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友達の存在も救いだった。
家にいるときが最悪だった分、学校は楽しくて好きだった。「大輔はいつも楽しそうでいいな。悩みなんかなんにも無いやろ?」と、中学のときにクラスの友達からそう言われたほどだ。それほどまでに僕はいつも楽しそうだったらしい。悩みがないと決めつけられたことに内心は少しイラっとしたし、「そんなわけないやろ」と反論したい気持ちはあった。でも学校が楽しかったのは本当だし、他人からも楽しそうに見えているのならそれでいいかとも思った。聞いても詳しく教えてくれなかったけど、その友達にも家での悩みがあったようだ。
その一方で、自ら闇を晒してしまったこともあった。
高校生のとき、休み時間だったか放課後だったか、クラスの男子3人で親の愚痴を言い合っていたときのこと。みんなそれぞれ似たようなもので、その年代なら誰でも親への不満はある。互いにどんな話をしたのか、僕がどこまで喋ったのかはちゃんと覚えていないけど、僕のはみんなよりも少し闇が深かったらしい。僕の話ぶりを見て、「いつか親のことを刺すんじゃねえの?」と心配されたことを覚えている。事件にならずに済んだのは姉のおかげだ。
大学時代に出会った篤志の反応は、それまでとは少し違って鋭く厳しいものだった。
「親のせいにしとったらあかんて。自分が変わらんと」
仲良くなってからずいぶん経ったときのこと。僕が自分の性格のダメなところを嫌って自分自身を否定した時に、篤志が僕に向かってそう言った。あいつには、いろんなことがバレていた。
篤志は僕と同じ大学の同級生で、軽音楽部のバンド仲間でもあった親友だ。僕がベースで篤志はドラム。篤志のようには上手くなれなかったけど、僕がドラムを少しだけ叩けるようになったのは篤志が教えてくれたおかげ。気分転換にいつでも部室のドラムを叩きに行けるよう、僕も自分で買ったスティック2本を通学用の鞄に入れていた。
出会いは確か、篤志の「ここ空いとぉ?」から始まったのだったと思う。入学してすぐの語学の授業で、2人掛けの机の隣に座ってきたのが篤志だった。
「どっから来たん?」
「それ何県?」
「ひとり暮らしなん?」
「彼女おる?」
などなど僕に対する質問が続いて、
「部活とかサークルとか、何か入る?」という話になった。
初対面であっても直感的に苦手だと思うタイプでなければ、僕もわりと普通に会話は出来るほうだ。僕のほうから話しかけることも多いけど、篤志に関しては僕よりさらに輪をかけて気さくによく喋るやつだった。
生まれ育った地域性もあるのか、篤志は僕とは違って喋りが上手くて面白い。篤志と仲良くなれたら大学生活も楽しく過ごせるような気がした。
僕が軽音楽部に入るつもりだと言ったら、篤志はその偶然をすごく驚いた。ライダースの革ジャケットに、色は黒くて短かったけどツンツンの髪型。いかにもバンドをやっていそうな風貌の篤志とは対照的に、僕は特には目立たない田舎育ちの童顔な少年。音楽性が一致するようには思えなかったけど、篤志は僕のギャップを面白がった。そして僕自身は、上手く篤志に調子に乗せられ明るいキャラでいられるときの自分が、なんとなく心地よかった。
僕らはその日のうちに軽音楽部に見学に行って、そのまま入部し一緒にバンドをやることになった。思い付いたらすぐ行動。それが篤志の凄いところで僕が憧れるところだった。少し雑だと思うところもあるけど、心は熱くて意外と優しい。篤志のおかげで僕はその先もたくさん楽しい思いをすることが出来た。
実はお互いに無い物ねだりだったらしい。深く考えずに行動して後から反省することが多い篤志は、周りをよく見て考えてから動く僕に、自分に無いものを感じていたようだ。とは言っても僕の場合は単に臆病だっただけで、それほど深く考えているわけじゃなかったということが、後のち篤志にも次第にバレていくんだけど。
そして僕は篤志によく叱られた。
理想の自分を追い求めているとか偉そうなことを言いながら、現実が目の前に来たらすぐに誰かのせいにするか自分を否定して言いわけばかりで、問題の本質とまっすぐ向き合おうとしない僕。
「親のせいにしとったらあかんて。自分が変わらんと」
あれはそんな僕に対して向けられた言葉で、あのときはそれが僕にズバッと刺さった。篤志はときどき僕の保護者を気取るかのように、自分のことは棚に上げて僕に偉そうなことを言う。そういう篤志も僕を叱りながら、実は自分自身に言い聞かせているということに僕はうすうす気がついていた。
「親のせいにしとったらあかんて。自分が変わらんと」
あるとき僕が同じことを言ってやったら篤志にもそれが刺さったようで、どうやら僕が言われたとき以上に彼には痛かったらしく、そのとき篤志はブチ切れた。仲良くなってはケンカして、深くなってはケンカして、篤志とはそれからずっとの腐れ縁だ。