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2,“あたりまえ”の当たり前じゃないこと

 

 遠くで波のざわめきが聞こえる。


 ルクレールに案内されてやって来たのは、フランスの北方に位置する小さな村だった。晴れた日なら、海の向こうにイギリスを眺めることができるのだという。


 十九世紀半ばのフランスと言えば、イギリスより百年遅れた産業を発展させている最中である。

 ルイ十四世の絶対王政時にあれほど輝いていたフランスは、まだ統一もかなわないドイツや、建国して間もないアメリカ合衆国に、いつの間にか遅れをとっていた。

 とは言っても、社交界で話される言語は相変わらずフランス語で、それなりの職に就きたい者は、まずフランス語を自在に操れなければならないということに変わりはない。

 そういった事情で、ほとんどの学生は学校でフランス語を習う。もちろん、僕もその一人だ。習い始めて数年の僕のフランス語は、フォークスに言わせると、少し『怪しい』らしい。


「大丈夫かい? いちいち通訳なんて面倒なこと、僕はしないからね。自力でなんとかしてくれよ。だいたい君は英語だってろくに話せないじゃないか」


 フォークスが言うには、アメリカ生まれ、アメリカ育ちの僕の英語は、訛っているらしい。

 僕自身にはその自覚がないのだが、フォークスが時々その訛りに眉を歪ませ、指摘するのだから、そうなのだろう。

 ところで、フランスの近代化政策と言えば、ナポレオン三世のもとで進められたものだが、それは、首都パリの街並みをガラリと変えるものだった。

 碁盤の目のように整備された道路は有益的で、少しの隙間なく立ち並ぶ家々は活気にあふれている。二百年先の世にも通じる立派な都市がつくられたのである。


 だけど、そんな近代化の波が届いていない場所もある。

 どこまでも広い空。一面の麦畑。ひんやりとした風は心地よい。――じつにのどかな村だ。

 ルクレールの別荘だという屋敷の門の前に、僕らを乗せた馬車が止まった。

 ポードレール家のパーティーは明晩からなので、今晩はルクレールの別荘に泊まることになったのだ。

 僕はすぐに外に飛び出し、青空に向かって両手を伸ばした。大きく伸び上がる。


「はぁー。空気が澄んでいて気持ちがいいな。本当に良いところじゃないか」


 笑み満面で馬車の方に振り返ると、フォークスが気怠そうに降りてくるところだった。


 地面に足を着けた彼は、土に靴が埋もれる感触に眉を顰める。


「ロンドンの空気が異常なほど悪いから、余計にそう思うのさ」


 ヴィクトリア女王時代のイギリスは、『世界の工場』という地位を得て、最盛期を迎えている。十九世紀は『イギリスの時代』と称されるほどである。

 だが、その一方で、工場の煙は大気をひどく汚し、ロンドン市内を流れるテムズ川までも汚染したため、コレラやペストなどの感染病がスラム街に蔓延し、多くの死者を出している。


「こういう田舎でも、たまに来るといいものだろ?」


 御者に代金を払い、ルクレールが馬車から降りてきた。


「一つの場所にずっといると、次第に、その場所にあるものだけがあたりまえになってしまう。そうなると、見え方が狭くなってしまう恐れがあるんだ。『あたりまえ』っていうのは、ものを感じさせなくする力がある。例えば、ここで暮らしている者たち。彼らは、この澄んだ空気をあたりまえだと思っている。だからさっきのジャンみたいに『空気が澄んでいて気持ちがいい』なんてことは言わない」


「こんなに澄んでいるのに?」


 信じられないと聞き返した僕に苦笑して彼は続けた。


「では、聞くけれど。ジャン、君はロンドンをどう思う?」


「どうって、べつに」


「そうさ。君は何も感じていない。だが、ここの者たちは言うだろうよ。『なんて汚い所だろう。こんな所で暮らすなんて考えられない。ロンドンに住む奴らはいかれている!』ってな」


 ルクレールは、何が気に入らないのか、しきりにシルクハットをいじっている。角度を直し被っては、また取るという行為を何度か繰り返す。


「だけど、ジャン。君は自分がいかれていると思うかい? 暮らせないほど汚いと思うかい? 思わないだろ? ロンドンに住んでいる君は、その汚さがあたりまえになっているから、そんなこと思いもしないのさ。それだからこそ君はここの空気に『澄んでいる』という感想を持つことができた。つまり、ここの空気が君の『あたりまえ』に反していたから、君の心に残るものとなったというわけだ。人は、自身の『あたりまえ』の領域を越えた時に初めて、何かしらのことを感じることができるのさ」


「なるほど……。だけど、それじゃあ、もしも毎日毎日同じことだけを繰り返して生きている者がいたとしたら、その人は無感動な人間になってしまうってことかい?」


「そうだな。機械のような人間になってしまうかもしれない。だが、毎日同じことだけを繰り返し生きていきたいと願っていても、そうそううまくはいかないものだ。晴れの日もある。やたら霧が多い日もある。その人を取り巻く環境は絶えず変わっていくものだ。だから、無感動な人間など、めったにいない。それでも、まあ、感受性が鈍っていくのは否めないだろうな」


「やっぱり、そうなのかぁ」


 僕は不安げに息を漏らした。

 はたして自分は、無感動な機械人間にはなっていないだろうか。毎日毎日同じことだけを繰り返し、ノルマーをこなすかのように、ただただ生きてはいないだろうか。

 ――近ごろ感動したものはいったい何だっただろう? 

 必死に思い出そうとして眉間に皺を寄せた僕を見て、ルクレールは僕の肩を軽く叩いた。片目を、パチン、と閉じる。


「だから、たまにはこういう田舎もいいだろって言ったのさ」


 つい見とれてしまうほどのきれいな笑顔だった。どんな不安だろうと、ぶっ飛んでいってしまうような。だが、すぐに固い顔をつくって僕を見据える。


「『あたりまえ』っていうものは、人それぞれによって異なるものなんだ。ここの者たちがこの澄んだ空気をあたりまえだと思っているのに対して、ジャンはロンドンの汚れた空気をあたりまえと思っている。ほら、少なくともここの者たちとジャンの『あたりまえ』は違うだろ? それを、あたりまえでないことをしている者たちが、自分には理解できないからといって、『奴らはいかれている』と言ってしまうのはどうだろう? 汚いロンドンに住む君をここの者たちはいかれていると言うが、君もここの澄んだ空気に何も感じない彼らを信じられないと言う。さて、本当にいかれているのは? 信じられないのはどちらだろう? どちらの『あたりまえ』の方が正しいだろうか?」


 黙り込んだ僕にルクレールは両腕を広げ、肩を竦めた。


「そんなこと誰にも分からないのさ」


 彼は苦笑した。そして、シルクハットの位置を定めると、僕から視線を外し、正面を見据えながら続けた。


「ただ、君はいつも頭の片隅においておけばいい。人それぞれだってな ――それぞれにそれぞれの常識があって、時には他人とその常識を共有したり、時には違えたりする。そのことを心しておけば、人付き合いも少しは楽にできる。違う考えを言われても、それに反発するのではなくって、そう言う考え方もあるのかと耳を貸すこと。そうすれば、君の『あたりまえ』を越えた広い世界を知ることができるはずだ」

 ルクレールの声は耳に心地よく響く。彼のその声は、たとえ理不尽なことを言っていても、聞き手にその通りなのかもしれないと思わせる力があると思う。

 ただでさえそんな力があるというのに、彼はその声を使って、本当に自分と同い年なのかと疑問を抱かせるほどの大人びた話をするから堪らない。

 僕はひたすら感心するしかなく、まるで音楽を聴くかのように、ルクレールの話に聞き入っていた。

 すると、その時。僕のすぐ横で不機嫌そうな顔をしたフォークスが手にしていたステッキを振り回した。


「いい加減にしたまえ」


 トントンと、ステッキで地面を突く。


「いったい、君はいつまで客を門の前に立たせておくつもりなんだい? こんな所に突っ立っているくらいなら、フランク教授のくだらない講義に出席した方がいくらかましだった」


 フォークスの機嫌は最悪で、僕なんて縮み上がっているというのに、ルクレールは、彼を我が儘のひどい子どもくらいにしか思っていない様子だ。


「悪かったよ。疲れたんだろ? お前はいつも疲れると、他人にあたる。ほら、むくれてないで中に入れよ」


 ルクレールは門を開き、フォークスを中に招き入れた。


「今日はゆっくり休めよ。ジャンもな」


 門の中には、手入れのよく行き届いた庭が広がっていて、続いて入った僕は思わず声を上げた。


「すごい」


 門から玄関まで続く細い道は数メートルほどあり、その両側にはバラが咲き乱れている。玄関を正面に右側に赤バラが、左側に白バラが。まるで絨毯を敷いたようだ。


「すごいだって?」


 僕の溜め息混じりのその声を耳にして、例によって、皮肉屋が口を開く。


「この悪趣味な庭を見てすごいだって? ジョン、君も相当な成金野郎らしいな。見ろ、バラばかりじゃないか」


「バラのどこがいけないんだい?」


 そう尋ねた僕を彼は冷ややかに見つめる。 口を動かすのも面倒だが、この、物を知らない哀れなヤツに仕方ないから説明してやろうと、わざわざ言葉にしなくとも読みとれるような表情をしている。


「成金野郎はやたら金のかかるものばかりを集めたがる。なぜなら、彼らはしょせん成り上がり者だからさ。見かけだけでも貴族ぶりたいんだ。本当の価値も分からないくせに、金のかかる物はかかった分だけ高価なのだと、買い漁るのさ。ほら、見ろ。バラは花の中では値が高いだろ。それなのにこんなにも庭に咲かせている。なんて羽振りのいい家なんだろうと思われたいんだよ。そうして自分自身も高価な存在になった、偉くなったんだという気になるのさ」


「リシャール。それ、誰のことだ? 俺か?」


「なぜそう思うんだい? まだ君だなんて、一言も言っていないじゃないか」


 いけしゃあしゃあと言ってのけたフォークスにルクレールは苦笑を漏らす。


「そうは言うが、きれいだろ? うちの庭師は腕がいいんだ」


 ルクレールは辺りを見渡して、ほら、と少し前の方を指した。


「うちの庭師のブリュノとその息子のギョームだ」


 彼らはバラの陰で見えたり隠れたりしていたが、ルクレールが自分たちのことを話していると察し、陰から出てきて頭を下げた。

 父親の方はそれだけでまたすぐにバラの中に姿を消したが、息子の方をこちらに駆け寄ってくる。同じ年頃だろうか。親しみやすい感じのする少年だ。


「お帰り、アル」


「ああ、ただいま。ギョーム、紹介するよ。彼があのリチャード・フォークスだ」


 ルクレールはいかにも楽しそうにフォークスをギョームの前に押し出した。


「ああ、あのリシャールだね」


 ギョームの方も目を細め、泥が付いた手で口元を押さえている。笑いを堪えているようだ。


「あの、だなんて、君はいったい僕のどんな悪口を言いふらしているんだ!」


「悪口なんて言わないさ」


「そうそう、違うよ。前に、赤バラの行方を尋ねたら、アルの口から君の名前が出てきたことがあってね。それで覚えていただけだよ」


「ふーん」


 納得のいかない顔をしているものの、フォークスの文句は打ち止めらしい。ルクレールは次に僕の肩に手を置く。


「こっちはリシャールのルームメイト、ジョン・コール。――ジャンほど忍耐強い奴はちょっといない。なんたって、リシャールと一日中一緒にいられるんだからな」


 フォークスがどんなに睨みつけようと、彼には関係ないようだ。怒らせるようなことを敢えて口にして、楽しんでいるところがある。


「ギョーム、例の物は?」


「明晩、指示通りに」


 声を潜めた彼に、ギョームも声を潜めて答えて、父親の元へ駆け戻って行った。少し前から彼を呼ぶブリュノの声が聞こえていたのだ。


 二人があまりにも仲が良いから忘れていたが、ルクレールはこの屋敷の主で、ギョームは雇われ庭師の息子だ。

 フランスでは、革命後、王や貴族がいなくなり平等になったと言うが、それは単に裕福な者たちのみが言っているだけのことだ。

 確かに身分制はなくなったかもしれないが、貧富の差がなくなったわけではない。

 裕福な者は資本家となり、貧しい者を金で使う。貴族社会が終わり、そのような社会が始まっていた。

 金持ちが偉いとは言わないが、雇われている以上、それなりの節度がある。いくらルクレールが気にしていないからと言っても、ブリュノには息子の主に対する馴れ馴れしい態度が許せないのだろう。

 ――それにしても。

 先ほどのルクレールの言葉に疑問を感じた僕はすかさず尋ねてみた。


「例の物ってなんだい?」


 だが、彼は片目を、パチン、と閉ざしただけだった。








 ▽▲





 

 翌朝、 大きくあくびした僕の口めがけて、フォークスがパンの欠片を弾いた。


「食事中にあくびはやめないか」


「冗談じゃないよ、フォークス。君が早く目覚めてしまったからって、僕まで叩き起こしたりするからじゃないか。僕はもう少し眠っていたかったのに」


「何だって? それでは、君は僕に八時間以上ベッドで眠っていろと言うのかい? 寝過ぎはいけないと言ったのは君じゃないか」


 僕は頭を押さえながら、フォークスのがなり声を聞いた。


「それとも何か? 僕に君が起きるまで、何もせずぼんやりと持っていろとでも言う気かい?」


 ――ぜひ、そうして貰いたかった。


 彼は昨夜、疲れたからと言って早々に寝入り、そのため、今朝は異常なほど早起きをしてしまったのだ。

 そして、目覚めているのが自分一人だけと知るや否や、隣のベッドで熟睡していた僕を叩き起こした。

 その理由が、朝食を一緒に取ろうと思ったからだと言うから迷惑な話である。


「それこそ冗談じゃないね。僕はお腹が減っていたんだ。だから目が覚めてしまったのさ。君が目覚めるのを待っていたら、僕は飢えて、死んでいた!」


 ――ハイハイ。これ以上何か言っても、倍にして言い返されるだけだ。もう、何も言うまい。

 だからせめて、起きたばかりで食欲がないのと、あくびくらい大目に見て欲しい。

 食事を終えた僕らがコーヒーを啜り始めたころ、ルクレールが姿を現せた。


「早いじゃないか」

 目覚めたばかりらしく、まだ寝巻き姿である。洗顔もしていなければ、髪もボサボサ。どうやら朝が苦手らしい。これほど怠そうにする彼を初めて目にした。

 ルクレールはフォークスの手からコーヒーカップを奪い取ると、それにそっと口付けた。だが、すぐに遠ざける。


「熱っ」


 舌を出して顔を顰める彼を、フォークスは嘲笑いながら、彼の手からカップを取り戻した。


「ルクレールが猫舌だったなんて初めて知ったよ」


 意外な事実を知った僕は、驚きの声を上げた。


「全然そんな風には見えなかったから、気付かなかったよ。昨晩の食事の時だって」


「あれはひとえに努力の賜物さ。ばれないように振る舞っていたのさ。猫舌っていうのは、甘やかされて育ちましたと風潮しているようなものだからね」


「リシャール」


 やめてくれと言いたそうな顔だったが、 フォークスの口を塞ぐような言葉を言うつもりはない。それなら僕としては、ぜひ話の先を聞いてみたい。


「それはどういうことだい?」


「何、単純なことさ」


 フォークスの方も僕が聞き返してくるのを待っていたようだ。機嫌良く、楽しそうに答えてくれる。


「猫舌っていうのは、長男長女、一人っ子に多い。大抵の親は、初めての子どもほど喜んで世話をするだろ? 何かとすぐに手を出したがる。熱いご飯などは息を吹きかけてよく冷ませてから与えたり。そうやって幼い頃、熱いものを食べさせられなかった者が猫舌になる。慣れないものは受け付け難いってことだ。熱いものに免疫がないのさ、彼らには。――世間の汚いことを教わることなく育てられた子どもが、大人になって世間に出た時に、その醜さに絶望するのと一緒さ。それはまた、予防注射をしなかったために病気にかかるのと同じこと」


 何だか、昨日のルクレールの話に似ている気がした。

 自分にとって『あたりまえ』でないものと出会った時、それをすぐに受け付けられないのは、そのものに対する免疫がなかったからなのかもしれない。

 幼いうちに熱いものを口にしていた者は、あたりまえに熱いものを食べることができる。

 幼いうちからロンドンで育った者は、ロンドンの空気に疑問を持つことなく暮らしていける。

 要するに『あたりまえ』というものは、『慣れ』みたいなものなのかもしれない。

 僕が考え事をしている間もフォークスの話は続いていた。彼は飲み干したカップをテーブルの上でくるくると回し、弄んでいる。


「つまり猫舌っていうのは、可愛がられ、甘やかされて育った証拠なのさ。それをアルは必死に隠してきたってわけだ。熱さに耐え、平然を装い振る舞う姿は、唯一知っている僕としては、涙が滲むね」


 そう彼は、わざとらしさ見え見えの哀れみの声を上げた。実に楽しそうである。

 僕はちらりとルクレールを盗み見た。

 つまり、ルクレールがフォークスの飲みかけに手を出したのは、飲みかけならば冷めていると思ったからなのだろう。僕は昨日の紅茶の一件を思い出す。

 あの時もそうだ。新しく入れ直したのでは熱すぎて彼には飲めなかったに違いない。

 不意に僕はおかしくなった。格好良く、賢く、話し上手で、いつも多くの友達に囲まれている彼の意外な一面だった。

 それにしても、フォークスの言い様は、何か僻んでいるように聞こえた。おそらく、彼は、自分とルクレールの生い立ちを比較してしまったのだろう。


 フォークスは両親に可愛がられた記憶がないのだという。彼には人間的に優秀な兄がいて、常に両親はその兄を溺愛していた。

 兄が人間的に優秀なことに対して、自分は人間的に欠陥があるのだと言ったのは、フォークス自身だ。

 人間的にどうのと言うのが、僕にはよく分からなかったが、名探偵であるフォークスが、幼少時代は普通の子どもでしたというのは信じがたいことだから、おそらく並はずれた子どもで、両親にとっては扱い難かったのだろう。

 フォークスの両親は彼を自分たちの手で育てることを拒絶した。そのため彼はフランスで一人暮らす祖母の元で育てられることになったのだという。

 彼の祖母は、彼を拒絶こそしなかったが、けして甘やかせてはくれなかったようだ。

 その祖母が亡くなり、やむを得ずイギリスに戻された彼は、今度は全寮制の学校に入れられた。彼の家族は、彼が自分たちと共に暮らすことを許さなかったのだ。そうして、現在に至っている。

 そんな彼にとって、ルクレールはどんなにか羨ましく思える存在だろう。


 彼は何不自由のない、財力のある家に生まれ育った。幼い頃に両親を亡くしているが、莫大な財産が残されていたし、彼の乳母を始め多くの使用人たちが彼を際限無く可愛がってくれた。

 その、多くの人に愛され育ったのだろうことは、彼の明るい性格から容易に想像がつく通りなのだ。フォークスが僻みたくなるのも少し分かる気がする。

 フォークスは家族の話をする時は、いつも辛そうに笑う。笑うしかないのは彼が家族のことで泣けないからだ。


「泣くと、さらに惨めになる。自分が可哀相だなんて、思いたくない」


 と、彼は笑う。


「中途半端にいられるよりも、アルのところのようにいっそう死んでいてくれれば、清々しくて良かったのに」


 自分を想ってくれない両親に対して、彼のコメントはそれだけだった。

 しばらく他愛もない話題で時間を潰していた僕らだったが、少し早めの、ルクレールにとっては朝食兼用の昼食を取り、ルクレール家の別荘を出た。






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