(08)
僕がいつもまず向かうのはモリタフーズ。地元特産牛の串焼きを出している屋台。目の前で牛串を炙ってくれる。
忘れているかもしれないけれど、モリタの牛串はとても旨い。
向かう途中で知り合いに会うと、手を振って挨拶をする。相手が1人の場合は立ち止まって話をすることもあるけど、誰かと話し中だったりするときは手と目で挨拶だけしてそのまま通り過ぎることが多い。
炭火焼きの匂いとうっすら上がる白い煙。屋号を書いたのぼり旗と暖簾がモリタの目印だ。たどり着いたら待ちの列に並ぶ。まずはモリタ。いつもこんな感じ。僕にとっての切り替えスイッチだ。
焼き台に並んで焼かれている牛串は、縦横3から4センチくらいの大きさで1枚1枚を薄く切ったステーキ肉。それを1本の串に6枚ほど、平たく並べて刺してある。
ジュワジュワと焼ける音が、列に並ぶ僕の位置までときどき聞こえてくる。なかなか進まない列の中で、足を半歩だけ前に進めてまた戻した。
順番がきた。こちらを見て「何本?」と聞く店主に人差し指を立てながら「1本」と答える。肉汁が垂れ落ちるのを注意しながら僕はそれを受け取った。無数の肉汁の泡がプチプチと聞こえそうな勢いで弾ける。
本当はビールも注文したいところだけど、スタジアムには車で来ているからここは我慢。鉄道網が充実しているとはいえない地方なだけにスタジアムの近くに駅はなく、僕の自宅も駅から遠くて日頃の交通手段はもっぱら車だ。
試合の後の飲み会に参加するつもりで来るときなどは、バスを使うか場合によっては妻が車で送ってくれる。そんな日は屋台村でビールを飲めるけど、飲んだ状態で応援したときはなんとなく勝率が悪い気がする。
「ダイスケさん?」
牛串の先の何枚かを口の中へ引き抜いたところで呼び掛けられた。今度はカオリさんだ。今日は普通にユニフォーム姿。僕も挨拶をしつつ残りの肉を一気に頬張る。やっぱり旨い。
「邪魔しちゃいました? 慌てなくていいから、ゆっくり食べてくださいね」
カオリさんはそう言って笑顔を向けるけど、目の前に美人が現れたらゆっくり食べてもいられない。何度か噛んだ後でそれをゴクンと飲み込んだ今は、口の中に残った旨味だけをゆっくり内緒で味わっている。
「今1人ですか?」
そう聞かれてひとりだと答える。僕は基本的にいつもひとりだ。
「福さん復帰みたいで、良かったですね」
「ほんとそうです。良かったです。って言うか、僕が福さん推しだって知ってたんですか?」
「そりゃあ、知ってますよ。福さんのゲーフラの画像をSNSに投稿してたでしょ? あの似顔絵がとても上手でびっくりしたの。作るの頑張ったんだろうな、って伝わってきたから、あの投稿はよく覚えてます」
「そう言われるとめっちゃ嬉しい。めっちゃ頑張って作ったんですよ、あれ」
突然で何を話せば良いのか分からず緊張したけど、福さんの話からゲーフラの話になって、割りとスムーズに会話ができている気がする。僕は美人が苦手だ。話をするときに緊張してしまう。
「カオリさんは? 1人? 観戦はいつも旦那さんとですよね?」
「ええ、夫も来てますよ。でも最近は屋台村では別行動が多いんです。一緒にいることもあるけど」
「あ、そうなんですね?」
僕が意外に思ったことを察したのか、カオリさんがその理由を教えてくれた。
「だって、食べたいものだってそれぞれ違うでしょ。会いたい人も違うし。スタジアムに来たときくらいは自由でありたいと思ってね。だからここでは、それぞれ好きなように過ごそうっていう取り決めなんです」
なるほど。そういう考え方もあるのか。
「それ、カッコいいですね」
素直にそう思った。
「カッコいいとかじゃなくて、私も夫もそのほうが楽しめるから」
そう言って、右手に持っていたカップのビールをグビッと飲む。そして左手に持っている包み紙の中のコロッケをひとくち噛る。
「ダイスケさん、ビールは?」
そう聞かれて今日は飲めないことを話す。自分の車で来たことを少しだけ後悔した。