孤立無援2
サムとメーレが退出した後、部屋にはロゼとヴァーグマン、黒装束の男、傭兵らしき数人の男が残された。
先程まで申し訳程度に浮かべていた笑みを消し、ヴァーグマンはロゼに近づいてきた。
「あなた自身の力ですからね…………これだけは教えてあげましょう。神力の同調性には未だに謎が多く、私たちが行おうとしている「融合」もその一つの使い道でしかない。他の魔素や神力に干渉する性質や、御使いのような者の戦闘能力を増幅させる性質…………相性が良ければ、神力を通して心に干渉することもできるかもしれない。ああ、本当に無限の可能性というのは素晴らしい!あなたは選ばれた人間なのですよ、ロゼ=シュワルツェ。御使いになれるような膨大な神力をその身に宿し、なおかつ自身よりも大きな神力や魔素とも同調できる…………――――民間人で同調性のある者を何人攫ってこようが、あなた一人には叶わない。それだけの価値がある!」
次第に声を荒げ目を輝かせ始めたヴァーグマンは、どうやら研究狂いの気質まであるようだ。ロゼを今回の実験に使うだけでは飽き足らず、様々なことに利用するつもりらしい。神殿の御使いを誘拐するというだけで、神殿からの追及があることは必至だということは想像に難くない。それでもロゼを連れ去る利点の方が大きいという事だろう。
「神力を封じなさい、サジ」
ヴァーグマンに命じられ、黒装束の男―――サジと呼ばれた男――がロゼに歩み寄った。その手にあるのは、神力封じの首輪だ。
以前と同じ状況、加えて今は孤立無援。
「……………以前に比べて大人しいな。そのまま抵抗しなければ痛い目には―――………っ」
印を組みロゼの喉元に首輪をはめようとしたサジが近づいた、その瞬間。ロゼはドレスの長い裾に隠していた短剣で後ろ手に縛られていた腕の縄を切り、男の腹部目掛けて切っ先を振り上げた。瞠目したサジの腹に吸い込まれるような刃の軌道に、手ごたえを感じる。しかし短剣が腹部にめり込んだ瞬間、ギィンと耳障りな金属音が響いた。どうやら腹に熱い金属板を仕込んでいたらしい。
「っこのっ、」
思わぬ逆襲に怒りをあらわにしたサジが、ロゼの短剣を握る腕を掴み身体を壁に叩きつける。壁に衝突する直前に半円の防壁を張ったロゼは、その勢いのまま壁を蹴破った。木造の薄い壁は脆く、容易く風穴を開けることができた。穴をあけた瞬間、眩い月光がロゼの視界を白く染め、思わず目を細める。
ロゼのいた部屋は二階だったらしく、出た先で空中に身を投げだしたかたちとなった。背後に男が迫る気配を感じながら宙を跳躍し、近くの木へと乗り移る。足掛けとなるある程度太い幹に狙いを定め着地したロゼの足を、ぐいっと大きな腕が掴んだ。
「逃がすと思うか。天下の御使い様とはいえ、この数相手に立ちまわるのは骨だぜ」
ロゼの足首を掴み地獄に引きずるがごとく引っ張るサジは、飛距離だけで木に乗り移ったらしい。その身体能力には目を見張るものがある。
サジが言ったとおり、ロゼの立つ木の下には既に数人の傭兵たちが待ち構えていた。
「はは、諦めるなら今のうちだ。俺の主人はあんたに血を流してほしくないらしいからな………今なら、このほそっこい足を折るだけで我慢してやるよ」
ロゼの足にぶら下がったまま、にたりと笑いを零す男。その酷薄な笑顔は残忍な本性を現している。ロゼを怖がらせるためか、足首を握る手の力が更に強いものとなる。今度はロゼの両足を掴み、ずり上がってきた。
大きな両手がロゼを掴み、捉えようと這い上がってくる。全身を舐めまわすように見る、悍ましい視線。好奇なさまを隠そうともしないその眼は、どうやって目の前の得物を甚振るかを考えているようだった。
絶望を与えようとする男を――――――ロゼは見下ろし、笑った。
「――――諦める?……この程度のことで。私が両親を見捨て、保身に走ると…………本当にそう思っているのですか」
普段決して丁寧な言葉遣いを崩さないロゼが怒りをあらわにすることは、滅多にない。フランチェスカが評価したとおり、彼女は御使いの手本のように正義感溢れる優しい性格だ。その分、彼女がその苛烈さを表した時ほど恐ろしいものはない。ましてや目の前の男は、親友を傷つけ致命傷一歩手前まで追い詰めた男だ。誘拐され招待状が届いてからずっと、身の内にあった焔を表に出すには十分な引き金だった。
淡い月光を背後に笑うロゼに、サジは一瞬這い上がる動きを止めた。この状況で笑う目の前の少女の顔は月光のせいで陰影が濃く、口角が上がったところしか男には見えなかった。それゆえに、不気味に見えた。
一瞬動きを止めた直後、浮遊感が男を襲う。掴んだロゼの両足はそのままだ。…………彼女が飛び降りたのだと、急速に遠のく空を見ながらサジは理解した。
突然の落下に驚き手を緩めたサジを、ロゼは空中で振り落とした。まるで何か物を遠くに蹴り飛ばすように、胴体を軸に小さな身体を捻り、弾き飛ばす。ふぉんという風のうなりと共に回転したサジの大きな体は、下にいた傭兵たちへと斜めに突撃していった。
下の土が柔らかかったのか、茶色を帯びた土煙が舞い上がり、男達の咳き込む音が周囲に響き渡る。土煙の中一人無事に着地したロゼは、目を覆い走り出した。
木の上から見た周囲は、森と呼んで遜色ない程に木が茂っていた。恐らくこの場所は拠点の端、周囲に広がる森に接する場所なのだろう。先程脱出したぼろ屋の後方に本館があるはずだ。
「あっちだ、追え!」
直ぐに再起した男達が追ってくる。
彼らを引き連れたまま両親の救出に向かうのは、逆に危険に晒してしまうだろう。そう判断したロゼは、開けた広い場所を探し視線を巡らせた。ぼろ屋の隣、木が伐採され中途半端に拓かれたような場所があった。
「行かせるか!」
剣の振り下ろされる気配に、片手に持っていた長剣で防ぐ。先程の土煙の中で、傭兵の一人が腰に佩いていたものを拝借したのだ。武骨で大きな剣はよく研がれていて、刃の状態も悪くない。本音を言えばもうすこし細身の剣が良かったが、今はそう言っていられる状況でもなかった。
追ってきた男の腹に刀身をめり込ませ、気絶させる。ロゼの身体能力では気絶させられるほどの威力は出ないが、風を纏わせれば造作もないことだった。
騎士道精神など持ち合わせていない傭兵たちは、ロゼの隙を突こうと一斉に襲い掛かってくる。しかし統率が取れているわけではないようで、ロゼの避けた一撃が仲間に当たりそうになり、互いに悪態をつく場面も見られる。
避けることは、ロゼは得意だ。新人隊では特に防衛に力を入れて討伐に参加していた。加えて、ゼルドの進撃を幾度も経験してきたロゼにとっては、彼の実力の百分の一にも満たない者が烏合の衆で襲い掛かってこようとも、数を相手にした戦い方さえ学んでいれば問題はなかった。
しかし誤算はどこにでも生じるもの。
ロゼが危険視していた男は、サジだけだった。ぼろ屋で見た限り、明らかに実力の違いを見て取れるのは彼だけだったからだ。
同時に襲い掛かってきた五人の傭兵を倒し、息を荒げたままサジを見据えるロゼの背後から、ふたつの影が飛びかかってきた。
「…………っ」
襲い来る得物を間一髪で避ける。地面には、鎖のついた鉄球のような黒い球が深々とめり込んでいた。その鎖がびぃんと張り、地面から引き抜かれ主の手元へと戻る。
「へへ、たぁいしたお嬢ちゃんだ。御使いとはいえ、まだ若くて食べごろのかァわいい子がねぇ。ねぇ、サジ、この子俺らで食っていい?いいでしょ?」
「そんなことは俺じゃなくヴァーグマンに聞け。まあ、実験に支障が出ないなら構わんと思うが」
「やったぁ!ねぇ、シャサ、君はどれがいい。足?腕?それともあの柔らかそうなほっぺ?」
「迷うね、カンザ。俺はあの健康そうな足を、口いっぱいに頬張りたいよ」
にやけ面をした少年二人は、ロゼと同い年くらいに見える。月に照らされた肌は透き通るように白く、長めに伸ばされた金の前髪から覗く翡翠のような瞳も美しい。生き写しのような少年二人は、よく見れば片方は長い髪を後ろ手括り、片方は短髪だった。………………芸術品のような美しさをもつ、少年二人。しかしその瞳は不気味なほどに爛々と輝き、猫背で低姿勢のせいか野生に近いものを感じる。
「ねぇサジ、あれは君の得物?俺ら二人で倒しちゃダメなの?」
「構わんぞ。まったく、お前らの趣味趣向は未だによくわからねえな。お前らが雇われで短期間の間だけといっても…………一緒にいるってだけで虫唾が走る」
完全に双子に任せるつもりらしいサジは、一人近くの木に凭れ掛かった。静観の態度を決め込むつもりらしい。ロゼは双子を警戒しながらも、ぼろ屋の方に視線を巡らせた。先程からヴァーグマンが、ロゼの開けた穴からこちらを覗いている。木にもたれ闘う気のないサジを見ても叱咤の声を飛ばさないのを見るに、彼はある程度信頼されているらしい。この様子から、サジが一時の雇われでないことは確かだ。
「ねぇねぇ、かわいい子。君は食べられるならどこがいい?」
気味の悪い笑いを浮かべながら、双子が近づいてくる。話しかけたのは長髪の方、シャサと呼ばれた少年だ。
「そもそも、捕まる気はありません。それにあなた方の主人が、私の血肉が損なわれる行為を許すとも思えませんが」
「あれ、勘違いしてるよ?僕たちは君の肉を食いちぎりたいわけじゃない。ただ、かわいい子の弾力のある肉の感触を口で味わいたいだけ。まあ多少、歯形が残っちゃうかもしれないけど」
「そうだよ。ましてや強姦なんて野暮なことしないさ。ただそのおいしそうな肉を、少しだけ齧らせて欲しいだけ。娼館の妓女や見習いの子に頼んでも、気味が悪いってやらせてくれなくてさぁ。酷いよねぇ」
………………少々齧るだけにしても、到底受け入れられるものではないが。彼らは随分と偏った性癖をもっているらしい。
「――――残念ですが、私は売約済みですよ」
猫背のままにじり寄ってくる双子を、ロゼは一瞥する。デコルテが見えるほどに露出したドレスの端をずらし、その細い肩を露わにする。顕になったそこには、大きめの白い湿布が貼られていた。ドレスからギリギリ見えない場所に貼られたその湿布を、引き剥がす。
―――そこには明らかに人のものとわかる、しかしそれにしてはだいぶ大きな噛み跡が残っていた。
つい最近つけられたらしいその大きな歯型は、獲物へのマーキングのように、少女か自分のものであることを主張している。
これはロゼが神殿を出て実家に向かう直前、ゼルドにつけられたものだ。
あの約束のせいか、平然と接するくせに全くと言っていいほど接触してこなくなったゼルドのあまりの徹底ぶりに悶々としたロゼが挑発じみた発言をしたせいで噛み付かれたのだ。ロゼとしては嬉しさしかなかったが、どうやら彼は我慢できなかったことが気に入らなかったらしく、怒りに歪んだような顔でロゼの乗る馬車を見送っていた。
この痕のせいでドレスを着れなくなったらどうしようとロゼは考えていたが、もしかしたらそれもゼルドの考えのうちだったのかもしれない。彼はロゼが不用意に露出することを嫌がっていたようだったから。まあ、結局はその狙いも外れてしまった訳だが。そもそもゼルドがそこまで考えていたかも定かでは無い。
少年たちの意欲を削ぐために見せたのだが、どうやら彼らにはロゼが自慢げにしているように見えたらしい。被虐趣味でもあるのかと、その引いた目線が語っていた。




