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10,眩しくて瞼が開かないし、暗くても何も見えない。

 しばらく経って、扉を軽く叩く音が響いた。重苦しい沈黙が破られて、僕は金縛りから解放されるかのように、扉を振り返った。

 すると、そこに立っていたのは、ボードレール家の執事シャルダンだった。


「失礼いたします」


 彼は機械的に挨拶をしてから、感情の読めない瞳を僕に向け、それから夫人に向かって軽く会釈する。


「仰せの物を持って参りました」


 いつの間にか、廊下に人だかりができていて、皆、覗き込むように部屋の中の様子を見守っている。

 シャルダンは夫人に命じられ、僕の前に宝石を並べていった。鑑定しなければならない宝石が更に増えてしまって、僕はもううんざりだ。

 これだけの量の宝石を見ていると、宝石なんて大したものではないように思えてくる。

 そこらの石と同じ。ただちょっとキラキラしているだけだ。そう見えてくるから、大変だ。

 僕は途方に暮れたい思いで、手に取ったダイヤを焦点の合わない瞳で懸命に見つめた。

 その時。


「失礼します」


 耳に覚えのある声が部屋に入ってきた。

 声の主のさわやかな顔を連想し、僕は扉の方に振り返る。想像通り、声の主は涼しげな笑顔を皆に送っていた。


「宝石に関しては多少知識を持っています。お役に立てるかと」


 ルクレールだ。僕は彼に抱きつきたい衝動に駆られた。

 ――だって、まさに彼は天の助けだ。フォークスのいない今、彼だけが僕の不確かな目を知っている。

 僕の目は、それらしくカットされているガラス飾りをダイヤだと間違いかねない目なのだ。

 お気に入りの彼の姿を認め、リリアーヌは彼に歩み寄った。


「まあ、アルベール。貴方が手伝って下さると言うのなら、これほど頼もしいことはないわ。さあ、中に入って。こっちよ」


 何やら夫人から信頼されている彼を目の当たりにして、僕は顔を引きつらせた。

 ――恐るべき怪盗!

 夫人は彼が怪盗Rだということを知らないから仕方がないのだが、それにしたって、仮にも彼女は怪盗Rを捕らえるように探偵に依頼しているのだ、そこまでルクレールに心を許していなくとも良いではないか。


「母様」


 リリアーヌを呼ぶ声が聞こえ、彼女は廊下の方へと振り向く。彼女の息子、セルジュが木箱を抱えて立っていた。


「遅くなりました。これを」


「ああ、そんな物もありましたね」


 リリアーヌはセルジュから木箱を受け取ると、中の物を僕の前に放った。

 それは蜂蜜黄色の地味な石だった。

 大きさは、親指の爪ほど。いや、それよりも幅細く、縦長い楕円形であった。

 未カットのせいか、輝きは少ない。見て、即座にきれいだと思えなかったのも、そのためだ。

 玩具のようだ。そこらに落ちている小石のようだとさえ思った。だが、その透き通った石の中央に、白い一本の光条が細く、くっきりと浮かび上がっていて、それがただの石ではないのだと分かる。


「キャッツアイだ」


 誰かが言った。僕はその声に振り返ることなく、その石を摘み上げ、高くかざした。

 確かに、石の縦方向に延びた線は、猫の瞳を思わせた。

 ――なぜだろう? 目が逸らせない。今まで見てきた宝石のような華やかさの欠片もないような石に、どうしてだろうか。

 まるでその石が本当に猫の瞳で、その瞳に睨まれているかのように、僕は身動きが取れなくなった。


「クリソベリルだ」


 さっきの声とは違う声が僕のすぐ側で発せられた。

 長身の彼の声は、ちょうど僕の耳近くで響くので、妙にドキッとさせられる。


「キャッツアイじゃないの?」


 僕は、誰かが言った言葉を繰り返し言い、ルクレールに振り返った。


「そうとも言う。けど、正確に言えば、キャッツアイというのは、宝石それ自体の名前じゃない。キャッツアイ効果が現れた宝石のことを言うんだ」


「キャッツアイ効果?」


「光の帯が、まるで猫の目のように見える、宝石の特殊効果の一つだ」


 その簡単な説明に、僕は更に怪訝な顔をする。ルクレールは苦笑し、今度は丁寧に説明しだした。


「あの宝石自体の名前はクリソベリルと言う。キャッツアイはクリソベリルの変種の一つで、半透明から亜透明の蜂蜜黄色、帯褐色黄色の石だ。化学成分はベリリウムとアルミニウムの複合酸化物で、微量の酸化鉄と酸化クロムを含有する。黄色から帯緑色を含む褐色までの色は、この鉄分による。クリソベリルは結晶中にインクルージョンができやすい。――まあ、『異物』と言った方が分かりやすいか? それらが結晶の上下軸に平行に、それも密に入っている時、それらからの光の反射によって、一本の光条が現れる。この光条に移動性があるのがキャッツアイの特徴で、光源を動かすと、それに連れて光条も移動する。この現状をキャッツアイ効果と言う」


「へー」


 化学成分だの、何とか効果だの、堅苦しく説明されると、とたんに魅了ある宝石もつまらない物になってしまう。

 聞かなければ良かった、と僕は後悔する。

 もっとも、聞いたのは僕自身なので、文句を言える立場ではないが。

 ――ああ、だから彼は最初、簡単な説明で済ませようとしたのだ。


「キャッツアイ効果はクリソベリル以外の宝石にも現れる。それらは『~・キャッツアイ』というふうに、効果が現れた宝石名の後ろにキャッツアイとつけて呼ぶ。けど、単に『キャッツアイ』と言った場合、大抵、あのクリソベリル・キャッツアイを上げるな」

 宝石のことを語るルクレールは、宝石にも負けないくらい瞳を輝かせている。さすが怪盗と言うべきか。きっと彼もきれいな物には目がないのだろう。実に楽しそうに話し続けた。


「ところで、ジャン。クリソベリルにはもう一つの変種があるんだ。知っているか?」


 僕は首を振る。


「アレキサンドライトだ。名前くらい聞いたことがあるだろ? 昼間光では緑色、電灯光の下では赤色に変化する変色性効果を持つ宝石だ。キャッツアイ、アレキサンドライト、どちらもクリソベリルの変種で、希少性が高く、ものすごく高価な物だ。そもそもクリソベリル自体が宝石として最も高価な種類にランクされているのだから、それも当然だろう」


 今にも『手に入れたい』と言い出しそうな彼の口調に、僕はハラハラさせられる。

 何度も思い起こされるが、彼は怪盗なのだ。

 ――それにしても。

 なぜセルジュはこの宝石だけを木箱に入れて持ってきたのだろうか。さも大切そうに。まるで、この部屋にあるあらゆる宝石よりもそれが高価であるかのようだ。

 確かに、貴重で高価な物には変わりないのだけど、他にも高額な物はいくらでもある。

 僕はもう一度その宝石に目を向けた。

 不思議だ。

 珍しい、高価な物だなどと人に言われると、それまでは玩具みたいだと思っていた物が、どうしたわけか、ひどく貴重な物に見えてくる。

 ――キャッツアイか。

 宝石中央に入った白い一筋をじっと見入る。

 ――猫の目。

 ふと、僕はオンディーヌの瞳を思い出した。絵画の中の彼女は紫色だった。

 キャッツアイ。猫の目。オンディーヌの瞳。紫の瞳。紫のダイヤ。……。

 ――『セイレーンの涙』?

 僕は、はっとして顔を上げた。リリアーヌに振り返る。


「ちょっとお尋ねしますが、オンディーヌの瞳の色は、絵画の通り、本当に紫だったのですか?」


 夫人は唐突な僕の問いに眉を顰めた。しかも、夫の愛人の話題だ。機嫌を損ねてしまっても致し方ない。

 夫人は鋭く細めた眼を僕にぶつけながら、言い放った。


「あの女は魔女です。瞳に悪魔を宿していました」


「どういう意味ですか?」


「おっしゃる通り、紫だったのです」


「では、重ねてお尋ねします。ジゼルの瞳の色は何色ですか?」


「……深い青です。けれど、光りの具合で、オンディーヌのように紫色に」


「紫」


 やはり、と僕は頷き、ところで、と続けた。


「普通、動物などをはく製にする時って、眼球は取り除いて、代わりにガラス玉を入れますよね? ジゼルの場合、蝋で塗り固めてあるので、はく製とは違うようですけど、それでも眼球は取り除いたのではないでしょうか?」


 今度の問いには、リリアーヌの代わり、シャルダンが答えた。


「はい、取り除き、代わりの物を入れたと聞いております」


「代わりの物。――今聞いたところによりますと、ジゼルの瞳は紫に輝いたとか。だとしたら当然、入れた物は紫色に輝く物ですよね? 紫色で、ガラスのような物……。僕が思うに『セイレーンの涙』は、『涙』と言うのだから、瞳に関係あるのではないでしょうか」


 ここまで言えば大方の者は察したようで、さっと眼の色を変えた。

 こんな言い表し方は適切ではないかも知れないが、それはまるで、獲物を見つけた獣のような眼だった。

 その鋭い光にぞっとするが、口から出た言葉は今更どうにもならない。したがって、僕は決定打を言わざるを得なかった。後戻りはできない。


「紫のダイヤ『セイレーンの涙』は、おそらくジゼルの瞼の中にあります」


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