11.それから
それから一週間。
朗に大学まで送り迎えしてもらったが、その間、これと言って変わったことはなかった。危険を感じる様なこともなく。
朗のおかげだと思うが、若干、拍子抜けした感もあった。
ただ、千尋の方は違ったようで。
千尋は言わなかったけれど、朗の話では千尋の練習日にだけ、ジムに蒼衣が顔を出していると言うのだ。
とは言っても、オーナーにダメ出しされているから練習場の中には入れない。大人しく守っているのは、これ以上千尋に嫌われたくないからだと言う。
それ以外は出入り自由だった。そのため、練習場からロッカールーム、シャワールームまでの廊下でべったり張り付いているらしい。
どうして、練習場以外の出入りは不問にしているのか、それには理由がある。
もともと、ジムのある場所は、蒼衣の祖父の持ち物だったのだと言う。先代のオーナーが蒼衣の祖父に気に入られ、土地を分けてもらい、今の場所にジムを建てた。
その後も蒼衣の祖父には世話になった為、その孫をむげにはできないらしい。
が、千尋の訴えもある。折衷案でギリギリ練習場以外は許可したらしい。
千尋は相変わらず無視を決め込んでいるらしいが、かなり鬱陶しがっているとのことだった。すっかり蒼衣は彼女気分で、千尋の世話を焼こうとするらしい。
その日、迎えに来た朗と大学に向かう道中、最近の様子を教えてくれた。
「あいつ。千尋のこと、将来有望だってオーナーが言ってたのを耳にして、余計に躍起になってるんだ」
「躍起に? どうして?」
「蒼衣とよくつるんでる女の子に聞いたんだ。最近、入れあげてた男にふられて、その腹いせにもっといい奴を探してんだって。──で、千尋に目をつけた。それで彼女になろうとしてるんじゃないかってさ」
「…そうなんだ」
「心配?」
朗がひょっと背を屈め覗き込んでくる。
「え? まあ…心配と言えば、心配だけど…」
家に帰ってきた千尋は、そんな目にあっているとは、ひと言も言わない。
ジムから帰ってきても、仕事から帰ってきても、すっかり疲れ切って拓人に甘えてくるのはいつものこと。
蒼衣のことはひとつも口にしなかった。話題にもしたくない──と言うのが、正直な所かも知れないけれど。
気を使ってくれているのかな?
言えば俺が心配するのが目に見えている。千尋ならあり得た。
「千尋は心配ないだろうなぁ。何があったって、ぶれるってことがない奴だから。むしろ心配なのは──」
そう言って朗はこちらを見てくる。
「なんだよ。影響されやすいって?」
「うーん。拓人さん、弱そうだからなぁ」
「そりゃ、千尋や朗と比べたら、体力的には強くはないだろうけど…」
精神的には、そこまで弱いとは思わない。千尋と出会った事で、だいぶ強くなれたのだ。朗は肩を揉みつつ。
「蒼衣は質悪いからなぁ。邪魔な奴はとことんまでやるから。千尋と付き合ってた時も、目障りだって、千尋のファンだった子、脅してた様だったし…」
「何されたの?」
「いや、なんか、髪切られたり服切られたり?」
「ほんと?!」
「後は家族に危害を加えるって脅したり…。もっとえげつない脅しもされたみたいだったけど。その子、ちょくちょくジムにきてたかからさ。様子がおかしかったら聞いたことがあったんだ。──で、そんな事があったって。しばらくして来なくなったな…」
「千尋、良くつきあってたなぁ」
今更ながら感心する。
「可哀そうだと思ったんだろ? きっと。自分ならなんとかしてやれるかもって。あいつ、やりそうじゃん? でも、結局そんな気遣いも無駄に終わったけど…」
蒼衣はそんな千尋をふったのだ。
「こうやって俺が送り迎えしてれば、早々手はだしてこないだろうけど。千尋がなんとかするまで、気をつけたほうがいいって」
「うん…」
千尋も時々、様子を尋ねてくるが、大丈夫だと答えている。
千尋もなるべく早く解決しようと思っているが、今はまだ様子を見ているのが現状で。仕事が忙しいのに加え、蒼衣の出方を見ているのもあるらしい。
でも、彼女。納得するのかな?
今までの態度や話しを聞く限り、どう言った所で、そう簡単に納得するとは思えなかった。
✢
「じゃ、また帰り」
「うん。ありがとう。また──」
大学へ続く道の前で朗と別れた。両端に青々とした葉を広げるケヤキ並木が続くそこは、大学に向かう学生であふれかえっている。
構内に入って講義棟に向かいながら、ふと千尋を思った。
千尋。今頃、オーナーの沢木さんや、先輩の谷さんにしごかれながら、頑張っているんだろうな。
沢木の工房の家具は、口コミで人気が広がって、大きなものになると、一年、二年待ちは当たり前なのだとか。
いつか千尋の作ったイスやテーブルが、誰かの家におかれることもあるんだろうか。
以前、誕生日プレゼントとしてもらったウィンザーチェアは、すっかり俺のお気に入りとなっていて、テラスに持ち出しては、本を読んだり、うたた寝をしたりする。
きっと、千尋は腕のいい職人になれるはずだ。
キックボクシングと家具職人。
なんとも相容れない職業同志にも思えた。いずれはどちらかを選ぶのだろうけれど、どちらの千尋も嫌いではない。
千尋が後悔のない選択をしてくれるなら、それが一番だ。
後悔──。
それで、ずっと心の奥にくすぶっている思いが湧き上がる。
子ども──か。
視線の先、仲良さげに手をつなぎ歩く、男女の学生がいた。
千尋が後悔するなら、それだろうか。聞きそびれて以来、確認する機会を失ってそのままになっている。
もし、今もそう思っているなら──。
このまま、千尋といたいと言うのは、俺の我儘なのだろうか。
千尋の人生を尊重したいと言いながら、自分を優先させている。そんな気がしてならなかった。
「拓人!」
元気な声に振り返れば、達生が大きく手を振ってこちらに駆けてくる所だった。
「おはよう。達生」
「おはよう──って、拓人。いまの奴って誰? 最近、行き帰り一緒にいるの見かけるけど。──言い辛いなら聞かないけどさ…」
今さっき、朗が去った方向を見ながら尋ねてくる。そうは言っても興味津々といった具合だ。取り敢えず、そのままを話す。
「ええっと、朗は友だちだよ。キックボクサーで。ランニングの途中で一緒になるから、話しながらここまで来るんだ」
当たり障りのない説明をする。
まさか、ヤクザに絡まれそうでボディーガードよろしく送迎を頼んでいる──とは言えない。そうなった理由も今のところ、話す予定はなくて。達生は得心顔で。
「へぇ、そっか。前に友だちがやってるって言ってたもんな? てかさ、カッコいいよな。体格もそっち系の感じだし…。羨ましいなぁ」
達生の言う『友だち』は、千尋の事だったのだけど、あえて訂正はしなかった。
達生は満足したのか、遠慮したのか、それ以上、突っ込む事はなく。
腕時計に目やれば、講義の時間が近づいていた。
「講義、もう始まる。──急ごう」
「あ! 本当だ。ヤベー、出欠厳しいやつだ!」
二人大慌てで講義室へと向かった。




