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ひとりでスタジアムにいて気分を変えたいとき、以前の僕なら喫煙所に行くことが多かった。試合の前半が終わって負けているときはなおさらで、後半が始まる前のハーフタイムの間に喫煙所に行く。そこでタバコを吸いながら誰かと雑談することで気分を変える。
百害あって一利なしと言われるタバコでも、僕にとっては精神安定剤のように思えるときがあった。そういう薬を実際に使ったことが無いから本当のところは分からないけど、ほっと気持ちを落ち着けられるような効果はタバコにもあるような気がした。
屋台村にいてもタバコを吸いたくなるときはある。喫煙所に仲良く話せる相手がいなくても、タバコを吸いながら知った顔に挨拶するだけで、なんとなく少し気分が変わる。必ずしも良い方向に変わるとは限らないけど、まずは落ち着こうと思うことはできた。
昔から僕は落ち込んだ気分を自分ひとりで切り替えるのが下手くそで、いつも誰かを巻き込んで助けてもらう感じで生きてきた。寂しがり屋で甘えん坊で優柔不断で本当はわがまま。楽しいときには舞い上がってすぐ調子に乗るくせに、何かトラブルがあったときには自分が悪かったんじゃないかと考えて、自分で自分を責めてしまうところがある。友達が言うには僕は他と比べて感受性が強いらしく、自分の中では喜怒哀楽すべてにおいて感情の起伏が激しかった。
巻き込まれてくれる友達からすると、僕はそれなりに面倒くさいやつだったんだと思う。僕のことを良く思わない人もいたけど、周りの友達はわりとみんないいやつだった。僕が面倒くさいということを知ってからでも僕の感受性を大切にしてくれたり、先輩などは生意気だと言いつつも憎めないと言ってむしろ可愛がってくれたりした。僕は本当に今まで周りの人に恵まれてきたんだと思う。
タバコを吸わなくなった今、屋台村で知り合いがいなくてひとりのときは、ぶらぶら歩くかとりあえず食べる。カオリさんとの会話から逃げ出した直後なだけに、今は誰かと話したい気分じゃない。ひとりでいたいわけじゃないけど、気持ちの中を他の誰かに見られたくなかった。
「はい、コロッケね。落とさんように気を付けてね」
僕が並ぶコロッケ屋の行列。その先頭で、小学校の高学年くらいの男の子が店頭のおじさんからコロッケを受け取っていた。内側が耐油性になっているポケット状の包み紙。男の子はそれを両手で大事そうに持ちながら、おじさんに向かって大きな声でお礼を言う。
「はい、ありがとうね」と、おじさんはその男の子に対してお礼のお返しでもう一度声をかけた後、「お父さんにもね」と言って男の子の隣に立つ父親らしき男性にもコロッケを渡した。その男性はおじさんに頭を下げながら、次に進む方向を男の子に対して手で示す。そうして親子と思われる2人は行列から離れていった。
懐かしいような、羨ましいような。遠ざかる大小2つの背中に面影を重ねる。僕もかつては息子と2人、あんな感じだったんだと思う。