14
そっと手を握られた。私の腕を掴んでいたクリストファー王子の手が、私の手を包み込んだのだ。
「ルーナ、大丈夫だよ」
王子を見上げると、彼が滲んで見えた。目頭が熱くなるけど、溢れそうになる気持ちを必死に堪えた。
この涙の理由は、自分でもよく分からない。だけど、王子の優しい声を聞いたら自然と出てきてしまったの。
王子の視線がチラリと私よ手首へと向いた。
「ごめんね、痛かったよね」
私の手を握ている手とは反対の手が、私の手首を撫でる。
「いえ……」
こそばゆい気持ちに、私は思わず俯いた。
「クリストファー王子!」
「あぁ、リディナ。そうだった」
クリストファー王子の声色は、私を気遣ってくれたものとは全然違う声だ。
彼はテーブルの上に置かれた1枚の紙を手に取る。
「あっ、」
それと同時に、リディナさんがか細い声をもらした。
その声に私は目の前の彼女へと視線を向ける。すると、彼女悲壮に満ちた表情が私の視界に飛び込んできた。
「ルーナ、さっそくだけど仕事だよ」
「これって……だけど、彼女は」
クリストファー王子が私に差し出した紙は、感情を抜き出すことへの同意書だった。
そこには、リディナさんの名前が記されている。
私は反応に困ってしまう。
だってどう見たって、リディナさんが納得しているようには見えない。
「リディナ。君はちゃんと同意したよね?」
「……はぃ」
「ルーナ、この通りだ。同意は得ている。お願い出来るかな?」
これは仕事。私は契約書にサインをしたし、同意書にもサインはある。
クリストファー王子の依頼で受けた仕事なのだから、彼女の感情を抜き出すことに躊躇なんてしてはダメ……よね。
意を決して、私は杖を握った。
杖を振り、魔法薬をローブの中から取り出す。そうしながら彼女へ声を掛けた。
「リディナさん、目を閉じて深呼吸をして……もっと、大きく吸って……吐いて……」
魔法薬が彼女の周りにキラキラと漂う。
彼女の感情はなかなか落ち着かない。魔法薬の効果を少しずつ増やして、彼女の様子を見ていく。
しばらくして、ようやく彼女の感情が凪いだ。
私は集中力を高め、彼女の感情を探っていく。多くの悲しみのなかに、どす黒く赤いものが見つかる。
こんな色の恋心は、初めてだわ。
強く強く、執着するように、クリストファー王子を想っているのね。
私のお店へ足を運んでくれる人達は、みんな気持ちに整理をつけてから私の元へ訪れている。だからみんな落ち着いた恋心の色をしていたんだわ。
恋って………………。
私はゴクリと、唾を飲み込んだ。
杖をくるりくるりと振るう。淀んだ赤い色が彼女から抜き出されていく。
それを瓶へしまい。私は懐へと収めた。
「リディナさん、目を開けて。お加減はどう?」
瞳を開いた彼女は、何度かパチパチと瞬きを繰り返した。そしてクリストファー王子を見る。
「わ、たし……」
私の知らない反応だった。だって今までのお客は、感情を抜き取ってあげるとスッキリとした顔をしてくれたもの。
だけど、目の前の彼女は悲しそう。
「大丈夫、ですか?」
「えぇ、頭がスッキリとしているわ。気持ちも、軽い」
彼女はスっと立ち上がると、クリストファー王子へ頭を下げた。
「クリストファー王子、この度は無礼な姿を晒してしまい、大変申し訳ありませんでした」
「許すよ。だからもう下がって」
「ご厚情感謝致します」
リディナさんは再び綺麗な礼を見せると、部屋から去っていった。その背筋はピンと伸びていて、先程までの彼女の印象とは全然違う。
これが令嬢の振る舞いというやつなのかしら。
彼女の感情の大部分は悲しみに覆われている。それは、感情を抜き取ったあとの表情からも十分に読み取れた。
にも関わらずあの凛とした姿。
かっこいいわ。
それに比べて、私は本当に弱い。この仕事を受けることについて、何にも考えられていなかった。
戸惑いを、抑え込めない。
今までは失恋をした気持ちを抜き出して来たけれど、今回は違うんだ。
クリストファー王子が同意を得るとは言っても、令嬢達が心からそれを受け入れてくれている訳ではないんだわ。
「ルーナ」
優しい声。名前を呼ばれただけなのに、沈んでいた気持ちがふわっと掬いあげられるような、そんな気がしてしまう。
だけど……。
「……クリストファー王子」
「ごめんね、ルーナ」
視線をあげると、いつもあるのは微笑む王子の姿。なのに、今回は違った。
彼の親指が私の目尻を拭う。
どうして貴方がそんなに悲しそうな、顔をするんですか。
王子、貴方の依頼でこの仕事をこなしたの。だからせめて貴方は喜んでくれないと……。
私は仕事を失敗したの……?
私は、人を悲しませたくてこんなことをしているんじゃないのに……。
どうして。
「あぁ、ダメだね。悲しんでいる君を前に、気の利いた言葉の1つも出てこないなんて。……普段はこんな事ないのに」
王子は席を立ち、私を置いて部屋から出て行った。
すると、頬に暖かいものが伝った。
それを拭ってくれていた人は、もうこの場から立ち去ってしまった。その事実が、また私の頬を濡らした。




