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今日はここから  作者: いのくちりひと
第3章
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 僕の父は厳しい人だった。

 僕が社会に出てから恥をかかないようにと、子どもの頃からしつけには厳しかった。「社会に出てから」という言葉を小学校のまだ低学年の僕に本気で使うような人だった。確かにそのおかげで僕は根っこのところはそれなりに真面目で、形だけでも礼儀正しい振る舞いができる人になれたとは思う。それでもやっぱり育てられかたは決して良いものではなかったと、今でもそう思っている。

 子どもの僕にとって、父はとても怖い人だった。僕がとった行動や結果が父の望むものと違っていれば、父は露骨に不機嫌になり怒り出す人だった。

 例えば僕が小学校に入学して、初めて夏休みの工作に取り組んだときのこと。父はきっと最初は機嫌良く話しかけてきたのだと思う。でも結局怒られたという記憶しか残っていない。たぶん工作が上手く出来ずに僕が途中で嫌になったか、考えが変わって違うものを作り始めたりしたのだろう。子どもだもの、親が期待した通りに物事が上手く進むとは限らない。だけど父はそういう僕を許せなかったのだと思う。今考えると、それを許せるだけの心の余裕が父にはなかったのかもしれない。

 僕に対してだけじゃなく、父はいつもいろんなことに不満を抱えていた。母とはよくケンカをしていたし、気に入らないことがあるとお酒を飲んで家族に八つ当たりをしていた。普通はお酒を飲んだら楽しくなると思うけど、父はなぜか不機嫌になる人だった。だから昭和の時代のちゃぶ台返しは、僕の家でも珍しいことじゃなかった。懐かしのスポ根アニメを題材にしたテレビ番組でときどき話題に上がるやつ。思い通りにならないことに腹を立てた頑固な父親が、食卓のテーブルを食器ごと弾き飛ばすあれだ。

 最近のニュースでよく聞く事件の虐待とはまた種類が違うと思いたいけど、それでも僕はよく怒られてよく殴られた。僕は父のことが嫌いだった。褒められた記憶は出てこない。僕が今でも自分に自信を持てない理由は、いつも父の怒声と罵声を浴び、否定されて育ったからなんだと思う。

 ついでに言うと、母のことも嫌いだった。母は心配性な人だった。母親だもの、自分の子どもを心配に思う気持ちは分かる。でも母の心配性は自分本意で、僕の気持ちを見ていなかった。

 小さい頃の僕はよく覚えていないけど身体が弱くて死にかけたり、小学校の高学年のときには担任の先生に反抗して父が学校に呼び出されたり、いつも母には心配ばかりかけて確かに僕もいけなかったかもしれない。

 でも母がいつも僕にかける言葉は、心配性という度を越えてとてもネガティブだった。その先に楽しいことが待っているというときでも、言葉で僕を後ろから引っ張っていつも僕の邪魔をした。僕が無意識に自分で自分にブレーキをかけてしまうようになった理由は、母のネガティブな言葉を浴び、否定されて育ったからなんだと思う。

 こんな環境で育った僕は、当然のことながら自己肯定感が低い。それでも救いだったのは家族で言えば姉の存在で、これは僕にとって本当に大きかった。学年が1つ上の姉は僕より強くて明るくて、親からの当たりが僕よりきつい場面もあっただろうに、僕にはいつも優しくしてくれた。


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