(22)
あのときは本当に驚いた。
僕が美紀と出会って結婚し、真帆と裕太が生まれてから何年も後のこと。古い棚を処分するため中のものを整理していたとき、偶然にも僕が父の手記を見つけた。父の死からは15年くらいが経っていた。
書かれていたのは父の感情。姉や僕が生まれてとても嬉しかったこと。子育てに対する迷い。良い父親でありたいと願う気持ちと同時に相反する不安な気持ち。
日記を書くようなノートではなく、広告が載ったチラシの裏が白い紙だったり、綴じられていたはずのメモ帳の束から切り離されたペラの紙だったり。たぶん几帳面なほうだったんじゃないかと思う父にしては、意外なことに紙の大きさはバラバラ。書いた時期も順番もよく分からない。お世辞にも上手いとは言えない汚い文字で、父の色んな感情が書きなぐられていた。
『俺は字が下手で恥ずかしかったから』
それが父の反省で、姉と僕が幼い頃から習字教室に通った理由だということは、そう聞かされた記憶があって知っていた。それでもここまで父の字が汚いということは、たぶん僕が子どもの頃でも知らなかった。
字だけでなく愛しかたも下手だった父に、僕は本当は愛されていたのかもしれない。そう思った。似ていたのは顔だけじゃない。そう思った。
愛しかたも愛されかたも下手くそで、家族と上手く向き合えずに苦しんでいたこと。整理できない自分の気持ちを、言葉にしたくて書き綴ってしまうところ。
父は僕と同じだった。僕は父と同じだった。
支配関係でなく恐怖の対象でなく、ひとりの人間として父ともっと話してみたかったと思う。もっと父のことを知りたかったと思う。
お互いに尖っていた頃は無理だったかもしれない。だけどもう少し、もう少し長く生きていてくれたら、それが出来るようになる時期が訪れることもあったかもしれない。
生きていたならそれはそれで嫌だったり、大変だったりすることもあっただろう。それでも許したり許されたりして今より少し気が楽になれて、僕は僕自身のことをもう少し好きになれていたかもしれない。
そう思った。
あのときそう思ったはずだった。
僕は今、真帆や裕太や美紀にとって、良い父親や良い家族になれているのだろうか。あれからもうずいぶんと長い年月が経ったのに、僕がやっていることは今も中途半端でブレブレなことばかり。僕は何も変われていない。成長を自分で止めてしまったままだ。
『親のせいにしとったらあかんて。自分が変わらんと』
篤志の言葉が今もなお痛い。
そう。
裕太を殴ってしまったことをぐちぐち考えて、自己嫌悪に陥っている場合じゃない。僕は僕の父親と同じだからこそ、そういう負の連鎖を僕がここで断ち切らないといけない。今まで出来ていなかった分、美紀や真帆や裕太と、今はちゃんと向き合わないといけない。
そう思う。
『やっと分かったか。そんで今からお前、どないするん?』
篤志なら、またそうやって偉そうなことを言いそうだ。
でももし本当に今そう聞かれたら、今はまだちょっと困る。