#08 秘密の街歩きと囁き
休日の朝。学園内は穏やかな陽光に包まれていた。
リリィはまだ半分寝ぼけた頭をふりふりしながら制服に着替え、教室へ向かう。すると、入口の前で待っていたアリシアがふわりと笑みを浮かべた。
「おはよう、リリィ。ごきげんよう。今日はね……街に行こうと思うの。お供してくださらない?」
予想外の誘いに、リリィは瞬きした。アリシアの誘いは、どこか“特別”な響きを帯びていた。断る理由などなく、ふたりは手を取り合うようにして学園を出る。
石畳を踏みしめ、アリシアはまるで何事もなかったかのように笑いかけてくる。あのナイフ――《ルージュの杯》の話を知ってしまったリリィの胸には、奇妙なざわめきが残っていた。
(でも……この人が、そんな……)
アリシアは路地の甘味店にリリィを案内し、ふたりで蜜菓子を頬張る。アリシアはいつも通り上品で、優しく、そして無邪気だ。
「リリィは……どうして私に近づいてくれるのかしら?」
「え?」
唐突な問いに、リリィは戸惑いながらも答える。
「アリシア様は……私の、憧れだから。いつも輝いてて、でも誰よりも優しくて……その、学園の救世主みたいな……」
アリシアは一瞬、驚いたように瞬きをした。そして、ほのかに頬を赤らめる。
「まあ……うふふ。それは嬉しいこと……ふふ、でも……」
「……でも?」
アリシアの目が、少しだけ鋭く光る。優雅な微笑みの裏に、狂気にも似た熱が潜んでいることに、リリィは気づいていなかった。
「私は、壊すことしかできないのよ」
そう呟いたアリシアは、口元に蜜菓子を運んで笑った。言葉の真意を掴みかねたリリィは、ただそっとその横顔を見つめるしかなかった。
*
その夜――
学園の資料室。静かな廊下を、アリシアは軽やかに歩いていた。
指先には、昼間リリィと話題にした古文書の目録が握られている。
(この文献……リリィが読んだはず。どんな顔をしていたのかしら……)
アリシアは資料棚の前に立ち、目録の文献を引き出す。そして、そっとページをなぞる。そこには、あのナイフ《ルージュの杯》についての記述があった。
――製作者不明。魔族との戦争で回収された呪具。
――持ち主に破壊と快楽をもたらし、文明を内側から崩す。
――魔術協会に持ち込まれたが、宝石を外そうとした作業員が自らの腕を切り落とす事件が発生。
――ナイフは2度盗難に遭い、現在行方不明。
「ふふ……全部、あなたが読んだのね? リリィ」
アリシアは頬を紅潮させながら、指先で文献を撫でる。
「震えながら読んだかしら。背筋を凍らせながら……でも、見なければならなかった……。愛しいわ、ほんとうに」
ページを閉じた指先に、ほんのわずかに血がにじむ。
それにさえ、アリシアは陶酔したように目を細めた。
「もっと……知って。もっと、震えて。そうすれば、あなたのすべてを“壊さずに”抱きしめられるわ」
資料室の薄暗がりに、誰もいないはずの空間で、アリシアの微笑が妖しく輝いていた――。