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「ちょっと待っててくださいね」
そのとき哲也さんはそう言うと、持っていたカメラでベンチに座っている福さんを撮って、それを僕に見せてくれた。僕が美紀のほうを見たことに気づいてか、カメラを寄せて美紀にも見せる。間に座っていた裕太も画面をのぞき込んだ。
「うん、そう、この人、やと思う。髪の毛の感じとか雰囲気とか、お店にいらっしゃったときとはちょっと違う気がするけど」
画面を見た美紀がそう反応した。サッカー選手は髪型や髪の色を頻繁に変える人が多い。スタジアムで見る姿と私服のときとでは、雰囲気が違って見えたりするのだろう。それでも体つきはがっしりしていて大きかったりするから、普段の生活の中でも選手は少し目立ってしまうんじゃないかと思う。
「福さん、いつもはスタメンなんですよ。でも最近はオーバーワーク気味なんで、今日はたぶん少し休ませるためにスタメンを外れたんじゃないかと思います。試合の状況によっては後半のどこかで出てくるかもしれません。ハーフタイムになったらサブの選手が練習に出てくるはずなんで、福さんがボールを蹴ってるところを見れると思いますよ」
哲也さんが言ったとおり、福さんはハーフタイムでピッチに出てきて練習し、その日の試合には後半の途中から出場した。最初はどの選手が福さんなのかがよく分からなかったけど、ハーフタイムのときには哲也さんが教えてくれて、試合のときには背番号の8を目で追いかけた。試合で福さんが得点するような分かりやすい活躍はなかったけれど、相手のパスをカットして味方のピンチを防いだり、味方でパスを回してボールを動かすときの中心にいたりと、福さんがボールにふれるシーンをたくさん見ることが出来た。
その中でも特に凄いと思ったのは、1回だけ福さんが蹴っためちゃくちゃカッコいいパスがあって、「おおっ!」と思わず大きな声が出たほどそのパスに心が躍った。低い弾道で速く真っ直ぐ伸びるパス。野球でよく聞くレーザービーム。ボールは選手たちがいる狭い隙間を鋭く抜けるように一直線に通って、タイミングよく飛び出した味方の選手の足元に届いた。
「うわっ、惜しい!」
パスを受けた選手が放ったシュートは相手のキーパーに弾かれて、ピッチの外へと転がっていった。
「南ちゃんへのナイスパス。あのスルーパスが福さんの持ち味なんですよ。他にも相手の頭の上を越して届くやつとか、動きながらちょこんとさわるだけの優しいパスとか、ゲームメイクの状況に応じて福さんはいろんな種類のパスが蹴れるんです。福さんといえばパス。あの左足から放たれる正確なパスが凄いんです。今のあのパスはエロいです」
嬉しそうに笑って哲也さんがそう言う。ドリブルとかパスとか、見る人の目を釘付けにするような技術の高い魅力的なプレー。サッカー観戦ではそれをエロいと表現するということを、僕はそのとき初めて知った。
この日の試合は確か引き分けで終わったんだと思う。決着をつけるための延長戦とか、さらにPK戦があるかもしれないと思って僕はワクワクしたけれど、そのまま終わって肩透かしをくらった感じになったことを思い出した。
「福さんはいい選手ですよ。ほんといい選手が立花に来てくれたと思って感謝してます。次の試合はたぶん、またスタメンで出てくるんじゃないかと思いますよ」
福さんが良い選手だと言われて安心したというか、僕はちょっと嬉しくなった。本当に単なる偶然だったけれど、これは美紀のお手柄だと思った。
あの日のこれが哲也さんとの出会い。本人の前では照れくさくて言えないけれど、僕にとっては今に繋がるとてもスペシャルな出会いだった。