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父が本当はどんな人だったのか。それをあまり考えたことがなかった僕にも知る機会が訪れた。
1つ目は父の3回忌。法要が終わって親戚の人たちと食事をしているときのことだ。
「真っすぐで危なっかしくて、手のかかる人やったね」
父の妹である僕の叔母が父を偲んでそう言った。
「あのときは大変やったな」
父の2人の兄がそれに続き、さらにそこから長兄であるほうの伯父が僕に父の昔の話をしてくれた。
役者を目指して父が家を出て行ったこと。その後で父の父、つまり僕の祖父によって父が連れ戻されたこと。祖父が創業して長兄の伯父が社長を勤める工場で、2人の伯父や他の従業員の人たちと一緒に父も働くことになったこと。
知らないこともあったけれど、大筋は僕も何となく知っている内容だった。役者を目指していた頃の仲間との写真を父が見せてくれたことがあったし、工場は幼い頃の僕や姉やいとこ達との遊び場でもあった。三男だった父はどんなに頑張っても序列が伯父たちの下であり、いつもいろいろと悔しい思いをしていた、ということを僕は幼いながらになんとなく理解していた。お酒を飲んで不機嫌になる父が、祖父や伯父たちに対する不満をよく口にしていたからだ。
そのせいか、伯父の話を聞いているときの僕はとても不思議な気持ちだった。父が言う不満を聞いて育った僕は、どこかで伯父のことを悪人のように思っていたのだと思う。ところが伯父は僕がそれまで思っていたイメージとは違って、愛おしそうに懐かしそうに、とても優しい口調で父のことを僕に話してくれた。
思い出話の良いところだけをさらに美化して話しているのかもしれない。その一方で、色んな不満は父の思い込みからくる勝手な被害妄想で、父は本当は家族から愛されていたのかもしれない。どちらもあり得る話だ。
夢半ばで連れ戻された話は事実のようだから、父に悔しい気持ちはあったのだと思う。分かり合いたくても言えなかったのかも知れない。でも意固地にならずに祖父や伯父たちと向き合っていれば、父はあそこまで苦しまなくても良かったのかもしれない。そんなふうにも思えた。
父がどんな人だったのかを知る2つ目の機会は、父の手記を見つけたときだった。