#02 わたくしだけが、壊していいのですわ
アリシア=フィオレット=グランヴェールは、今日も笑顔で教室の扉を開けた。
「ごきげんよう、皆さま。朝の空気、とっても清らかですわね♪」
その言葉と同時に、教室の空気がぱっと華やいだ。
花の香りがしたとさえ、誰かが呟いた。
ただ一人、リリィ=エインズだけが――その微笑みに、言いようのない“冷たさ”を感じ取っていた。
◇ ◇ ◇
あの夜から、リリィの中で何かが変わっていた。
上級生がまた一人、突如として学園から姿を消した。
教師たちは「実家の事情で退学した」と発表したが、信じる者はいなかった。
それでも、生徒たちは口を閉ざした。誰も、本当のことを口にしようとはしなかった。
――あの笑顔に、触れてしまったから。
リリィは、あの裏庭で見たものをまだ知らない。
でも、何かが起きているのは、確信していた。
「リリィさん、こちら、ご一緒してもよろしくて?」
放課後、アリシアはまるで日常の延長のように声をかけてきた。
「え……ええ、もちろん……」
ぎこちなく頷くリリィの手を、アリシアはそっと取る。
その指は柔らかくて、温かくて、なのにどこか――鉄の冷たさに似ていた。
◇ ◇ ◇
二人は校舎の外れにある温室へと向かった。
普段は使われていない、生徒でも滅多に立ち入らない場所。
アリシアは小さな白い花を摘みながら、穏やかに語りかけた。
「この子たち……花言葉、ご存知かしら?」
「えっと……純潔、とか?」
「正解ですわ。ふふ……リリィさんって、やっぱり素敵ですのね」
その言葉に、リリィは頬を赤らめる。
胸の奥が、苦しくなるほど高鳴る。
でも、その瞬間だった。
「……あの上級生のこと、どう思われまして?」
アリシアの声が、ふと低くなった。
リリィは息を呑む。
――なぜ、その話を?
「リリィさんは、お優しい方ですもの。あのような、弱き者を傷つける方が許せませんでしょう?」
「……それは、まあ……」
返事に詰まるリリィを、アリシアはじっと見つめた。
その瞳は、まだ淡いローズピンクだった。
けれど、ほんの少しだけ。ほんの一瞬だけ。
紅が滲んだ気がした。
「わたくし、どうしようもなく思ってしまいますの」
「え……?」
「“壊してしまえば、楽になれるのに”って」
アリシアは、笑った。
まるで、恋を語るように。まるで、祈るように。
「でも……あなたは、違いますわ」
「……わたし?」
「あなたは、壊したくないんですの。だから、お願いです――」
アリシアは、手の中から一振りのナイフを取り出した。
どこに隠していたのか、それはあまりにも自然に、あまりにも優雅に、彼女の手に収まった。
「この子が“欲しがって”しまう前に……わたくしに、“あなたのもの”になってほしいの」
リリィの息が止まる。
「……“わたくしのもの”になってくださる? それとも、切り落としましょうか♡」
◇ ◇ ◇
その夜。
誰もいない温室に、一輪の白い花が落ちていた。
そしてその隣には、紅い雫が、一滴だけ――
けれど、それは血ではなく。
ナイフに咲いた“微笑”の名残だった。