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15/17

15,紳士というものはね、

 

 やはり慣れているからなのだろう。

 怪盗が消えた部屋の中で、いち早く我に返ることができたのは、この時も、ドルーエだった。


「お、おお、追え! 追うんだ、馬鹿者!」


 呆然とする部下たちに怒鳴り散らし、自らも鉄砲玉ごとく駆け出した。

 だが、闇へと消えた怪盗の姿は、どんなに目を凝らしても欠片も見つからず、追いようにない。

 困り果てたのは彼の部下たちだった。右往左往と駆けずる警官を横目に、フォークスは僕の袖を引いた。


「行こう」


「え? どこへ?」


「アルのとこ。すぐに荷物をまとめるんだ。この館にはもう用はないからね」


 そう言うと、彼は僕を半ば引きずるようにして、僕らの為に用意された客室に足を向けた。

 ところが、部屋の前まで来て、僕らは顔を見合わせる。扉の前に鞄が二つ置いてあったのだ。


「どういうことだと思う?」


「すぐに来いってことだろうね」


 鞄は僕らの物で、中にはもちろん、僕たちの荷物がきちんと収まっていた。

 おそらく、ルクレールの命令でネリーがやったことだろう。

 これは感謝するべきなのか、どうなのか、やや疑問を持ちながら、僕は鞄を手にする。

 屋敷を出ると、またも二人の為に馬車が用意されていた。それには、フォークスは呆れ、僕は苦笑する。

 ――これは感謝するべきなんだろうな。

 僕らを乗せた馬車は暗闇を黙々と走った。

 目的地は遠いのだろうか。そう思った時、その思いがそのまま顔に出てしまったのだろう、フォークスがくすくす笑いながら言った。


「眠ければ、寝て良いよ。結構遠いからね。着くのは、きっと明け方近くになる」


「いったいどこに行くんだい?」


 ルクレールの所とは言われたが、それがどこであるか、はっきりと聞かされていない僕は不安げに尋ねた。すると、


「墓地だよ」


 と、さらに不安にさせるような答えが短く返ってきた。

 これ以上聞いて、ますます不安になるのは嫌だと思い、僕はそれっきり黙って瞼を閉じた。









 ▽▲






 フォークスに揺り起こされて、僕はいつの間にか馬車が止まっていることに気付いた。どうやら目的地に着いたらしい。

 馬車から降り立ち、僕は絶句する。フォークスの言葉通り、そこは墓場だった。


「な、なんで、こんなところに?」


 暗闇にうっすらと見える何百もの十字架。それらは規則正しく並んでいる。その一つ一つが地下に眠る遺体の数を暗に表していた。

 おっかなびっくりしながらフォークスを振り返った僕に、彼は無言でカンテラを突き出した。どうやら、持てということらしい。

 僕が黙ってそれを受け取ると、彼はスタスタと歩き出した。慌てて後を追う。

 しばらく歩くと、やたら眩しい光が見えてきた。何だろうかと思っていると、その光は、ある一つの墓の回りを皓々と照らしていた。

 フォークスはその光を目指しているようだ。

 更に近付いてみると、光の中に人影がちらちらと見えた。

 一人ではない。四人、いや、五人だ。だが、そのうちの一人はぐったりとしていて、もう一人の腕の中に抱きかかえられていた。


「アル」


 その人影を見て、フォークスが声を上げた。駆け寄ると、フォークスの言う通り、その人影は紛れもなくルクレールだった。

 彼は怪盗Rの姿のまま、にっと笑い、二人に片手をあげた。


「早かったな」


「おかげさまでね」


 近付いてよく見てみると、ルクレールの腕の中にいる人物はジゼルだった。

 あの生き返った少女、ジゼルだ!

 だが、どうも、様子がおかしい。マルキードの寝室で見た時の彼女の髪は、月明かりにキラキラと輝いていた。

 だが、今、ルクレールの腕の中にいる彼女の髪は、人形のもののようにパサパサで、キラリともしない。それどころか、櫛さえ通りそうにない。

 加えて、何よりも不可解な点は、先程は彼女がルクレールの腕の中でぐったりとしていると言い表したが、『ぐったり』という表現は相応しくない。彼女の体は直立したままの格好で、カチンコチンに固まって、ルクレールに抱き支えられていた。

 もっとよく見ようと、僕が彼に歩み寄った時、ずいぶんと下の方で声が聞こえた。


「ルクレール様、掘れましたよ」


 驚き、そちらの方に目をやると、体格の良い男が地面を掘っていた。

 シャベルを杖代わりにして、見上げた彼をルクレールは労う。


「ありがとう」


「いえ。すぐに棺の用意をしましょう」


 その男が、自分で掘った穴から這い上がってくると、立ち替わるようにルレールがその穴にゆっくりと歩み寄った。

 何をする気なのだろう? と僕が首を傾げた時、不意に彼は振り返った。

 そして、僕は見てしまった。

 彼の腕の中にいたのは、確かに、半年前、死んだジゼルだった。

 蝋で固められた人形のような顔。

 先程、マルキードの寝室で見た時も、白すぎるほど白い顔だと思ったが、今のそれは白いどころではない。

 死人の顔、いや、元から生きていなかったモノの顔だった。気味が悪いとさえ思ってしまった。


「リシャール、紹介する。ジゼルだ」


 ルクレールは苦々しく笑った。


「ジゼル。彼が、俺に懐中時計をくれた、リシャールだ」


 やはりそうきたか、とフォークスはわずかに肩をすくめ、仰々しく彼女にお辞儀をしてみせた。

 それに見やり、彼はジゼルに語りかけた。


「確かに紹介したよ。懐中時計を返して貰ってもいいだろう?」


 ルクレールの問いに、彼女は頷かない。身動き一つしない。

 まるで蝋人形のようにじっとしている。沈黙しているのだ。それもそのはずだった。なぜなら、彼女は死んでいるのだから。


「生き返ったなんて、あり得ない」


 ポツリと言葉をこぼしたフォークスを僕は振り返った。


「彼女はずっとこのままだったよ。身動き一つしない。話さない。そう、ずっと彼女は沈黙していた」


「だけど、さっき見たジゼルは?」


 彼女は確かに歩いていた。自分の足で歩き、怪盗Rの手を取った。


「どうやって、その死体を動かしたんだい?」


 そう尋ねると、ルレールは心外だと言わんばかりに声を高めた。


「死体に仕掛けをするような奴を『紳士』とは言えないだろ?」


「じゃあどうやって?」


 彼は目線を動かした。それを追って僕も目を動かすと、そこに見知った少年が立っていた。

 セルジュ・ボードレール。

 ――なぜ彼がここに?

 頭の中にクエスションマークを漂わせる僕。

 だが、隣の人物は、やはりと呟いていた。


「セルジュ、君だったんだろ? あのジゼルは」


「ええっ」


 僕は思わず大声を出した。

 ――だって、彼は男の子だし。そりゃあ、背は低めで、華奢だけど、いくらなんでも女の子には……み、見えるかもしれない。

 弟なだけあって、ジゼルとよく似た顔立ちをしているし、同じ金髪だ。

 あんぐりと口を開いた僕を、ルクレールは笑い、フォークスに向かって頷いた。


「その通り。セルジュがジゼルを演じていたんだ。ずっとね」


「ずっと?」


「僕を呼び出すためだろう? なんて手の込んだ嫌がらせなんだ」


 フォークスは、ドンッ、と杖で地面を突いた。


「セルジュにジゼルの格好をさせ、夜中、村を歩かせた。まるで死んだはずのジゼルが彷徨っているかのようにね。たちまちそのことは噂となり、ボードレール氏やシャルダンも事を起こしやすくなる。加えて、僕の興味を引けて、ここまで連れてくることに成功できたってわけだ」


 確かに、死体が動くと聞けば『そんなはずがない!』と反論したくなるフォークスの心理をうまくついている。


「それで? 結局、君らは何をしたかったんだ?」


 不機嫌そうな声が響き、ルクレールは苦笑する。


「ジゼルの遺体をきちんと埋葬したかったんだ」


「そして、父さんとシャルダンを懲らしめてやりたかった」


 セルジュを見やると、彼は唇を噛みしめている。今頃、娘殺しの罪で逮捕されているだろう父親を思ってか、握り締められた拳は震えている。

 カンテラの明かりがチラチラと、そんな彼の表情を照らしている。


「姉さんは屋敷から出たがっていた。オンディーヌだって、本当はボードレール家の者に口汚く言われて屋敷を出て行ったわけじゃない。自分の意思で逃げ出したんだ。必死の思いで、あの屋敷から!」


 彼の咽がごくりと鳴った。


「せっかく自由を得たのにオンディーヌは、姉さんを生んであっけなく死んでしまった。そして、姉さんは、自由を得られないまま……」


 言葉を詰まらせたセルジュに僕は首を傾げる。

 ――自由?

 確かに、ジゼルのように屋敷に閉じ込められ、一歩も外に出られないなんて嫌だ。けれど、孤児のオンディーヌは金持ちに見初められ、妻に望まれたのだ。まるでグリムやアンデルセンが得意とするおとぎ話みたいじゃないか。

 オンディーヌは、おとぎ話のお姫様みたいに幸せにはなれなかったのだろうか。

 そんな僕の考えをどうやって読みとったのか。口に出して言った覚えがないのに、フォークスはちゃんと僕の疑問に答えをくれる。


「ジョン。人は、それぞれ異なったカタチの幸せを欲しているものなんだ」


 驚いて彼を振り向くと、彼は唇の端を軽く上に引く。


「まして、金さえあれば幸せってわけじゃないし、愛さえあれば幸せになれるとは限らない」


 彼はステッキをクルクルと手の内で弄びながら、続けた。


「リリアーヌなんかとは違って、オンディーヌやジゼルにとっての幸せは、でかい屋敷に住んで、絹のドレスを着、宝石を眺めて暮らすことじゃなかったってわけだよ」


「じゃあ、彼女たちの幸せって?」


「さあね。それは僕の知る所じゃない」


「だけど、普通は……」


「なんだよ、その普通って!」


 普通は、金がないよりあった方が幸せだし、きれいな服が着られた方が幸せだ。

 毎日いいものをお腹一杯に食べて、ふかふかなベッドで眠る。これ以上の幸せがあるだろうか。

 しかし、フォークスは首を振る。


「僕は、毎日どこかしらで事件が起きて、誰かが死んで、警察が犯人を捕まえるのに困難していて、そうして僕を退屈させないでいてくれれば、それで幸せだよ。いくら金があっても、権力を持っていても、全く幸せじゃない」


「そんなの、フォークスだけだよ。君が変わり者だから……」


「なんだって?」


 失敗だったと思う。だが、一度言葉にしてしまったものはどうしようもない。

 それにしても、いったい何が原因で彼と言い争う羽目になったのだろう。

 怒りに顔を赤らめフォークスが次の罵声を飛ばそうと口を開いた時、待ったの声が掛かった。


「やめないか、二人とも。まったく、いつもそうなのか? リシャールが誰かと言い争っているのを初めて見たぞ」


 呆れ顔のルクレールにフォークスは愚痴る。


「ジョンが頑固なんだ」


「頑固なのはフォークスだろ」


 すかさず言い返した僕に、どうしたのだろうか、彼は俯いて呟いた。


「ジョンなら分かってくれると思ったのに……」


 危うく聞き逃しそうになった、その言葉の意味を量りかねて僕は聞き返そうとする。

 だが、僕が口を開く前に、フォークスは、ついっと僕から目を逸らし、ルクレールに向き直った。


「弟なら顔が似ているはずだし、背丈も女装に無理がない程度だ。なるほどね。ジゼルをよく知るマルキードやリリアーヌたちが驚いたわけだ。ジゼルが生き返ったとしか思えなかっただろうよ」


 くすくすとフォークスが笑うと、つられるようにルクレールも笑った。

 そして、彼は再び話し出した。


「セルジュとジゼルとは、以前からの知り合いでな。セルジュが困っていると知って、俺は自分が怪盗Rだと言うことを打ち明けたんだ。そして、ネリーにボードレール家に潜んで貰い、ギョームには警察の方に潜伏して貰った。俺としても、懐中時計を取り返さなきゃいかなかったし、ジゼルの遺体がいつまでもガラスケースの中っていうのもな、可哀想だし。それに何より、ジゼルの仇も討ちたかったんだ。けど、その時はまだ犯人が分からなかった。実を言うと、俺はシャルダンだと思っていた。でなければ、リリアーヌかと……」


 ルクレールは頭を掻いた。


「ジョンから、毒針の話を聞いて、マルキードが真犯人だとわかったんだ。それで、マルキードからジゼルの自由を勝ち取りたくて、セルジュに彼の前でジゼルの格好をしてくれるように頼んだ」


 生き返ったジゼルがマルキードに別れを言い、怪盗の手を取った光景は、マルキードにとってどれほど衝撃を与えたことだろう。想像に容易い。

 その時、何か重い物を引きずるような音が聞こえた。

 振り向くと、先程穴を掘っていた男が大きな箱のような物を運んできていた。人がすっぽり入るその大きな箱は、棺桶だった。

 ルクレールはその棺桶の中にそっとジゼルを横たわらせる。

 彼の手がジゼルから離れると、入れ替わるようにネリーが箱の中に手を差し入れて、ジゼルの衣服の乱れを直した。


「アル、これを」


 と言ったのはギョームで、彼はバラの花束をルクレールに手渡す。

 目を伏せるルクレール。それは、白バラ。

 彼が静かにそれをルイーズの胸元に置くのを、皆で黙って見守った。重たい音を鳴らし、棺桶の蓋が閉められた。

 ジゼルが生き返ることは、もはや二度とないだろう。



 棺桶は掘られた穴に棺桶が沈められ、その上に少しずつ、少しずつ、冷たい土が被せられていく。

 その様子を見ながら、不意に呟く者があった。セルジュだった。

 彼はルクレールに苦笑する。


「白なんだね。姉さんは以前、君から赤バラを貰いたいと言っていたよ」


「ごめん」


「ううん、いいんだ。姉さんもよく分かっていた。だから、姉さんはシャルダンに心を許してしまったんだ……」


 バラの色。ギョームも気にしていたことだ。

 ――赤バラの行方を尋ねたら、アルの口から君の名前が出てきたことがあってね。それで覚えていただけだよ。

 ギョームのその言葉から推測するところ、ルクレールが赤バラを送る相手は限られているらしい。

 どうして彼がそこまでバラの色にこだわるのかは、僕は知らない。

 だけど、予告状に使うのはもちろん、普段、人に贈るものも白バラと決めているらしい。

 彼から赤バラを貰える人物は、この世でたった一人。彼の親友だけだ。

 ギョームの手によって最後の土が被せられた時、セルジュは再び口を開いた。


「これを。依頼料だっただろ?」


 ルクレールに差し出した手の平には、蜂蜜黄色の石がコロンと転がっていた。キャッツアイだ。

 だが、ルクレールは受け取ろうとしない。黙って、彼を見つめている。


「なんだよ。アル、ずっと欲しがっていたじゃないか」


「まあ、そうだけど。でも、貰えない」


「なんでさ?」


 歯切れ悪く答えるルクレールに、セルジュは首を傾げた。

 ルクレールはセルジュの手の平に自分の手を合わせ、彼の手にキャッツアイを握らせる。


「報酬は貰えないからだ」


「シャルダンは逮捕されたし、姉さんはこうして埋葬できたのに?」


「けど、ジゼルの遺体に、俺は傷を付けてしまった」


「傷?」


「眼球を刳り抜いた」


 正確に言えば、リリアーヌたちに『セイレーンの涙』だと偽って、刳り抜かせたのだ。


「本当に悔やんでいる。まさか彼女たちがあそこまでジゼルの遺体を粗雑に扱うとは思わなかった」


 ――何を言っているんだ。ルクレールは!

 僕は目を見張る。

 ――だって、『セイレーンの涙』がジゼルの瞳だと言ったのは僕じゃないか。確かに、そう言うように彼が仕向けたかも知れないけれど。ルクレールがそんなに申し訳なさそうにしていたら、僕はどうやってジゼルやセルジュに謝ればいいんだ!

 何か言おうと口を開きかけた僕を、フォークスのステッキが制した。

 具体的に言えば、口を開きかけた僕の腹を、フォークスがステッキで思いっ切り突き刺し、黙らせたのだ。


「フォ、フォークス!」


「いいから、君は黙っていろ」


 何か言いたくとも、そのあまりの痛さに何も言えず、黙ってルクレールとセルジュを見守っていると、どうやら彼は納得したようで、キャッツアイを自分の力できつく握り締めた。


「あれでいいのさ」


 と、フォークスは僕の耳に小さく囁いた。

 そうこうしている間に、長い夜は明けようとしている。

 暗闇だったはずの東の空がいつの間にかオレンジ色に染まっていた。同様にオレンジに染まった海が薄ぼんやりと見え始め、その存在を知らしめるかのように、潮の香りが辺りに漂う。

 波の声。そうか、ここは海の近くだったのか。そう、僕は思った。


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