕の問いに答えたのは彼ではなく、肩を竦めたフォークスだった。
「だから、あれはギョームだったのさ。怪盗Rって言うのは、アルを中心とした盗人集団だからね。ルクレール家は代々盗みをして栄えてきた家なんだ。当主から使用人の端くれまでみんなグルだよ。まったく根深いったらないよ」
そう言えば、と僕が思い出したものは、昨日のルクレールとギョームの会話だ。
――ギョーム、例の物は?
――明晩、指示通りに。
つまり、あの時の『例の物』というのは、怪盗Rの予告状だったのだ。
「ジョン・コール君、納得して頂けたかな?」
ふざけたように言ったフォークスに不本意ながら僕は頷いた。
僕のそんな様子にフォークスは満足そうに微笑み、ところでと話題を変えた。
「アル、君に聞きたいことがあるんだ」
「ん?」
「怪盗Rの『R』ってなんだい?」
それは昨夜、フォークスと僕の間で宙ぶらりんになった疑問だった。
あの時、僕は、直接本人に聞いてみようなどと言ったフォークスにほとほと呆れたのだが、今になってみれば、それもフォークスにとって不可能なことではないということが分かった。
そして、まさに今、それが実現している。
「いきなりだなぁ」
ルクレールは困惑した表情を浮かべながら前髪を掻き上げた。
「ジョンがね、ROSEのRだって言うんだ」
「ああ、世間ではそう思われているらしいな」
「世間では? ほら、やっぱり違うじゃないか、ジョン」
威張りながら振り返ってきたフォークスに僕は少しムッとする。
「それじゃあ、ルクレールのRってわけかい?」
ルクレールに直接尋ねるが、彼は首を振った。
「バカだな、ジョン。ルクレールのスペルはLECLERCだ。やっぱり君のフランス語はなってない」
冷静になって考えれば、分かったことだ。それをフォークスに指摘されて僕はカチンとなった。
「じゃあ、なんなんだい?」
僕にしては少々乱暴な口調である。するとルクレールは頭を少し傾けて、口元に手をやり、考える仕草をする。
ちらりとフォークスを見る。
「それは、やはり、Richard・FawkesのRだろ」
彼はにやけた笑いを漏らした。
――なんだって? リチャード・フォークスのRだって?
その答えは十分疑わしく思えたが、案外本当にそうだったのかも知れない。彼が怪盗Rだと知ってしまって、今までの彼がなんだか信じられない気がする。
自分が見知っている彼は、まさに氷山の一角に過ぎないのだ。
掴み所がなくって、どこまでが本気で、どこからが冗談なのか分からない。誰よりも正義に近いと思っていた彼が、まさか怪盗Rだったなんて。
僕は、フォークスに自分の名前を勝手に出すなと責められているルクレールを横目に、ゆっくりと頭を左右に振った。