16.蒼衣
蒼衣はジムの出入りを禁止され苛立っていた。
通路までなら許されるが、頑として練習場の中にはいれてくれない。部外者禁止とのことだった。
が、邪魔な拓人も来ていない。
こちらは蒼衣への警戒によるものだと知れた。
蒼衣はいい仲でもある若衆に命じ、拓人の周囲を見張っている。隙あらば連れ出し、脅すつもりだったからだ。
どうやらそれを知られたらしく、大学への往復、朗が張りついている。
朗は千尋と同じジムに所属するプロ選手だ。一度、千尋がだめならと、朗にもさり気なくモーションをかけたが、軽くかわされた。
朗は前からジムに通っていたため、千尋と付き合っていた事も知っている。それが影響してなびかないのだろうと思った。
残るは千尋のみ。何としても落としたかった。その為には手段を選ばない。
今までもずっとそうしてきた。
千尋以外にも、付き合ったり、好意を抱いたりした相手の邪魔になる存在は、そうやって消してきたのだ。
もちろん、警察沙汰にはならないよう、うまく脅す。それで大抵去っていった。今回も同じ手で行くつもりだ。
千尋をあきらめたくない。
かなり熱を上げていた他の組の若衆に最近振られた。それもこっぴどく。
暴力を振るわれたわけではない。ただ、もう無理だとそう言われたのだ。男は将来有望で。父親より上に行ける人物だった。
ここ最近、モデルの仕事も俳優業もぱっとしない。普通にいれば、かわいいともてはやされるが、同業者の中に入れば紛れてしまう。この容姿だけでは飽きられてしまうのだ。顔の整形もこれ以上は無理で。
それなら、先を考えて手を打っておくのは当たり前。さっさとこの業界から足を洗って、楽をして生きたい。それも、皆が羨む生活を送りたいのだ。
だが、その有望な男に捨てられた。
男はすでに他に女を作っていたのだ。邪魔しようにも流石に手は出せない。そんなことをすれば、父親の立場も危うくなる。
仕方なく次に目を向けた。とにかく、見返せる相手を探したのだ。
そして、千尋が目に止まった。
聞けば将来有望なキックボクサーなのだと言う。他にも家具職人としての腕も持っているらしいが、そんなぱっとしない職など似合わない。そちらは辞めさせて、父親の財力を使ってプロを目指せばいい。
キックボクサーとして有名になった方が、華やかだしカッコいい。見栄えもするだろう。千尋ならそこそこ行くはずだ。
引退後は父親のつてで組の構成員になればいい。千尋ならきっといいところまで行くはずだ。
自分とのことは終わったのだと口にするが、弱い所を見せれば、きっと以前の様に放って置かないはず。
千尋の思いなど考えもせず、勝手に未来図を描く。
そうして、千尋に近づき今に至る。
いまだ千尋は自分に見向きもしない。外堀を埋めようと、わざと週刊誌の記者にも撮らせた。勿論、金を握らせて。
周囲の者たちは騒いだが、当の千尋は全く無反応で。
が、今は邪魔な拓人がいない。これも、蒼衣の遠回しの脅しが効いたからだろう。チャンスだと思った。
拓人がジムに現れなくなったのをいいことに、蒼衣は千尋の彼女同然にふるまった。
ジムのオーナーも、世話になった男の孫に、それ以上強くはでられず。振る舞いを咎められることはなかった。
千尋の練習が終わってロッカールームに向かおうとすれば、後をついて身の回りの世話を焼こうとする。帰り道、待っていて途中までついていく。
そんな、しつこさが功を奏したのか、ようやく千尋が口を聞いたのだ。
拓人が来なくなって、一週間以上、経った頃の事だった。
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「…蒼衣」
試合も迫ったある日、練習終わりにロッカールームの入口までついてきた蒼衣に、千尋は初めて振り返って声をかけてきた。
やっとかと一瞬、こころ浮き立たせるが。次のひとことで一気に雲行きがあやしくなる。
「俺が何も知らないと思ってんのか?」
「何が?」
あくまで知らないふりをする。千尋は蒼衣を見下ろすと。
「お前がいままでどんな手を使ってきたか。それに、俺と寄りを戻そうと言ってきたのには理由があるのもな」
「なにそれ。別に理由なんか──。好きだからに決まってるじゃん」
しかし、千尋はそれに首を横に振り否定すると。
「他の組の男に入れ込んで、振られたんだってな。それで、見返してやりたくて俺を選んだ。──それだけだ」
「そ、んなこと…」
「ないとは言わせない。過去、ほとんどそうだっただろ? お前は自分のことしか考えていない。お前は自分さえ幸せになればそれでいい、そう思ってる。相手は自分を引き立てる役割を果たせばいい。有望であればあるほどなおいい」
「……」
「──けど、俺はお前が思うほど有望じゃない。プロにはならない。そう決めてる。そうなればただの一般人だ。そうなった時、お前はまた利用価値の無くなった俺から興味を無くすだろう。──よくわかる」
「──っ」
「自分しか好きになれないうちは、どんなに相手を変えても同じだ。一生、本当の意味で充たされないだろう。…それにさえ、気付かず終わる可能性の方が高いだろうけどな。今の俺の言葉も届いていないだろ?」
「──そ、んな」
「俺はお前に利用されるつもりはない。どんな手を使っても無駄だ。いい加減、目を覚ませ。──でないと、後悔する事になる。これは警告だ」
あとは振り返らず、千尋はロッカールームへと入って行った。蒼衣はただそこに立ち尽くし手を握り締め身体を震わせる。
「──」
何も言い返せなかった。確かにそうだったからだ。
くやしい。
蒼衣に生まれたのは、その感情だけだった。
バカにして…。──許せない。
次の行動を起こすのに、なんのためらいもなかった。




