(26)
「ところでさぁ……」
そう言いながら和美さんは鞄の中に手を突っ込んだ。肩からかけていたはずの手提げの鞄は、ズルっと肘までずれ落ちてきている。
「これ、食べてくれへん?」
取り出したのは何かが入ったビニール袋。よく見ると、中にはラップに包まれたホットドッグが入っていた。
「どうしたんですか?」
「屋台村で買ったの。カツとサーモンを1つずつ。2人で先にカツのほうを半分こして食べてんけど、めっちゃボリュームあってもう食べれん。手は付けてへんで、ダイスケさん食べちゃってくれへん?」
「サーモン?」
「そう。サーモンドッグ。もう私ら腹パンパンで」
サーモンは大好物。なかでも美紀が料理に出してくれる焼き鮭が大好きだ。たまにやるムニエルやホイル焼きも好き。家族で回転寿司に行ったときには、これまたサーモン好きな息子の裕太が僕の分も合わせて2皿ずつ取ってくれて、生サーモンや炙りチーズなど、いろんな種類でテーブルの上がサーモンづくしになる。
意外なことに、回転寿司でサーモンを目にしたときの裕太の僕への対応は、関係がぎくしゃくしている今でも以前とあまり変わらない。継続は力なりだ。幼い頃からの習慣は子どもたちが難しい年齢になったからといって、簡単に失われるものではないのかもしれない。
「これってあそこの、あの屋台のやつですよね?」
僕は密集している辺りの屋台の1つを指差して言った。
「そうそう」
下島珈琲店。僕にとっては念願で幻のホットドッグだ。試合ごとにメインの素材を変えて作るこの創作シリーズは人気があって、僕がスタジアムに到着する頃にはいつもとっくに売り切れている。
「貰っちゃっていいんですか?」
「ええよ」
「でも1つ全部は多いです。半分とかならいけると思いますけど」
「分かった。ちょっと待ってな。――うわっ、めっちゃ変になってもうた」
和美さんはサーモンドッグを2つに割って、綺麗に割れずにグチャグチャになってしまった約半分の、見た目の良いほうを僕にくれた。
「パパ、この半分食べれん?」
まだ返事をしていない陽一さんにグチャグチャなほうの半分を渡そうとして、
「やっぱり私もちょっと食べよ」
そう言いながらさらに2つに割って、大きいほうを陽一さんに手渡した。和美さんの手に残ったほうは、形が完全に壊れて野菜が崩れ落ちそうになっている。
和美さんは上にはみ出した野菜を唇で拾って口の中に入れてから、1口目をかじった。
「うわー何これ! めっちゃ美味しい! サーモン旨いしパンも柔らかい」
そう言って左手の指を舐めた。形の崩れをスピードでフォローし、さらに美味しそうな食べ方をする。
「マジ旨いって。これどこのサーモンかな? いいの使ってるよね。脂が乗っててパサパサしてない。時間経ってるのにめっちゃ美味しい」
絶賛である。旨いと美味しいを繰り返している。3口目でなくなった。
「ダイスケさんも食べてみ! 美味しいよ!」
言われて僕も食べてみた。ほんとだ旨い。サーモンがとってもジューシーで、レタスや玉ねぎはまだシャキシャキしている。
さすがは下島珈琲店。売り切れるのが早いはずだ。裕太にも食べさせてあげたいと思った。
商売を拡げるためのアイデアを常に考えているやり手のマスターと、それを支える元気な奥さんが営む珈琲店は立花サポにも人気で馴染みが深い。屋台村でもお店を出したいというのがご夫婦の念願だったけど、早々とそれを叶えて昨シーズンから屋台を出している。
試合当日に屋台の店番を担当するのは奥さんだ。本当はみんなと一緒に試合の応援をしたいと言うけれど、屋台があるから直接の応援には参加できない。
「でもいいの。みなさんのことを応援するのが私の仕事。私はサポーターのサポーターだから」
そう言っていつも元気に屋台に立っている。人気の秘密はきっとこの心意気にもあるんだと思う。