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それでも生きてるだけで良いさ

作者: ロイ

深夜0時、身体中が燃えるように熱かった。電気をつける気力も無いほど、身体が気怠かった。

辛うじて食べた柑橘系のゼリーはざっと1時間前に飲んだ薬と一緒にもどしたばかりだ。普段、我慢していた冷房をつけ、暑さを紛らわす。それが余計に喉の渇きを促していたようだが、そこに気づく余裕もなかった。

今年26になった。大学院を卒業し、博士を中退し、研究職に着いた。仕事の無理が祟ったのだろうか。冷蔵庫に入れていた麦茶は既に飲み干し、ダンボールで買っていたペットボトルもいつのまにか空になった。

身体中が暑く肺の下辺りがとても痛い。

ベッドで横になっていると呼吸が苦しく、床に座り込み、椅子にもたれ掛かりながら、呼吸を整えていた。

喉が渇く。あまりにも辛い。これはおかしい。


ペットボトルに水道の水を入れ、飲む。

明日、タクシーで病院に行こう、そう決意して病院を探す。

何か変なものを食べただろうか。仕事で無理しすぎたか。ストレスだろうか。もしくはその全部か。

携帯を見てるのも辛い。

嗚呼、どうしよう。救急に連絡するか。

否、もしかけて大したことがなかったら。

そんなことを考え続けていたら3時を回っていた。

良くなることはなく、より一層の熱さが身体を巡り、悪寒までもする始末。汗は止まらず、寝ることも出来ない。

これは寝たら死ぬと本能的にわかっていたのかもしれない。

不安な心を押しとどめ、電話をかける。

「…すみません。」


聞き慣れた音と共に15分程で救急車はやってきた。その時はまだ歩けたので自分で救急車に乗り込んだ。

症状を、確認され熱を測ってもらう。

熱は39度であった。

幸いにも病院が見つかり、受け入れてくれた。

病院につき、もう一度熱をはかった時は面白い事に40度を超えていた。人生初の40度越えだった。

そのあとは様々な検査をした。

同意書を2枚ほど書いた後、レントゲン、採血、CT、心電図など色々な検査をして、気がついたら朝の7時を過ぎていた。


結果、検査入院となった。どうやら心臓の動きが悪いらしい。

財布に1万5千円しかないのにどうしようか、そんなことを考えていた。

車椅子に乗せられ、エレベーターを上がり、病棟に連れていかれ、ベッドに寝かされる。

初めての経験だったが、そんなことを考えている余裕は途端に無くなった。

ベッドに入ってからだった。

寒気が止まらず、呼吸が苦しい。

あ、これ本当にやばいやつだ。そう自覚した。

心苦しかったが、人生初めてのナースコール押した。

永遠とは言わないが、人が来るまで本当に長い時間のように感じた。

来たのは看護師ではなく、ドクターだった。

「これから手術します。」


そう言われた。


先生が何を言ってるのか、理解出来なかった。

手術って何?

安静にしてて治らないの?


疑問点を考えるのにリソースをさくことが出来なかった。

悪寒と震えに苛まれながら、ベッドに寝かされたまま手術室に移動させられた。

ただただ、息を吸うことすら苦しくなっていた。

移動した先はドラマで見るような重苦しいところではなく、人が結構いる所の奥だった。

ベッドで寝かされながら、人がいる所を通り抜けていったのを覚えている。

そこにあるベッドに寝かされ、先生と若い研修医のような人が話していた。

これから手術をするから色々と準備がいるらしい。

その間にマスクをつけられ、空気を送られ始める。

だが、いくら吸っても辛さは無くならない。

「尿カテーテルをつけます。」

そう言われた後、すぐに呼吸が苦しくなり、喉の奥から何かが込み上げてきた。

「ちょっと待って。」

そう言いながら寝ている状態から身体を起こした。

そして口から何か赤いものを吐いた。


その記憶を最後に僕は意識を失った。


目が覚めた。

その表現が良いのか疑問だが、ベッドの上にいた。

ガラス越しに父母や兄妹、祖父母がこちらを見つめていた。

わざわざ東京まで来させてしまった。

そう思っていたが、違った。そもそも第三者視点だった。

僕はまだ寝ていた。

僕が運ばれた先にガラス貼りの壁なんてなかったし、なんで大学時代の友人がいるんだ。祖母だって脚が悪いのに東京に来れるはずがないだろう。


ああ、これ夢か。

そう自覚した後に上を見上げると、真っ暗な黒が広がっていた。

どこからともなく生まれてくる息苦しさに命がこぼれ落ちてくのを直感的に感じていた。

走馬灯のような記憶のフラッシュバックを何周も何周もして、正直辛さしかなかった。

大学時代が濃密だったから死ぬほどそこを見せられて、その情景に縋り付いた。


死にたくない!死にたくない!死にたくない!


本当に心の底からそう思った。

人生でこれまで一度もここまで思った事は無かったし、これからもここまで感じることはないだろう。

楽しいことを思い浮かべて、想像した。

自分の思うようにできる明晰夢のような感覚。

一瞬が永遠のように感じる暗闇の中で、終わりの分からない闘いをしていた。


その終わりを告げたのは雷のような衝撃だった。

腹の辺りから身体全体へ広がるように目を覆うような衝撃が1回、2回、徐々にその衝撃は大きくなり、3回目で弾けた。


目覚めたら手術台の上だった。


首の辺りを触られていた。

「ここら辺でいいか。」

そう話していたので僕は頷いた。

「意識があるのか。」

それに頷いていたら、途端に苦しくなった。

何処かとおくで、「クロロホルム」という言葉を聞いて、また目を閉じた。


2度目の目覚めで一番最初に目に入ってきたのは眩しい光だった。


腕と足が固定され、動けないようにされ、管が死ぬほど繋がれていた(正確には9本くらいだったが)。


意識が薬で朦朧としていたし、喋ることも出来なかった。人工呼吸器をつけ、胃に直接栄養を送るための管が入り、エクモとインペラを装着し、首に管が刺さっていて、血管に薬を送るための管が4本くらい刺さっていて、尿カテーテルも着いていた。

所謂、フルカスタム装備だ。文字通り笑えなかった。

僕が動かせたのは両手のみでグーチョキパーしか出来なかった。3日後くらいにそれも出来なくなった。


右腕がコンパートメントしたのだ。血液をサラサラにするための薬を入れていた為、右手に刺していた管を抜いても血が止まらず、内出血を起こした。

切開すれば、治ったかもしれないが、血が止まらなくなるため、右手を治療することは出来なかった。


もう右手は動かないかもしれないと言われた。


真っ黒な部分や黄色くなっている部分が主だったが、当時は曲げることも出来なかった。


絶望して泣いた。


でも、生きてるなら良いやと1週間経って思うようになった。


病名は劇症型心筋炎だった。

心臓が急に機能低下し、死に至る病気だった。

文字通り、心臓が止まり、除細動器を5回してもらったようだ。

3回までしか衝撃を覚えていないから、最初の2回は意識が全くなかったのだろう。


幸い、心機能は回復の兆しをみせ、エクモとインペラは取り外され、人工呼吸器も抜管してもらった。


1番生きてると実感したのはやはり抜管してもらった時だろうか。


自分で呼吸出来ることの嬉しさは何ものにも変えられないことを理解した。


そしてそのあと飲んだ麦茶の喉を通る感覚は一生忘れられないだろう。


僕みたいに突然心臓が止まるなんてことが起きる事もある。僕のこの病気もウイルスだけじゃなく、ストレスによる可能性があると主治医に言われた。


日常に疲れて、仕事に疲れて、人間関係に疲れて、それでも頑張って生きてる人に。


生きてるだけで良い。

生きてるだけで偉い。


後、最後に転生は無かったっぽい。

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