(28)
ゴミを捨ててから戻ってきた和美さんと合流して階段の下まで進んだ。屋台村に降りるときにはスロープだったけれど、スタジアムに戻るときには階段を使う。それを上がった先の再入場ゲートで、僕は係の人に右手の甲を差し向けた。係の人が自分の片手で僕の手の上に影を作り、そこに小さな懐中電灯のようなもので光を当てる。そのとき何かが映ったのが見えた。やっぱり今日も大丈夫。そして僕らは再びスタジアムの中に入った。
メインスタンドに向かう2人は、このまま真っすぐ行った先にあるスタンドに上がる階段を登る。ゴール裏のスタンドに向かう僕は、その階段の手前で左に曲がって通路を壁沿いにさらに進む。
その前にふと、視界の中に拓海君の姿が映った。哲也さんの息子の拓海君。僕は歩きながら拓海君に向けて大きく右手を上げてみた。この距離で僕に気づくかどうかは分からない。
「知り合い?」
立ち止まってそう聞く和美さんに、僕は「うん」と答える。陽一さんも立ち止まってくれた。
「私らのこと気にせんで喋りに行ってええよ。どうせ階段のとこでお別れやし」
和美さんの心遣いを嬉しく思ったのと同時に、僕に気づいて拓海君が立ち止まったのが分かった。僕に向かって手を振って会釈する。本当にいい子だと思う。
その拓海君に合わせて立ち止まった人がいた。女性だ。これは珍しい。普段は友達同士、男ばかりで連れだって歩く姿をよく見かけるけれど、同年代の女の子と2人で歩く姿は今までに見た記憶がない。優しそうな感じの子。彼女なんだろうか。
「僕も時間ないし、向こうは連れがいるみたいなんで、今はやめときます」
拓海君が近寄ってこないことを確認した僕は、そう言ってまた歩き始めた。
隣にいる子がどんな子なのか、正直に言って気にはなる。拓海君に詳しく話を聞いてみたいというのが本音だけど、今はそっとしておいてあげたほうが良いかもしれない。追及や冷やかしはまた今度会ったときにすることにした。
「ダイスケさんはゴール裏やろ? 私らここからメインに上がるで」
メインスタンドに上がる階段の手前。お別れのときが来た。
「試合が終わったら私ら福ちゃんのファンサ待ちしてそのまま帰るから。ダイスケさんがファンサ来るならまた会えるかもしれへんけど、まずはここでお別れ。ほんならまた。頑張りや!」
ファンサというのはファンサービスのこと。試合の後で送迎のバスに乗り込む選手たちを待って、選手にサインをお願いしたり、並んで写真を撮ってもらったり話したりする。僕は試合の後のファンサ待ちはあまりしないほうだ。
「いろいろありがとうございました。頑張ります」
J2昇格に向けた応援のこと。妻や子どもたちとのこと。仕事のことだってそうだ。僕には頑張らないといけないことがたくさんある。
誰かのせいにするんじゃなくて、僕自身が自分で変わらなきゃいけない。
とりあえず今はまず今日の試合に勝つことに集中しよう。来年また阪奈FCと対戦できるように、和美さんたちとスタジアムで会えるように、その場で美紀を紹介できるように、今日の応援を頑張ろうと思った。