#01 赤い瞳の“聖女様”
この物語には、微笑みを絶やさないお嬢様が、人を壊します。
舞台は魔術がすべてを支配する学園。
おっとりとした彼女の手には、いつも小さな刃――
血を啜るナイフと、ふわふわ笑顔。
優しさと狂気が手を取り合う中、
彼女は“壊したくない少女”と出会ってしまいます。
甘く、危うく、どこか救いのない、そんなお話です。
……それでもよろしければ、どうぞお入りくださいませ。
魔術学園。
そこは、魔力こそが人間の価値とされる、この国の縮図のような場所だった。
貴族も平民も、すべての評価は“魔力の量と精度”で決まる。
力ある者は称賛され、弱き者は蔑まれる。それが当然だと誰もが信じて疑わない。
そんな歪んだ学園に、ある日、一人の転入生が現れた。
「ごきげんよう。アリシア=フィオレット=グランヴェールですわ」
ふわふわと揺れる金のウェーブロング、品のある白のリボン。
制服のスカートは一分の乱れもなく、指先まで磨かれた淑女の所作。
完璧な礼に、教室が静まり返る。
アリシアはにこりと微笑んだ。
その笑顔はあまりにも清らかで、まるで天使が人の姿を借りて降り立ったようだった。
「……うわ、あれマジ天使だろ……」
「ヤバ……声まで可愛いとかずるい」
ざわつくクラスの空気をものともせず、アリシアは淡々と空いている席へと向かった。
その一歩一歩が、まるで舞台の演者のように洗練されていて――
そう、誰もが“本物”だと感じた。
◇ ◇ ◇
それからの彼女は、まさに学園の中心となった。
魔術理論の授業では優等生、魔力制御の実技ではトップクラス。
そして何より、誰に対しても平等で丁寧な態度を崩さなかった。
そんな彼女に惹かれたのは、教師だけではなかった。
同級生たちはこぞって彼女に話しかけ、貴族の息子たちは競って花を贈った。
彼女の机は、常に小さな贈り物であふれていた。
だが、アリシアは誰に対しても笑顔で接しながらも、
特別に心を許すような素振りは一切見せなかった。
「ごきげんよう、リリィさん。今日もお変わりありませんこと?」
ただ一人、内気な平民の少女――リリィ=エインズにだけは、
ほんの少しだけ、微笑が長く続くように見えた。
◇ ◇ ◇
夜。学園の裏庭。
月明かりが、石畳に冷たい影を落としていた。
その影の中に、ひときわ異質な気配があった。
アリシアは、静かにナイフを取り出した。
柄に赤い宝石が埋め込まれた、美術品のように精緻な刃物――
だが、それはただの刃ではない。
カースダガー《ルージュの杯》。
血を啜り、呪いを囁く、意思を持つ凶刃。
「ふふ……今日も“お掃除”の時間ですわね」
アリシアはそっと目を閉じ、次に開いたとき――
その瞳は、紅く、妖しく、淡い光を宿していた。
「聞こえておりますわよ。あなたの“汚れた声”」
彼女の視線の先には、一人の男子生徒がいた。
高位貴族の家柄を笠に着て、弱い生徒を弄ぶことで知られた男。
魔術実技の時間にリリィを嘲笑し、魔力の火球を至近距離で弾けさせた張本人。
「な、なんだよ……お前、なんでこんなところに……っ」
アリシアは静かに歩み寄る。
にこりと笑ったその顔は、昼間の優しい“聖女”そのものだった。
「お黙りなさいませ、悪い子は。わたくし、お願いしましたわよね?
“謝るなら、今のうち”って」
足音。ナイフの煌めき。
男が逃げ出そうとした瞬間、空間がひずみ、彼の背後を闇が裂いた。
カースダガーの呪縛。
魔力が高い者ほど、深く、強く拘束される。
「う、動け……っ! な、なんだこれ……ッ!」
恐怖に引きつった男に、アリシアは一歩近づき、ゆっくりとナイフを持ち上げる。
「悪い子は、綺麗にしませんとね♡」
次の瞬間、彼女の姿がふっと霞み――
月明かりの下、赤い雫が花弁のように舞った。
◇ ◇ ◇
翌朝、学園は騒然としていた。
男子生徒が行方不明になったという噂が駆け巡り、教師たちはひた隠しに沈黙を守る。
その日も、アリシアは変わらぬ笑顔で教室に現れた。
「皆さま、ごきげんよう。朝の空気って、とても気持ちがよろしいですわね♪」
教室の誰もがその笑顔に安堵し、また、心を奪われる。
ただ一人、リリィだけが。
その微笑みの奥に、言葉にできない何かを感じ取っていた。