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鉄に触れている部分がジンジンとして、微かに痛む。
昔の魔女は鉄で火傷をしていたそうだけど、長い歴史の中で徐々に魔女は鉄への耐性を得ていったらしい。
今の魔女は鉄に触れても痛みは感じるが、火傷まではしない。だけど魔法は使えなくなってしまうという難点は、今も昔もそのままだ。
「魔女、妙な真似はするなよ。少しでも変な行動をしてみろ、その時はこの剣がお前の心臓を貫くからな」
フードを深く被ったままの私から、騎士さんの顔は確認出来ない。だけど剣先が私の胸のすぐそこまで突きつけられていることは分かった。
「乱暴はダメだよ。特に抵抗しているわけでもないだろ。お前が大きな声で店に入ったせいで驚かせたみたいだし、反省しなさい」
「いでっ! 隊長ひどいっすよぉ〜、俺初任務だから頑張ったのに」
悪い人達ではなさそう? というか、国の騎士さんが悪い人だったら困るわ。
「ねぇ、お嬢さん。君が魔女様で間違いないよね? これ見えるかな、国王の印が記された文書だ。私たちは国の命令で君を迎えにきた、お客様としてだ。だからこの手錠を外したいんだ、抵抗しないと約束してくれないか」
恐らく彼の言っていることは本当のことなのだろう。王都の町外れでおばあ様に育てられた私は、常識知らずだという自覚は多少なりともある。
その私でも、彼らが胸に掲げている紋章は知っているものだ。それに手錠を外してくれるなら、いつでも杖を取り出せる。杖され振るえれば、逃げることなど容易い。
国の命令だというなら、逆らう気はない。けれどそれが嘘だったなら即効で逃げてしまえばいいだけ。
返事はせず、ただ首を縦に振った。
「良かった、それじゃあ手錠は外すね」
「えぇ!? 隊長いいんすか、相手は未知の魔女ですよ。外した途端に殺されちゃうかもですよ!?」
「彼女はお客様だ、丁重に扱うべきだろう。お嬢さん、うるさい部下で申し訳ないね、悪い奴ではないんだけど……」
隊長と呼ばれている人は本当にいい人そう。
「あぁ、そうだ。いつまでも魔女様だとか、お嬢さんだなんて失礼だよね。よければ名前を教えて貰えないかな。ダメだったら、そのままお嬢さんと呼ぶことを許して欲しい」
名前……。
最後に名前を呼んでくれたおばあ様は1年前にに亡くなってしまった。母親は私がまだ幼いことろに病でなくなってしまったし、この1年間は誰からも名前を呼ばれてはいない。
お店に訪れる人は皆、私を魔女様と呼んでいた。
「名前、急に聞かれても教えたくないよね。お嬢さんと呼ばせてもう事になるけどいいかな」
私がまま黙ったままだったから、この人はどうやら勘違いをしたらしい。私が名前を教えたくないのだと……。
別にお嬢さんと呼ばれることに嫌な感じはしていない。それに今更弁解するのも面倒だ。
だから私は再び首を縦に振った。
王城へ到着し、私は騎士さんの後ろを大人しくついて行く。たまにすれ違う人達からの視線が痛い。まぁ、フードのせいしっかり周りが見えている訳では無い。だから視線は気のせいかもしれないけれど……。
慣れない環境に、これから何が起こるのかも分からない。
私は漠然とした恐怖に襲われていた。
広めの部屋に通されて、待つように支持を受けたけれど、心臓の鼓動が頭に響いている。
部屋にはソファが置かれているけど、気持ちが落ち着かない。そのせいで同じところを行ったり来たりと部屋をウロウロする始末だ。
――ガチャッ。
ドアの開く音が部屋に響いた。反射的にそちらを向けば、何人かが部屋に入ってくる。
そのうちの1人が迷わずに私に向かってきた。
「君が失恋を癒すという魔女だね。歓迎するよ」
好意的な言葉と共に、その人物は私の手を握った。
「痛っ!」
触れられた手に痛みが走った。突然の事に驚き、手を引っ込める。
怖い。どうしてこんな目に合わなければいけないのだろう。視界が滲み、鼻の奥がツンと痛んだ。
怖い、怖い、怖い――。
国からの命令ならば仕方ないと思っていたけれど、そんな事は頭の中から消え去っていた。緊張と恐怖に支配された脳は、もう使い物にはならない。
逃げ出したい。その気持ちが私の中から溢れ出す。
扉に向かって走り、ドアノブに手をかけた。
「ひゃっ」
ドアノブに触れた瞬間、また痛みに襲われた。手がジンジンとする。
痛い、痛いよ……。
逃げられない。
何処にも行けない、この後私はどうなってしまうのだろう……。
魔法を使えばここにいる人間はどうにか出来るけど、ドアノブに触れられないんじゃ逃げることが出来ない……。一体私はどうすればいいの。
身体からフッと力が抜けてしまった。
その場にヘタリ込み、最後の足掻きだと杖を手に持つ。
「大丈夫かい!? 突然触れて申し訳なかった。手は怪我していないかい?」
杖を振るうより先に掛けられた声。その声に私の手が止まる。
「君は魔女だと言うのに、僕はあまりにも配慮に欠けていたね、本当に申し訳ない。ドアノブも鉄の素材が入っていたなんて……、今まで気にしたことがなかったんだ。直ぐに手袋を用意するからね、そしたら触れても平気だろう」
声のしたの方へ顔を向けると、声の主かすぐそこまで来ていた。
「指輪はもう外したよ、だからもう触れても大丈夫だ。改めて君を歓迎するよ、僕はクリストファー・ウィンシェルトン、よろしくね」
クリストファー・ウィンシェルトン!? それって王子の名前じゃない。彼の名前を聞いたせいか段々と思考が鮮明になっていく。
国の命令でここへ来たというのに、なんたる無礼。目の前の王子からは怒っている様子は感じられないけど、自分の行為を恥じずにはいられない。
「どうか俯かないで。大丈夫だよ、顔を見せてごらん」
言われた通り顔をあげるけど、フードのせいで私の顔は隠れたまんま。
「失礼するよ」
クリストファー王子はそっと私のフードに触れる。そして、そのまま私の視界には光が注ぎ込まれた。
開けた視界に映ったのは、金髪碧眼のイケメン王子様。
「おや、随分と可愛らしい魔女様だね」
ニコリと微笑む彼の表情。その威力は実に凄まじい。イケメンの笑顔というのは、こんなにも眩しいものなのか……。