14.望むもの
昼も過ぎ、日も傾きかける頃、家に戻ると玄関先に千尋のスニーカーがあった。先に帰っていたらしい。
これから口にすることを思うと気は重い。
深く息を吐き出した後、玄関を上がってキッチンへと向かう。途中スーパーに寄って夕食に足りないものを買ってきていた。それらを冷蔵庫にしまうためだ。
キッチンへと続くドアを開けた所で。
「…拓人」
振り返ればリビングの向こう、夕日の差し込む作業部屋に千尋の姿があった。こちらに向かってくるその姿を認めると、胸が締め付けられる。
「ただいま…」
言ってから、俺は気合を入れるようにして気持ちを張ると、買ってきたミニトマトと牛乳、ヨーグルトを冷蔵庫にしまい、再度振り返る。
「お疲れ。──紡さん、どうだった? 椅子、運び込み手伝えなくてごめん」
なるべく平静を装ってそう口にすれば、千尋は手にした端末を振って見せ。
「連絡、した」
「あ! うそ、ごめん!」
俺は慌てて端末の居場所を探った。
確か持っていったデイパックの中に突っ込みっぱなしだったはず。腕時計もつけているため、時間の確認ならそれで済んでしまう。気がつけば放ってしまう事が多かった。
床の上に放っていたバッグからそれを取り出そうとすれば。
「心配した。…何かあったらって」
取り出しかけた端末を手に握りしめる。
「…大丈夫だって。今日は人のいる所しか歩かなかったから。やっぱり、休みの日は人が多いよね。人ごみ、苦手だからさ。疲れちゃった。千尋は? 帰りはどうしたの?」
「結局、また工房まで紡を送った。人使いが荒いんだ。どうせ予定もないからいいだろって…」
俺はきゅっと唇を引き結んだ。
予定は──あったけど。
紡は千尋と過ごしたかったのだ。それを知って遠慮してしまった自分が、情けないやら腹だたしいやら。すると千尋は。
「…今日は拓人といたかったから。何度か断ろうとしたけど、連絡つかなかった」
「──ごめん…」
俺と同じ、だった。
手に握った端末を見れば、千尋からの着信が山のように入っていた。と、千尋はこちらに歩み寄って隣までくる。
「済んだことはもういい。けど…拓人、なにかあったろ? ここの所ずっと、今みたいな顔してる」
「……」
千尋が頬に触れてきた。それだけで心が緩む。千尋が好きだと改めて思った。
なのに俺は──。
「…取り敢えず、今は夕飯作るよ。…話しはその後で…」
「──分かった」
千尋は真っすぐこちらを見つめてそう口にした。
✢
俺にとっては味気ない夕食を食べ終え、最後の洗いものも丁寧に布巾で拭き終えると。
「…考えてた」
キッチンのシンクのふちに手をついて口を開く。千尋は同じく最後に残った食器を棚にしまい終えた所だった。
「なにを?」
「前に──蒼衣さんにジムの前で会ったんだ」
「蒼衣に? 何かされたのか?」
詰め寄る千尋に、俺は首を振る。
「待ち伏せ、していたんだと思う…。その時、言われたんだ」
「なにを?」
「千尋が──家族が欲しいって言ったって。それは──自分の子どもが欲しいってことだって…。千尋は、ずっとひとりきりだったから…」
「それは──」
俺は力なく笑うと、口を開きかけた千尋を遮って、
「俺には、産めない。子どもなんて──作れない…。千尋の『家族』を作れない」
傍らに立つ千尋を見上げた。
「……」
「俺は千尋といられればそれで充分で…。──でも、それは俺の思いだけだ。今はお互い好きでいるけれど、きっと、近い将来、千尋は思い直す。家族が、子どもが欲しいって。それは──俺とじゃ無理だ」
「拓人…」
「千尋が俺のことを本気で好いてくれているのは、良く分かってる…。俺だって千尋が好きだ。別れたくなんて、ない…」
ぎゅっと手のひらを握りしめる。
できることなら、ずっとこのままでいたかった。俺はひたと千尋を見つめると。
「──けど、千尋。先を見てよく考えて欲しい…。本当に何を必要としているのか。ただ、寂しさを埋めてくれる相手じゃない、将来を見据えて付き合える相手かどうか──」
「…俺が、拓人をただの埋め合わせにしてるって?」
「そんなことは──ないけど…。でも、突き詰めればそうかも知れない。千尋には──本当に望んでる未来があるはずだ」
家族に囲まれ、笑いあう未来。
沢木と紡に囲まれ微笑む千尋。その紡との間に挟まれるように子どもが立つ。たまらず視線を逸らした。
「──んだよ、それ…」
千尋がこちらを見ているのが分かるから、視線を床に落としたままだった。
怖くて見られない。見たら、抱きついて、別れたくないと言ってしまいそうで。
「答えは──今すぐしなくていいよ。…しばらく、時間をおいて、考えてみて。大事な事だから…。今、言ったこと」
「拓人。俺は──」
千尋が何か言おうと口を開きかけた所で、端末が着信を知らせた。千尋のものだ。
千尋はしばらく出ようとしなかったが、鳴り止まないそれの画面をちらと見て、眉間にしわを寄せた。そうして、渋々それに出る。
「──はい。…いいですけど…」
千尋は話しながら作業場へと戻っていく。やり取りから相手が沢木だと分かった。仕事の話だろう。
「──分かりました」
しばらく話したあと、通話を切るとこちらに戻って来た。
「…拓人、これから沢木さんの所に行ってくる。どうしても急ぎの仕事があって、手が足りないらしい。──泊まり込みになるかも…」
「…そう。気をつけて」
俺は視線を床へと落とす。そこには紡もいるのだろう。
「──拓人。帰ってきたらちゃんと話そう」
俺はそれに答えず、ただ俯いたままだった。千尋のため息が聞こえる。
「…じゃあ、行ってくる」
それだけ言うと、千尋は後ろ髪を引かれるように家を出ていった。
✢
夕日は落ちたのか、部屋は薄暗くなり始めていた。
ひとり残された俺は、これからどうしようかと迷う。千尋の答えを待つ間、このままここにいては決意が揺らぐ。
帰ってきた千尋に抱きしめられでもすれば、きっと流されて、うやむやにしてしまうに違いない。
それなら──。
俺はひとつの決心をした。
その後、千尋が沢木の工房へ向かったあと。
俺は書きおきを残して、千尋の帰りを待たず家を出た。冷静になって考える時間を作る為、下した結論で。
今思えば、自分を見失っていたのかも知れない。すっかり自分の考えに固執していて、周りが見えていなかった。千尋の答えを聞くのが怖かったのもある。
要するに、千尋を信じきれていなかったのだ。
家を出る前、千尋の作った椅子の梱包を一つ解いて見た。
すると、中から柔らかい色合いの椅子が現れる。背が高くクッションもついたそれは、包み込む様で座ればきっと心地いいはずだ。
家具の事はよく分からないけれど、丁寧に作り込まれたそれは、作品展でも認められたのがうなずける。
教えて、欲しかったな…。
千尋いわく、たいした賞でなかったとしても、千尋が認められたなら嬉しいのだ。
一緒に、喜びたかったんだ。
椅子の脚をそっと撫でるように触れた。座るのは躊躇われる。そうしてしまえば、立ち上がることができなくなりそうで。
このイスに座って、千尋と二人、穏やかな時間を過ごしたかった。
千尋。──ごめん。
悲しむのは分かっている。
けれど、それも今だけだ。きっと千尋の隣には──。
紡の顔が思い浮かぶ。寂しさを胸に、家を後にした。




