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スタジアムの中を楕円に囲む観客席のうち、サッカーゴールの後ろ側、曲線を描いた楕円の弧の部分にあたる全体がゴール裏と呼ばれる区画。ホーム側とアウェイ側、それぞれ最も応援が盛んな場所だ。中でも特に熱いのはゴールから真っすぐ後ろにいる人たち。同じゴール裏でも中心部に近いほどその熱量は大きい。
「さあ頑張ろう!」
龍さんの声が聞こえて僕は中心部に目を向けた。トラメガ越しの龍さんの声。トラメガというのは電動式のメガホンで、マイクのすぐ先にスピーカーがあるハンディタイプの拡声器のこと。龍さんは立花の応援を指揮するコールリーダーだ。いつものように1人だけ高い踏み台の上に立っているから、僕の場所からでもそのサングラス姿がよく見える。
「今日は絶対勝たなあかん。残り全部勝って俺らもJ2に上がるんや。頑張って声出そう。勝てる雰囲気を作ろう。選手を押すぞ。みんな頼むな。今日もよろしくお願いします」
最前列でフェンスを背にして周りのみんなを見渡しながら、身を乗り出すような前傾姿勢でトラメガを持って呼びかける。全ての言葉が僕の場所まではっきり聞こえたわけじゃないけれど、龍さんが言ったのは大体そんな感じのことだったと思う。それに対して拍手が上がる。勝ちたい気持ちをみんなにぶつけて、みんなの熱い気持ちをさらに大きく引き出すのだ。カッコ良くて憧れる。ほんとに龍さんは凄いと思う。
「みんな、いいか、いくぞ!」
龍さんの煽りに反応して、「おう!」という声がまた上がる。明るく元気な声というより熱さを纏った勇ましい声。男性のほうが多いけど、女性や子どももちらほら見える。そこにいるほぼ全員が既に立ち上がっていて、まったりしていた先ほどまでとは明らかに空気が違う。中心部はもうすっかり臨戦態勢だ。
満を持して、チャントの合唱が始まった。龍さんが曲の最後のフレーズを歌って、他のみんながそれに続いてその曲の頭から歌い出す。チャントというのは応援歌のこと。今日の1曲目は僕が大好きな曲だ。歌い始めの合図の時にはトラメガを使う龍さんも、今は選手のほうを向いてみんなと一緒に自分の声で歌っている。有名な曲のサビの部分で歌詞を応援用に替えたもの。それを何度か繰り返して歌う。僕も歌う。哲也さんも歌う。大きな声で手を叩きながら歌う。
声と手拍子に並走するのはリズム隊の太鼓の音だ。僕らに勇気を与えてくれる。力強いタムの重低音は僕らの気持ちを前へと進め、軽快に躍って跳ねるスネアとシンバルは遊び心を加えてくれる。たくさんのスイッチが1度にまとめて入った感じ。心が躍って忙しく震える。この感覚がとても気持ちいい。