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「おったおった」
聞き覚えのある声が耳に届いて僕ははっと我に返った。慌てて壁から背中を離して声の方向に顔を向ける。当たりだ。和美さんと陽一さんが、こちらに向かって歩いてくるのが分かった。
屋台村の端。最後の屋台から少し離れたここはもう、南門まですぐの場所。門に面した隣の道路を車が行きかうのが見える。門のほうから人がつぎつぎ歩いてくるけど立ち止まる人は少なくて、この辺りは屋台が密集する中心部ほどには騒がしくない。中心部に向かう人たちとのすれ違いで、和美さんたちが近づいてきた。
中本和美さんは茶目っ気がある元気なおばちゃん。ニコニコしながら僕に軽く手を振っている。何年か前に還暦を迎えたはずで年齢は僕よりずっと上だけど、孫はいないからまだおばあちゃんではないらしい。
その後ろから遅れて歩いてきた陽一さんは、「やあ」と言っていそうな感じで軽く右手を上げている。物静かで熟年の落ち着きを感じさせる穏やかな人。僕もいずれはこういう穏やかな雰囲気を纏えるようになりたいと思う。
僕も2人に近づく。軽く右手を上げ、意識して大きな声で挨拶をした。
今日の対戦相手である阪奈FCの青色のユニフォーム。2人とも下にはジーンズをはき、首には青いタオルマフラーを巻いている。マフラーのように細くて長いこのタオルは、得点チャンスのときなどに振り回してチームを勢いづける応援グッズだ。チームカラーは違うけど、僕も同じ格好をしている。これはサポーターによくあるお馴染みのスタイルで、スタジアムでの正装と言ってもいいだろう。
「こんなとこで、何ひとりボーッとしてたん?」
そう言いながら首を傾げて僕の顔を覗き込む和美さんに、どう反応しようか迷う。和美さんは勘のいい人だ。僕が感傷的になっていたことに既に気づいているかもしれない。
「歩き疲れたんでちょっと休憩してました」
そう言ってみた。ごまかせているかどうかは分からない。でももういい。和美さんを前にしてグズグズと考えていたら、イライラさせて怒られそうだ。和美さんのペースに上手く乗れれば落ち込んだ気分も元気に変えられるだろう。気遣いが細やかなくせに、それを見せずにポジティブのかたまり。他人のことをよく見ていて、優しいことも厳しいことも両方をちゃんと言える。僕は和美さんをそういう人だと思っている。ヒョウ柄が好きかどうかは分からない。
「さっき、女の人と喋っとったやん?」
そう言われてびっくりしたけど、たぶんカオリさんのことを言っているのだと思う。僕を見かけたのなら声をかけてくれれば良かったのにとも思ったけど、カオリさんと話し込んでいたあのタイミングでは声をかけづらかったのかもしれない。
「その後どこ行ったか分からんくなって。メッセージ送ったけど既読にならんし。そろそろピッチ内練習の時間やろ? もう1回探して見つからんかったら諦めてもう中に入ろかって言うてたとこ。その前にぎりぎり会えて良かったわ」
僕は慌ててポケットからスマホを取り出した。この辺りにベンチはないから、さっきからずっとここで立ち話だ。
「メッセージ? ほんとや、全然気づいてなかった」
ピッチ内練習というのは試合の前に選手がピッチに出てきて行う練習のこと。ウォーミングアップのためでもあるけど、芝生の長さだとかボールの転がり具合だとか、ピッチの状態を試合の前に選手が確認するためでもある。確認した結果で判断して、選手によっては試合で履くスパイクを変えたりする場合もあるそうだ。
僕はいつもピッチ内練習が始まる時間までには応援席に戻るようにしている。福さんに宛てたゲーフラを掲げて応援するためだ。
「で? 奥さんはどないなったん? 昨日の話でほんまに奥さん連れてきたんか思たけど、さっきの人は違うんやろ?」
やっぱりその話になった。