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ピッチに戻って行った選手たちは、左右2つのグループに分かれてウォーミングアップを始めた。右側のグループがスタメンで、サブの選手は左側。福さんは左側だ。短い距離を軽く走って往復したり、両足の膝を交互に素早く上げ下げしてから、勢いよくダッシュしたりしている。福さんも他の選手と同じく軽快な動きで、ひとまず安心といったところだ。
「そういえばさっき拓海君に会ったよ。すれ違いで遠目に手振っただけやけど」
安心できたところで雑談タイム。哲也さんをちらりと見ながら僕がそう言う。
「何か見た?」
僕のテンションが高いことに気がついたのか、哲也さんが意味ありげな反応をした。少しニヤけているように思える。哲也さんが座ったのを見て僕もシートに腰をおろした。
「見た見た。っていうか、哲也さんも見たの?」
「見たよ。俺は思いっきりすれ違った」
目が合った。やはり哲也さんはニヤけている。照れ笑いなんだと思う。
「拓海君が女の子と2人でって、珍しくない? 初めて見た気がする」
「ほんと、そうやて。今日は俺、会う人みんなに『見たよ』『見たよ』って、めっちゃ言われたもん」
「2人とも顔が広いでそうなるよね。っていうか、今日連れてくること哲也さんは知っとったの?」
「うん。昨日の夜に拓海が急にそう言い出して。スタジアムで会ってもスルーな、って」
知らないふりをしてほしい、という意味だ。
「そりゃあ、こっちもスルーやよね」
「そりゃあ、そうやて。会って挨拶とかされても、俺もなんて言っていいか分からへんもん」
「拓海君、彼女おったん?」
「いや、本人が言うには違うらしい。まだその手前の状態なんじゃないか? っていうのが嫁さんの推測。最近ちょっと怪しいなって、嫁さんは少し前から思っとったらしい」
恋愛が始まる前のドキドキやらワクワクやらをなんとなく思い出して、僕もなんだかソワソワする。前に拓海君に直接聞いたときには彼女はいないと言っていた。「いないんすよ」と答えたときの苦笑いした表情を覚えているから、こういう話が出てきたことが嬉しくて密かに応援したくなる。さっきは冷やかしに行かなくて良かったと思う。若いっていいな。ちょっと羨ましい気もする。
「家でそういう話、するの?」
哲也さんと拓海君は、家ではどんな感じなのだろうか。
「嫁さんとは話すよ? 拓海とはほとんど何もしゃべらん。だから情報はいつもだいたい嫁さん経由。父親と息子なんてそんなもんやろ? サッカーのことくらいかな、拓海と直接話すのは」
予想通りの答えが返ってきたのに違う答えで上書きされて、哲也さんと拓海君との間に、サッカーという共通の話題があることを羨ましく思った。僕と裕太との間にはもうほとんどなんにもない。
「でも凄いね。俺が拓海君なら自分から彼女をここに連れて来ようとはたぶん思わん。親と鉢合わせするとか絶対に嫌やし、他にも知り合いがたくさんおって恥ずかしいし」
気兼ねのない相手との会話のときは、僕は自分のことを「俺」と呼ぶ。
「相手の子のほうが、来たいって言ったらしいよ」
「サッカーが好きな子なの?」
「そういうわけでもないらしい」
「ほんなら相手のほうからのアプローチ? 拓海君からじゃなくて」
「そこまでは知らんけど、そうかもね。あいつ本当は割りと奥手やで。自分からはなかなかよう行かんみたい」
「ああ、分かる分かる。拓海君ってモテそうな感じなのに、そういうところが勿体ない。今はいいけど初めて会ったときなんか、こっちから話しかけてもほとんど何にも喋ってくれへんかったもん」
そう言いながら思い返して記憶をたどる。哲也さんたちとの出会いは5年前。我が家の家族が初めて試合を観戦したあの日だった。